五話 そして物語はまだまだ続く
その場所は、大陸で最も大きなウェルズ山の頂上だった。普通は標高が高いと気温が低く、季節を問わずに雪や氷に覆われているものだが。ここだけは何故か常に暖かい風が巡っていて、淡い色合いの草花が穏やかに咲き誇っている神秘的な場所である。
古代エリン遺跡とは異なり、今もなお神の加護を受けた聖域、と伝えられているものの。悪魔も闇堕ちした人間も簡単に出入り出来るのだから、真相は不明だ。
「本当に、ここで良いの?」
「ああ、多分な」
シズナの手を離して、俺は辺りを見回す。約束の場所までは、まだ少し距離があるが。歩いて行ける距離だ、問題ない。
「あの、わたし。一旦荷物を置いてくるわ。日が暮れる頃には、ここに戻ってくるけど」
「それで良い。助かった、ありがとうシズナ」
ウェルズ山には魔物も寄り付かない。日暮れまでは二時間くらいあるだろうが、空振りだとしてもどうにでもなる。
「……店長があなたのことを人たらしって言っていたの、思い知ったわ」
「誰が人たらしだ」
「フフフ。じゃあ、後でね」
手を小さく振りながら、シズナの姿が空気に溶けるようにして消えた。俺は記憶を頼りに、頂上を目指す。歩みを進めながら、俺は再び考える。
フィアに会って、どうしたいのか。何度も考えたが、どれだけ悩んでも結局答えなんか出なかった。どうすれば良いかなんてわからない。
だから、もう何も考えないことに決めた。ていうか、これは思考停止と言った方が良いか。
「……何だ、これは」
山道を登っている途中で、左目から再びぼんやりとした景色が見えた。先程とは違い、少しだけ目眩がするだけで済んだが。室内……いや、洞窟だろうか。
とにかく、日の光が届かない真っ暗な場所に居るのが見えた。彼女と視界を共有しているせいか、どこへ逃げようがすぐに見つけられる筈なのだが。
健在な方の右目で見えた景色に、思わず絶句した。
「これはまさか……天岩戸、というやつか? いや、まさかな」
俺が屈まないと入れないような洞窟を見つけたまでは良かった。ただ、入り口にドアのようにピッタリと嵌め込まれた岩戸は一体何なのか。明らかに自然に出来たものではない。
ここは日本ではない、異世界だ。だからそんなものがある筈ないのだが、神話に伝わる天岩戸によく似ている。ドアノブどころか、ちょっとした窪みすらないので動かせそうにない。剣で斬る、なんてことも無理だろう。
でも、この中にフィアが居るのは確かだ。試しにノックしてみる。
「おい、フィア。居るんだろ」
『居ません。ここには誰も居ません、留守です』
くぐもった声が返ってきた。こいつ、居留守のやり方を知らないのか?
「フィア、ここを開けろ。お前に話がある」
『お話ならこのままでも出来るでしょ。何をしに来たんですか、ヴァリシュさん』
彼女は岩戸を閉ざしたままで、出てくる気はさらさら無いようだ。不貞腐れたような声が返ってくるが、なんともやりにくい。
「シズナがお前をどうにかしてくれって頼んできたんだ。お前、シズナの隠れ家を奪って引き籠ったらしいじゃないか」
『そうですか。それならお返ししますとシズナさんに伝えてください。私はこのまま、ここに引き篭もります。話はそれだけならさっさと帰ってください。私、ヴァリシュさんとこれ以上お話しなんてしたくないんです』
帰ってください。何度も繰り返される言葉に、不思議と腹が立ってきた。そういえば、彼女は最初からずっと契約を迫ってきていた。
ということは、俺は契約したからもう用済みだと言いたいのか?
