四話 また彼女に助けられてしまった

 黒に染まりかけていた思考を、黒い悪魔が俺の身体ごと吹っ飛ばした。いや、実際は勢いよく抱きつかれただけなのだが。

 フィアの突進は、沼のような思考から抜け出すには十分過ぎた。あとなんか首が痛い。これ、むち打ちでは?


「フィア……お前、留守番するって言ってなかったか?」

「だってぇ、退屈だしお腹が空いたんですものー! なんでお弁当作ってくれなかったんですか!? ヴァリシュさんの鬼!」

「いつもはリネットやアレンスの元にたかりに行ってるくせに、今更何を言ってるんだ……いや、それよりもお前、そのままは流石にマズい。せめて鳩になれ。バレたら面倒だ」

「ふーんだ! そこら中に天使の鏡があるんだから、取り繕っても無駄だって言ったのはヴァリシュさんじゃないですか。それならいっそのこと、本来の姿で神殿内を練り歩いてやります!」


 ギャンギャンと耳元で喚き続けるフィアに、別の意味で意識が遠のきそうだ。

 とりあえず、このままでは鼓膜が木っ端微塵になりそうなので、抱きついたままの彼女を剥がして落ち着く魔法の言葉をかける。


「わかったわかった。とりあえず、落ち着け。今すぐ落ち着いてくれたら、後で好きなものを買ってやる」

「落ち着きました! ところで、ヴァリシュさんはこんなしみったれた場所で何をしてるんですか? スティリナのお話は聞けたんですか?」

「まあ、聞けはしたが。あまり面白い話ではなかったぞ」

「ふうん……どんな話なんですか?」


 気になります、と見てくるフィアに俺は先程の話を整理しながら聞かせてやった。

 不本意だが、彼女のおかげですっかり落ち着いた。気分の悪さも、割れるような頭の痛みもだいぶ和らいだ。

 だからこそ、思い出した。


「はー……なんか、想像していたよりも地味というか、パッとしないお話ですねぇ」


 足をぶらつかせながら、フィアがあっけらかんと言った。彼女の言う通り、パッとしない話なのだ。

 魔導帝国スティリナ。この国の存在は、いわゆる『ボツネタ』である。  


「確かに、パッとしない地味な話だな。面白くない」

「いや、ヴァリシュさんが言います? 自分のことじゃないですか」

「事実だからな。ボツになったということは、とりあえず面白くないと判断されたからだろう」


 ふっ、と俺は力無く笑う。全部思い出した。それはこの世界が、俺にとってまだゲームだった頃の記憶。ゲーム雑誌で読んだ、シナリオライターへのインタビュー記事だ。

 記事の内容によると、製作途中の段階において、ヴァリシュが闇堕ちするきっかけは勇者ラスターへの嫉妬ではなかったらしい。

 元々はまったく別の理由だったが、諸事情によりボツとなったのだとか。ボツネタのことは詳しく書かれていなかったが、間違いない。

 本来は一国の王族である筈なのに、俺は祖国や身分、家族、全てを失った。先代とはいえ、勇者に全てを奪われた。そのことを知った俺は、ラスターに対して憎悪を抱くというシナリオだったのだろう。

 だが、ここはゲームととてもよく似た別世界。ボツネタとして抹消された筈の国が、滅亡したとはいえ存在しているのだ。


 纏めると、新たな闇堕ちフラグの出現である。これが大問題なのだ。


「マズいな……今までのフラグはゲームのシナリオ通りだったから解決出来たのに。スティリナに関してはほとんど情報がない。どうすればいいんだ……」


 嫉妬心だけなら、何とか押さえつけられる。でも、スティリナは勇者のせいで滅んだのだ。

 今までとは違って、俺だけの問題ではない。だからこそ、この憎悪には抗えないのだ。


 このままでは、俺はまた復讐心に囚われてしまう。そうしたら、今度こそ俺は――


「ヴァリシュ!」

「ッ!?」


 ラスターだ。部屋から逃げた俺を探しに来たのか。でも、今はマズい。

 あいつは悪くないとわかっているのに、憎しみが溢れて頭が割れそうになる。ひどいことを言ってしまいそうになる。

 ……などと悩んだのも、一瞬だった。


「げえ!? お、お前! なんでここに居るんだ!?」

「あれぇ!? フィアちゃん、来ちゃったの?」

「ふふん。いつも以上に間抜けな顔をしてますね、勇者と聖女。私の居ないところでヴァリシュさんを独り占めなんて、許しませんよ!」


 俺の腕に抱きつきながら、んべーっと舌を出すフィア。ラスターとリアーヌが慌てるが、もう遅い。

 後から駆けつけてきたホレス大神官とデイルが、フィアの姿に悲鳴じみた声を上げた。


「なっ!! あ、悪魔がどうしてこの神殿に!」

「ふっふっふ、天使の鏡ごときでこの私が怖じ気づくとでも? 暴かれなくとも見せてあげますとも。最近の私は毎日のランニングで未だかつてないくらいに美しく完璧に仕上がってますから」


