二話 美人秘書(自称)


 ミラージェス伯爵家。王国の中でも歴史のある上級貴族の一つであり、クレメンテ・ミラージェスは現在のオルディーネ王国における他国との交易を大きく発展させたやり手である。

 年齢は六十を過ぎているが、好奇心旺盛で新しい物好きな性格らしく。今回の騒動も、国内では目新しい錬金術という技術を知った伯爵が自分の薬をリネットに依頼したことが始まりだった。そして昨日、その薬を飲んだ伯爵が倒れた。

 幸いにも伯爵の容態はすぐに回復したそうだが、リネットは伯爵に毒を盛った犯人としてシズナと共に拘束された。

 ここまでが、俺が事前に調べられた情報の全てだ。時間が無かったので、後は現地で話を聞くしかない。


「うへぇ、馬車って本当にお尻が痛くなるんですねー。これが貴族の乗り物だなんて、信じられないです。ね、ヴァリシュさんもそう思いますよね?」

「……俺に聞くな。緊張と憂鬱で逃げ出したくなるのを必死に堪えてるんだ」


 可能ならば、今すぐ馬車から飛び降りて帰りたい。何も聞かなかったことにして、久しぶりに凝った料理がしたい。ビーフシチューとか。


「あれあれ? ヴァリシュさんでも緊張ってするんですね。意外!」

「あ、当たり前だろ。相手は貴族だぞ。しかも上級貴族だなんて、王族の次に続く権力者だ。拘束されたのがリネット達でなければ、他の誰かに押し付けたいくらいだ」


 リネットはルアミ共和国から働きに出た未成年者である為に、錬金術工房を援助していた俺に保護責任者の代理を命じられたのだ。

 無論、今回の件は完全に騎士団長の俺は門外漢なので、他にこういうことに詳しい文官とかに助力を求めた方が良いことはわかっているのだが。問題はシズナの存在だ。悪魔が居る以上、下手に他人を巻き込むことが出来ない。アレンスとマリアンには引き続き情報収集に当たってもらっている為に、連れて来ることが出来なかった。

 ……だからといって、これは流石に悪手にも程がある。


「王さまや大臣さん相手でも割とふてぶてしいくせに……んー、よくわかんないですけど。ヴァリシュさんは騎士団長さんなんですから、堂々としていれば良いじゃないですか。しかも、今回は私こと頼れるフィアちゃんも居るんですぜ? 大船に乗った気で居てくださいっ」

「お前が一番の懸念材料だ。悪いことは言わない、今すぐ帰れ」

「いーやーです! せっかく人間に変装したんですからっ」


 眼鏡を厭味ったらしくクイックイッとしながら、向かいに座るフィアが口を尖らせた。彼女が言うように、今はいつもの深いスリットが入ったドレスではなく、シンプルなブラウスに紺色のスカートという装いだった。

 悪魔の証でもある翼は隠し、代わりに眼鏡をつけて傍から見れば人間の女性にしか見えない。


「ビビりちらしてるヴァリシュさんを一人になんてしておけません! アレンスさんもマリアンさんも多忙なら、私が助けてあげないと。今日の私はヴァリシュさんの美人秘書なので。殺人事件くらい、ちょちょいのちょいで解決してみせます」

「殺人未遂事件、だ」

「似たようなものじゃないですか。それにしても、あの二人は急にどうしたんですかね? その伯爵さんに恨みでもあったのでしょうか」


 うーん、とフィアが唸る。可能性がないわけではないが、リネットが誰かを傷つけるようなものを作るなんてあり得ない。彼女は自分の錬金術に誇りを持っているし、そもそも恨んでいたとしても殺人に及ぶなんて馬鹿げたことはしないだろう。

 シズナは……工房での生活が気に入っていたようだから、それを壊すようなことはしない気がする。


「話を聞く限り、リネット達は濡れ衣を着させられた可能性の方が高いと思う。何を目的に利用されたのか、情報が少ないせいでまだ絞りきれないが」

「ふむふむ。絞りきれないっていうことは、いくつか考えがあるんですか」

「三通り程考えた。一つ目は、リネット本人もしくは錬金術を良く思っていない誰かが彼女達の評判を貶めようとした。実際にリネットが聖水を量産したせいで、教会の収入が減少しているらしい。今後は他の業界にも影響が出てくるだろう。錬金術という対抗馬が出てきたことで、経済が刺激され発展することを期待していたが、反発は思ったよりも大きいのかもしれない」


 ただ、リネットが作った剣で俺がアスファを倒したことにより、錬金術はプラスの評判の方が遥かに大きい。

 そして錬金術を貶めることは、ルアミ共和国との国交問題にまで発展しかねない。政治に敏感な貴族達が、こんな安易な行動に出るとは考え難い。


「二つ目は、何者かが錬金術を隠れ蓑にして伯爵を暗殺しようとした。この場合は伯爵殺しが目的だ。この国では、錬金術は新しい未知の技術だからな。調査が難航しているのもそれが原因だ」


 王国において、錬金術師はリネットだけ。彼女の薬が万が一毒薬だったとしても、それをどうやって調査しろというのか。

 かと言って国交問題を考えれば、ルアミ共和国に調査を依頼することも難しい。迷宮入りさせるのが犯人の目的なのだろうか。

 ……なんか、これも国交が絡んでくるから違う気がする。


「なるほど、流石はヴァリシュさん冴えてますね! じゃあじゃあ、三つ目は何ですか?」

「それは……た、たまたまリネットの薬に変なものが混じったとか、伯爵に副作用が強く出たとか、全く別の要因で具合が悪くなったとか」

「ええ……なんか、急にあたふたしてません?」


 ジトっとフィアが見てくる。仕方ないだろ、俺は探偵ではなく騎士なのだ。貴族の事情など知ったことか!

 うう、やはり専門家に任せるべきだったか。


「大丈夫ですよ、ヴァリシュさん。いざとなったら、私が怪しい人間を洗脳して自白させますから! 泣かないでくださいよっ」

「泣いてないし、何も大丈夫ではないな!」

「あ、そろそろ到着みたいですね。わあ、この辺りは景色が綺麗ですね! 見てくださいヴァリシュさん、あの赤い屋根のお屋敷とか可愛いですね。私、将来はああいうお屋敷に住みたいです!」


 窓に齧り付いて、流れる景色にきゃっきゃとはしゃぐフィア。確かに、美しい景観はじっくり眺めて楽しみたいものがある。気持ちに余裕がないのが残念だ。

 やがて、馬車は目的地へと到着した。そこは、近所と比べても一際大きく広い屋敷だった。



 


 

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