「……それなら、ちゃんと言葉にしないとわからないぞ。言いたいことがあるのなら、面と向かって話せば良いだろう!」
『え、何ですか――わっ、きゃあ!?』
無意識に、俺は右の拳を岩戸に叩きつけていた。ビリビリと痺れるような痛みを覚えるだけで、岩戸自体はびくともしていない。
くそ、やっぱり俺一人の力では壊せそうにないか。
「っ……流石に素手では無謀か」
「お、この岩戸をぶっ壊せば良いのか?」
「ああ。多少荒くても構わん、中身を引きずり出せれば……って、ラスター!?」
「よし、任せろ。そういうのはオレの専売特許だぜ!」
一体いつから居たのかはわからないが、ラスターが勇ましい声を上げながら剣を抜き放つと勢い良く斬り掛かった。神の加護を受けた剣と、彼の馬鹿力も相俟って凄まじい一撃である。鼓膜を劈くような甲高い音に、俺は耳を手で塞いだ。
だが、そこまでだった。
「げえっ、かってえ! 何だこの岩戸、傷一つ付いてないぞ!?」
「うーん、この山は聖域だからねぇ。いくら勇者のラスターくんでも破るのは難しいんじゃない?」
「リアーヌ……きみまでこんなところで何をしているんだ」
まさか、彼女もラスターにくっついて来たとは。頬に手を添えて、リアーヌが困ったように笑った。
「えーっと、丁度やることも無くて暇……じゃなくて、ヴァリシュくんが心配だったのと、ラスターくんが聖域をめちゃくちゃにしないように見張りに来たの」
「今、完全に本音が漏れたようだが」
「めちゃくちゃにしようにも、オレの剣も歯が立たないんじゃどうしようも――」
「それなら、今こそ錬金術の真骨頂を見せてあげるわ!」
退きなさい! やたら自信満々に張り上げられた声と、風に乗ってくる火薬の臭いに俺は反射的に脇に跳ぶ。ラスターもリアーヌを抱えて、その場を離れた。
次の瞬間、後方から飛んできた円柱状の筒が岩戸にコツンと当たり、凄まじい爆発を起こした。もくもくと上がる煙と、焦げ臭い臭いに噎せながら辺りを見回す。ラスターとリアーヌも無事だ。
「リネット! なんてものを投げてんだ、危ないだろ!!」
「ふーんだっ、勇者のくせに岩戸の一枚も壊せないアンタが悪いんでしょ!」
「ひえぇ……あの威力、人に当たったら死んじゃいますよリネットさん……!」
「でも、肝心の岩戸はびくともしていないわね。どんな素材で出来ているのかしら」
「マリアンまでどうしたんだ。シズナが連れて来たのか?」
すっかり勢揃いした馴染みの顔ぶれ。呆れると同時に安心感まで覚えるのは不思議だが、岩戸は爆弾でも壊せないようだ。
『はわわ……丁度良い洞窟があったから慌てて隠れた割には、なんて完璧な護り……! 神さまの聖域って凄いですね!』
「悪魔のお前が神を称えるのか」
『何でも良いです! 私はここから出るつもりはありませんので、さっさと全員帰ってください!』
つん、とフィアが言い放った。これだけやっても壊せない以上、岩戸を無効化するにはフィアに自分から出てきてもらうしかないだろう。
そういえば、天岩戸とは日本神話の中で最も有名な話だったな。確か、弟の素行に嫌気が差した天照大御神は、天岩戸に閉じこもってしまった。そこから彼女を出そうとした他の神々は、岩戸の前で祭り騒ぎを起こしたんだったか。
「……そうか、わかった」
「え、良いのかヴァリシュ?」
「ああ。ラスターの剣やリネットの爆弾でも歯が立たない以上、俺にもう出来ることはない」
「で、でもヴァリシュ様……」
何か言いたげなラスターとマリアンを制し、岩戸に背を向ける。そして俺は口角を吊り上げると、この場に居る全員を見回した。
「そういえば、食いしん坊なヤツが居なくなって食材が大量に余ってるんだった。このままでは傷んでしまうが、俺一人では消費しきれない。誰か……手伝ってくれると、有難いんだが?」
俺の誘いの真意を、目の前に居る全員が悟ったようだ。似たような悪い笑顔の面々が、一斉に手を勢いよく上げた。