 自信満々に笑いながら、フィアが立ち上がりグラビアアイドルのようなポージングを決める。

 確かに、意外とランニングは続いているようだが……どこがどう変わったかは俺にはわからない。


「ふざけるな、この害獣めが! 何をしている勇者、さっさと悪魔を葬りヴァリシュ様をお助けせぬか!」

「ま、待ってください。フィアちゃんがヴァリシュくんと契約した悪魔なんです!」

「だとしても、魔力を得た今ではもう用済みであろう! ヴァリシュ様はスティリナ再建のために必要なお方なのだぞ!?」

「ッ……」


 デイルの言葉が、俺の心を抉る。やはり駄目だ、この憎悪には抗えそうにない。気を抜いたら、目に見える全てを片っ端から切り捨ててしまいそうだ。

 でも、フィアはそんな俺を見て、なぜかこれみよがしにニンマリと笑った。


「……はっはーん、なるほど。ヴァリシュさんがナスみたいな顔色をしている理由がわかりました」

「いや、そこまでとんでもない色はしていないと思うが」

「聖女もそうですが、人間は本当に美味しい生き物ですね。自分から勝手に重荷を背負い、隙や弱みを生み出してくれるのですから」


 まるでご馳走を前にした猫のように、唇を舐めるフィア。妖艶でありながらも、冷たい威圧感が恐怖を煽る。

 色欲の大悪魔。翼を広げ、ふわりと宙に浮いてフィアが嗤う。


「でも、あなた達がヴァリシュさんを食い物にしようとしているのは見過ごせません。この人はすでに私のものなので」

「く、食い物にしようなどと考えているわけではない! 我々はただ、オリヴィエ様の悲願を――」

「過去に惚れた女の願いを、血が繋がっているという理由だけでヴァリシュさんに継がせたい。そこに女を悦ばせたいという、男の欲がないと言い切れますか?」

「よろ……!? な、なんて下品な! ここは神殿だぞ!」

「でも否定しない、と。私は下品で結構ですが、あなたはどうなんです? 女の願いを自分の手ではなく、ヴァリシュさんを引っ張り出して面倒ごとを全部押し付けて叶えて貰おうとするあなたは下劣では?」


 ニヤニヤと嘲笑い続けるフィアに、ホレス大神官とデイルが顔を真っ赤にして反論する。確かに品はない。

 でも、フィアの言葉の一つ一つが、俺の中に巣食う黒い感情を引き千切っていく。彼女の表情は笑っているが、デイル達に向けている感情は愉悦ではない。


 彼女は怒ってくれているのだ、俺のために。


「あ、叶えたい願いがあるのなら叶えてあげましょうか? 私と契約しましょう。あなたの矮小な魂一つで、どれだけのことが出来るかわかりませんがね。カピカピに乾いた畑にお花を一輪咲かせるくらいのことは出来るかと」

「こ、この悪魔めが! 神の御前で、好き勝手に言いおって!!」

「そうだぞ、フィア。それは流石に言い過ぎだ」

「ヴァリシュさ――わわっ!」


 立ち上がった俺は、フィアの腕を引いて下がらせる。信じられないものを見るような目を向けてくるデイル達に、黒い感情がまた引き千切られた。

 それで全部、粉々になって消えた。心が軽くなって、呼吸がしやすい。


「……こんな老いぼれでは、芽を出させるのも難しいだろう。花を咲かせるなどと、過大評価だ」

「なっ、ヴァリシュ様!?」

「俺がスティリナ国王族の血を引くことは認めよう。でも、俺には滅亡した国を再建させるどころか、王として国を治める素質はない。現に、オルディーネの騎士団を率いるだけで精一杯なんだ」


 オリヴィエや俺の親たちは、本当にスティリナの再建を願っていたのかもしれない。

 でも、それを俺が背負う理由はどこにもない。


「ラスター、お前の言う通りだったな。この場所は、確かに二度は来たくない。胸糞悪い」

「ヴァリシュ……!」

「帰るぞ、皆。リアーヌ、付き合ってくれてありがとう」

「ううん、ヴァリシュくんの格好いいところが見られて役得だったよ」


 二人が駆け寄ってくる。当たり前だが、彼らは敵対するよりも味方で居てくれる方がいい。

 迷う必要なんかない。俺が居るべき場所は、誰も居ないあの国の玉座なんかではないのだから。


「なんだか一気に大量に作れる豪快な料理を作りたい気分だ。例えば……鍋とか?」

「お鍋、いいね! わたし、チゲ鍋食べたいなー!」

「え、オレ辛いのムリなんだけど!? 豆乳鍋にしようぜっ」

「お鍋もいいですけど、揚げパン! 揚げパンの約束忘れないでください!」

「わかったわかった、アレンス達の土産も買って行こう」

「やったぁ!」

「ちょっ、お待ちくださいリーリス! それではスティリナは、あの国の遺産はどうするのですか!?」


 立ち去ろうとした俺達を、デイルの悲痛な声が呼び止める。不思議なもので、もうリーリスと呼ばれても何とも思わなかった。

 でも、スティリナをそのままにしておくつもりも毛頭無い。


「心配は無用。あの国が俺のものだと言うのなら、どうしようが俺の勝手だろう?」

「そ、それはそうなのですが」

「それなら、俺の好きなようにさせて貰う。この指輪もスティリナのものなら、俺が預かっておく」


 それでは。先ほどの指輪を懐にしまい、俺はもう二度とホレス大神官とデイルを振り返ることなく、足早に出口へと向かう。ラスターとリアーヌも駆け足でついて来た。

 途中でフィアがいつものように鳩の姿になって、頭に乗ってきた。今の格好は天使の鏡にはどう映るのか気になったが、騒ぎになっても面倒なので確認するのは我慢した。


「ラスター、リアーヌ。明日も付き合ってくれるだろ? フィアも暇なら来い」

「全然これっぽっちも暇じゃないですけど、ヴァリシュさんがどうしてもって言うならいいですよ」

「オレとリアーヌも付き合うけど、どうするんだ?」

「どうするって、決まっているだろう」


 神殿を出ると、眩しいくらいの日差しに思わず手をかざして目を細める。

 そして、振り向く。頼れる仲間たちを。


「この前の冒険の続きだ。皆でスティリナへ行って、宝探しでもしようじゃないか」


 


 

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