八話 手に入れた力と、失ったもの
「護れた? 勘違いしないで欲しいんだけど。ボクの魔力はまだ余裕がある。包囲魔法を保ったまま、キミ達二人を葬ることなんて息をするように簡単なんだよ」
フィアの血に濡れたままの槍を構え直して、アスファが言った。フィアの表情が、苦痛と屈辱に歪む。諦めたくない。そう言わんばかりに、彼女が俺の手を強く握る。一回り以上も小さな手を、俺も握り返した。
その瞬間、焦げ付いていた何かがブツンと切れた。
「……フィア。お前、さっき言ったな? 俺が望みさえすれば、契約魔法はすぐに発動すると」
「へ? 言いました、けど」
「良いだろう。お前と契約する、だから俺の望みを叶えろ」
フィアの残った右目が見開かれた、次の瞬間。巨大な金色の魔法陣が、俺達二人を囲うように地面に浮き出す。
しまった! 息を飲むアスファが槍を魔法陣に突き立てて壊そうとするが、見えない壁にバチンと弾かれた。
「ヴァリシュ‼ キミは悪魔と契約するというのがどういうことかわかっているのか!? 神を裏切った人間の末路が、どれだけ悲惨なものか知らないのか!」
「知っている。少なくともお前に全てを奪われるよりマシだ」
記憶の中だけに残る、本来俺が辿る筈だった末路。誰も信じられなくなって、大切な人を傷付けて、悪魔の力を手に入れた挙げ句復讐に狂い最後は親友であるラスターに殺された。
忘れてなどいない。それでも俺は、この新しい望みの為に自分の破滅を選ぼう。
「だ、駄目ですヴァリシュさん。今は、今だけは契約しては駄目です。取り返しのつかないことになっちゃいます!」
「あれだけしつこく付き纏ってきたくせに、今更何を言っているんだ」
嫌だ嫌だとしがみついてくるフィア。しかし、契約魔法は既に俺の意思で進んでいる。輝く魔法陣が俺の中に取り込まれた刹那、与えられた凄まじい力に鳥肌が立つ。
これなら、世界を支配することもラスターを超えることも可能だとさえ思わされる。だが、俺が望むのはどちらでもない。
「この身体だろうが、命をだろうが欲しいものは何でも持っていけば良い。だから、俺に力を寄越せ。欲に溺れた愚かな悪魔を葬り去るだけの力を、俺に寄越せ!」
「ず、図に乗るな人間が!!」
怒りや焦りを隠そうともせずに、アスファが俺達を薙ぎ払おうと槍を突き出した。でも、遅かった。
魔法陣から身体に流れ込んだ力。その全てを、次の一撃に注ぎ込む。三叉の刃を食い止める剣は、もう力負けなんてしない。痛みも恐れも、今だけは俺の中から押し出されてしまう。
切っ先が欠け、刃に亀裂が走る。初めてアスファが自ら槍を引こうとするも、彼の判断は遅すぎた。
「なっ、バカな――」
「終わりだ、強欲の悪魔!!」
砕け散った槍。美しくも禍々しい光を浴びながら、俺の剣はアスファの胸を貫いた。彼の手が胸に刺さる刃を握るも、指を傷つけるだけでびくともしない。
紫の空が剥がれ落ち、頭上には再び青空が広がる。
「あ、ああ……嘘だ、嘘だ嘘だ。このボクが……勇者でもない、ただの人間なんかに負けるなんて」
次第にアスファの抵抗が弱まっていく。悪魔は人間よりも頑丈に出来ているとはいえ、心臓を貫かれれば助かるまい。
それは彼自身もわかっているのだろう。抵抗をぴたりと止めたアスファが、青ざめた顔面で俺を見て蔑むように嘲笑う。
「……なんてバカな人間だ。悪魔と契約するなんて、きっとロクな死に方しないよ。ヴァリシュ、キミはきっと神に見捨てられて地獄に堕ちるだろう。その時が来るまで、ボクは先に行って待っててあげるよ」
「お前……本当に悪趣味だな」
「はは、アハハ! 地獄の門の前で楽しみに待っているよ、ヴァリシュ」
また会おうね。そんな不穏な言葉を残して、アスファはついに力尽きた。すると、心臓から黒い炎が燃え上がり残された肉体を焼いた。
悪魔は死ぬ時、溢れ出した魔力が炎となり屍を残さない。醜悪な性質とは裏腹に、最後は潔いとさえ思う。
そして、ようやく実感した。
「……勝った、のか」
勝った。アスファは消滅し、王国を包む包囲魔法も解かれた。辺りを見渡すと、マリアンとアレンスが身体を起こし、リネットが建物の影から恐る恐る顔を覗かせている。良かった、全員無事だ。
俺でも、あの七大悪魔を倒せたのだ。
「凄い……凄いです、ヴァリシュ様!」
「七大悪魔を倒せるなんて……信じられない」
「凄いわ、ヴァリシュ! アナタ、本当に英雄ね! このことはアタシが末代まで語り継ぐわ!」
駆け寄ってくる三人。「語られざる英雄」じゃなかったのか? アスファを倒せたこともそうだが、それよりも彼等を助けられたことに安心した。
そうだ、フィアの怪我を早く治療してやらないと。そこまで考えて彼女の方を振り向こうとした、その時だった。
俺の中から再び金色の魔法陣が現れ、回転しながら俺の眼前に浮かび上がる。
「な、何だ――」
これは。フィアに問おうとした言葉が、一つも出て来なかった。魔法陣は回転しながら大きさを変えて、小指の爪くらいの大きさまで縮んだのを見て取った。そして。
小さな金色の光が、俺の左目を貫いた。
「ぐっ! あ、ああ……」
「ヴァリシュ様……? どうなさいました、ヴァリシュ様!?」
一番最初に駆け寄ってきたアレンスに、俺はもう何も答えられなかった。まるで左の眼球に焼印を押されたかのような激痛に、俺は髪を振り乱し絶叫した。
いや、目だけではない。脇腹の傷も抉られたかのように痛み、激痛から逃れようと意識が急速に遠のいていく。気絶する直前に辛うじてわかったのは、アレンスとマリアン、リネットの三人に抱き止められたこと。
そして、
「ごめんなさい、ヴァリシュさん。私は、ただ貴方と一緒に居たかっただけなんです」
ふらつきながらも一人で立ち上がったフィアが、開いた両目から涙を流して俺を見ていたことだけだった。
「……さようなら、私の大好きなヴァリシュさん」
薄れゆく意識の中、青く晴れ渡った空へ、一人の悪魔が翼を広げて何処かへと飛び去って行ったような気がした。
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