「はいはい! アタシ、協力するわ! ね、シズナも来るでしょ?」
「ええ。美味しい物をタダでお腹いっぱいに食べられる機会なんて、滅多にないもの」
「じ、自分も良いですか! ヴァリシュ様とお食事しても良いんですか!?」
「親友の頼みなら、断るわけにはいかねぇよなー!」
「はーい! わたしもお手伝いするよー! 今日は皆でパーティーだねぇ」
『え……あ、あの』
「助かる。それじゃあ、帰るか――」
「待ってください! ヴァリシュさんのご飯は私の……」
バーン! と、あれほど頑なだった岩戸が拍子抜けする程あっさりと開いた。こいつ、やっぱり色欲じゃなくて暴食だろ。暴食の悪魔の席も空いているだろうから、その座に変えた方が良いんじゃないか。
そんな悪態をついてやろうと、再びフィアの方を向く。俺から離れたいのなら別に構わない。だが、隠れられたまま別れを切り出されるのは我慢ならない。
だから、せめて直接向かい合いたかっただけ……なのだが。
「うっ……うえええん!」
「うわっ。お前……なんて顔をしてるんだ」
「だだ、だってだって! ヴァリシュさんのせいですよっ、精一杯堪えてたのに! どうしてここに来たんですかあぁ!?」
びええ! と堰を切ったように泣き出すフィア。滝のように涙を流し、鼻水まで出てる。なかなかに酷い顔だが、心配していた彼女の目の怪我はすっかり治っているようだ。
「悪魔とはいえ、女の子を泣かせるなんて……ヴァリシュが顔に似合ったことをやるの初めて見たぜ! サイテー!」
「うるさいぞラスター! ほらフィア、とりあえず拭け。そして落ち着け」
子供のように泣きわめくフィアに近づいて、ビチョビチョな顔面をハンカチで拭ってやる。
「ふぐ……あ、ありがとうございまぶ、えぐ」
「全く……だが、怪我はちゃんと治ったようだな。悪魔とはいえ、女性の顔に傷が残ったらどうしようかと思っていたんだ」
「なんでそんなこと言うんですか!? その左目、私のせいで見えなくなっちゃったんですよ!? 私だって、ヴァリシュさんに傷なんて残したくなかったのにっ。合わせる顔が無いのに、何でヴァリシュさんの方から来ちゃうんですかー!」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、フィアが喚く。そういえば、悪魔との契約は基本的に相手が欲しいと思ったものを奪われるのだったか。
俺が契約で左目を失ったのは、あの時のフィアがアスファに傷付けられた自分の目に執着していたからだろう。無理もないことだ、別に咎めたりしない。
「左目だけでアスファを倒せたんだ。代償としては安過ぎるくらいだと思うぞ」
それに、どうやらこの目は完全に失明したというわけでもないようだし。でも、彼女と同じ景色が見えていた、という事実はしばらく秘密にしておこう。
「うう……で、でも」
「それに、この左目のお陰で大切な約束も思い出せたしな」
「約束、ですか?」
「何だ、忘れたのか。薄情者め」
「わわっ、何するんですか!」
柔らかい黒髪をわしゃわしゃと撫で回す。もちろん、あの約束を交わしたのは今のフィアではない。だから、そもそも約束自体が存在しないのだ。
それがちょっと惜しいと思ってしまうなんて、我ながらどうかしてると思う。
悪魔王やアスファが居なくなった今では、彼女が悪魔の中で最強の存在なのだが、気がついていないのか、どうでも良いのか。何であれ、全く変わらないフィアに俺は腹を括った。
「そういえば、もう一つ約束があったな。お前、いつか俺と一緒に旅に行くって言ってなかったか? このまま人間に危害を加えないでいてくれるなら、その約束も果たせるんだが」
「え……で、でも」
「勘違いするな。お前が一人でフラフラしているよりも、傍に居た方が見張りやすいという意味だ。悪魔の残党を率いて、悪あがきでもされたら面倒だからな。そのついでに、ベリーパイを作ってやるのも旅に行くのもやぶさかではないと思っただけだ」
