七話 彼女は無邪気に笑った


 耳元で喚かれれば、キーンと耳鳴りが頭に響く。何故気づかないのかと言われても、そんなイベントは記憶にないし。

 いや、それも今更か。しかし随分軽いが、これは本当に剣なのだろうか。プラスチックで出来た玩具みたいな軽さだが。中身を見るのが怖くて、なかなか上手く布の結び目を解くことが出来ない。


「ぐっ、うわ!?」

「きゃあぁ!!」

「全く、身の程も知らない雑魚の相手は肩が凝るだけだな」


 悲鳴に顔を上げると、アレンスとマリアンが吹き飛ばされるのが見えた。苦痛に顔を歪める二人を退屈そうに一瞥すると、アスファが改めて俺を見た。


「それにしても、意外と頑固だねヴァリシュ。まさかボクの魔法に耐えるだなんて」

「ふっふーん。残念でしたね、アスファさん。不完全ですが、ヴァリシュさんには先にかけた私の契約魔法があるので! たとえアスファさんでも、契約魔法を上塗りして洗脳することは大変だと思いますよ? ヴァリシュさんが望んでくれさえすれば、すぐにでも発動することが出来ます」

「お前は何をしてくれたんだ?」


 檻を蹴ったり引っ掻いたりしながら、フィアが得意気に胸を張った。魔法にも色々な種類があるらしく、代償が必要な契約魔法は最も強力な魔法だと言われている。自分を借金の形にするようなものなので、洗脳よりも大きな力を発揮出来る。

 あれだけ拒んだというのに、まだ諦めていなかったのか。しかしそのお陰で助かったと言われると複雑だ。


「へえ、そう言われると俄然欲しくなってくるなぁ。でも先に、邪魔者を片付けないと」

「リネット、下がれ!」


 槍の切っ先がマリアン達に向けられる。もう形振り構っていられない。俺はリネットを下がらせると、布を力任せに引き千切りアスファに向かって駆け出した。

 剣を構えただけでわかった。羽根のように軽く、それでいて全てを切り裂くような限界まで研ぎ澄まされた刃。この剣は普通じゃない。

 仄かに蒼く輝く剣が、槍で防ぐよりも速く彼の身に深い傷を負わせた。これまでとは明らかに違う威力にアスファが呻く。


「ぐっ……な、何だその剣は! 勇者の剣でもないくせに、こんな」

「どう、驚いた? 軽くて頑丈、それでいて綺麗で退魔の力を持つシュバル鉱石で作った業物よ。他にもラスターから貰った色んな鉱石や金属を見た目重視で適当に混ぜてみたら、何故か勇者の剣にも負けない逸品になったわ。そうね……『語られざる英雄の剣』とでも名付けることにするわ!」


 ニンマリと笑うリネット。ネーミングセンスには色々思うことがあるが、これは確かに勇者の剣にも劣らない。アスファの槍を掻い潜り、神速で切り込む。

 退魔の力もあるこの剣の傷は、相手に確実なダメージを与えられているようだ。もうアスファの顔に笑みは無い。

 でも、まだ届かない。


「こ、の……人間が、図に乗るな!!」

「くッ!!」


 これまでとは違う、威力も速さも増した槍に押し負けた。邪悪な槍が脇腹を切り裂き、身を焼くような激痛に俺は歯を食い縛る。アスファは――あのプライドの高い最強の七大悪魔は――明らかに苛立っている。

 夥しい出血は、いつまで立っていられるかわからない。いや、立っていられたとしても次の攻撃を避けることは出来ないだろう。


「はあ、もう良いや。勿体無いけど、キミを生きたまま手に入れることは諦めることにするよ。身体さえあれば眷属には出来るし。多少の欠損も他から見繕えばどうにか出来るしね」

「ゾンビにでもする気か? 本当に、悪趣味だな」


 アスファの槍が俺に狙いを定める。どうやら相当怒り狂っているようだ、多少の欠損と言う割には次の攻撃は全てを吹き飛ばしかねない。

 一か八か、最初のようにギリギリで避けて反撃を狙ってみるしかないか。でも、出血のせいか既に指先の感覚が無くなり始めている。リネットに貰った剣がもう少し重かったら取り落としていたところだ。

 ……やはり、どう足掻いても俺の死は回避出来ないのだろうか。もう少し、あと少しでアスファに届くのに。


「じゃあね、ヴァリシュ。眷属になったら大事にしてあげるよ」


 三叉の槍が邪悪に煌めき、空気を切り裂く。生きたまま四肢を切断されていたぶられるよりはマシか、なんて。自虐的な笑みが溢れた、その時。

 必死な声で名前を呼ばれると同時に、視界が大きく揺れた。


「ヴァリシュさん!」


 吹き飛ばされたことだけはわかった。でも、今の一撃で負った傷は一つも無かった。アスファの槍が迫るまでの一瞬で、彼女が庇ってくれたから。

 彼女だけは、諦めようとしなかったのだ。


「うう……ヴァリシュ、さん。大丈夫……ですか」

「フィア……お前、何を」

「へえ、やるじゃん。あの一瞬でボクの檻を壊して、ヴァリシュを庇うなんてね。でも、流石のキミでも無傷とはいかなかったようだね」


 まるでゴミでも見下ろすかのような目で、アスファがフィアを見た。フィアも、アスファを睨みつけようと顔を上げた。

 でも、思うように出来なかったことに彼女は疲れたように笑った。


「……あらら。本当、ですね。私が使える中で最も強力な防御魔法を使った筈なのに。ま、でも良いです。ヴァリシュさんを護れたので。片目で済んだのはラッキーでした」


 アスファが槍を、フィアの左目から引き抜く。真っ赤に濡れた顔面は、彼女の左目がどうなっているのかさえよくわからない程の酷さだった。彼女が庇ってくれたこと、防御魔法を展開してくれたことでアスファの攻撃を殆ど相殺出来たことはわかったが、その代償は大きかった。

 気丈に振る舞っているが、それが更に痛々しい。聖水で少し肌が赤くなっただけであんなに騒いでいたというのに。


「お前、何をしているんだ……どうして、そこまでして俺を」

「あはは、確かに不思議ですね? 元々敵同士なのに、大事な顔を犠牲にしてまで庇うなんてどうかしています。でも、後悔していませんよ。私は人間とか悪魔とか関係なく、自分がしたいようにしてきただけなので。ヴァリシュさんを護れただけでもう十分なんです。これが私の――『色欲』ですから」


 へらりと笑いながら、フィアが俺の右手を両手で包む。そんな彼女の笑顔が今までで一番悪魔らしくなくて。呆然とするしかない俺に対して、アスファはふっと鼻で嗤う。

 ……何も考えられないが、俺は頭の中で何かがちりちりと焦げるような感覚を覚えた。


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