顔を逸らし、あれこれ捲し立てて熱くなる頬を誤魔化す。これが正しいのかどうかはわからないが、少なくとも姿が見えないよりは傍でうろちょろされる方がずっとマシだ。この数日で、そのことを十分に思い知った。
決して、寂しいとかそういうアレではない。ほ、本当だぞ。
「……い、良いんですか? 私、悪魔ですよ。ヴァリシュさんの左目を奪っちゃった悪人なんですよ?」
「ずっと契約しろってしつこかったくせに、今更しおらしくしても遅いぞ」
「だ、だって! 私が欲しかったのはヴァリシュさんであって、ヴァリシュさんの目や力じゃなくて……」
フィアの目から、再び涙が溢れ始める。何か聞き捨てならないことを口走った気がするが、今は無視しよう。
「……何度も言わせるな。俺は、お前が他人に迷惑をかけたり、敵に回らないよう監視しなければいけないと言っているんだ。それ以外の意味は無――ぐえっ!?」
「ヴァリシュさん……ううー、ヴァリシュさーん!!」
物凄い勢いで、フィアが抱き着いてきた。ふわりと花のような甘い香りが鼻を掠めるが、それよりも回された腕が首を絞めた息苦しさに悶える。
「うえーん! 良いんですか、一緒に居ても良いんですか? 本当はずっと寂しかったんですよー!! 一人で食べるご飯やお菓子は美味しくないし、散らかしても誰も怒ってくれないし。ヴァリシュさんに会いたかったんですー!」
「わ、わかった。わかったから、離せ」
「コラー! いつまでベタベタしてんのよっ、それ以上は禁止!」
「そ、そうです! 神様の聖域で、不謹慎ですよ!?」
首に絡む腕を何とか引き剥がすと、リネットとマリアンが間に割り込んできた。やれやれ、またあの騒がしい毎日が始まるのかと思うと複雑ではあるが。
「アナタがフィアね? 悪いけど、ヴァリシュのことを譲る気は無いんだからね! そこのところ、覚えておきなさいよっ」
「はあ? 小娘が何を言ってるんですかぁ? 生意気なこと言ってると、頭から食べちゃいますよ!」
「やれるものならやってみなさい、特製の聖水をしこたまかけてあげるわ!」
「フフ、ライバルは店長だけではないわよフィア様。こう見えて、マリアンってかなり着痩せするタイプなのよ。取り憑いた時にバッチリ見たわ。こういう普段は色気の無い女がいざ着飾った時、男はコロッと落ちちゃうのよね」
「ちょっ、シズナさん!? 何言っちゃってるんですか!」
「何ですってー! 色気で私に勝てると思ってるんですか!? 生意気ですっ」
ぎゃんぎゃんと言い争う女性達。どうしよう、もう帰りたい。
「わー、ヴァリシュくんモテモテだねぇ?」
「いやー、女の子って怖いよなー。それにしても、人間だけじゃなくて悪魔にまでモテるとは……ヴァリシュ、お前ってマジで凄いな! 口説きの特技でも持ってるんじゃねえか?」
ラスターとリアーヌが楽しそうに笑う。リアーヌはともかく、ラスターは殴りたい。
「とりあえず、帰ろうぜ。あいつらは……しばらくあのままでも大丈夫だろ」
「……そうだな。そうしよう」
ラスターが持つオリンドの地図さえあれば、オルディーネ王国に帰れる。彼女達は……シズナが居るから、何とか出来るだろう。
「あ、待ってくださいヴァリシュさん!」
「勇者でも抜け駆けは禁止よ、ラスター!!」
「これだけは、たとえ勇者様でも譲れないのです!」
駄目だ、どう足掻いても彼女達は見逃してくれそうにない。ラスターとリアーヌごと取り囲まれ、よくわからない言い争いに巻き込まれた。果たしてどうしたらこの混沌を打破出来るのか。逃げれば良いのか、全員の言い分を聞けばいいのか。
思わず天を仰ぐ。頭上に広がる透き通るような青空は、平和そのもので。俺は明日からも、この鬱陶しい仲間達に囲まれる日々が続くのを実感したのだった。
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