五話 決戦
アスファの笑みに、背筋が凍る程の寒気を覚えた。そうだ、これは俺だけの問題ではない。この国の人間全てを人質に取られているようなものだ。
しかも彼の攻撃力は、ゲームであれば一撃でHPを三分の二は削る程強力だ。それを実際に食らったらどうなるか、考えたくもない。
……俺のせいで、皆に危険が迫っている。どうすれば、良いのだろう。アスファは狂ってはいるが、プライドが高く自分のポリシーを大事にするタイプだ。自分が出した条件を覆すようなことはしないだろう。
それなら、今は皆の安全を優先すべきか……そう、俺が覚悟を決めようとした時だった。
――地面が、大気ごと揺れた。
「いくらアスファさんでも横取り厳禁! 同担拒否! ヴァリシュさんは、私のなんですってばー!!」
「……は?」
フィアの魂の叫びと共に、紫の空から隕石が降ってきた。もちろん本物の隕石ではなく、圧縮した魔力の塊だ。人間の俺から見ても単純な攻撃だが、突然の闖入者に避けられなかったのだろう。地面を震わせ、孤児院の硝子窓を粉々に吹き飛ばす程の衝撃と共にアスファを砂埃が覆った。
それが、緊張の糸を断ち切った。俺は沈みかけていた暗い思考からはっと我に返ると、エマや子供達を振り返る。
「皆、早く避難してくれ。アスファのことは俺がどうにかするから、今は安全な場所に!」
「え、ええ! 皆、行きましょう」
エマが意を決した顔で、子供達に避難を促す。恐ろしさに足が竦んだり、泣きじゃくる子供を年長組が手を引いたりおぶったりしているが、このままでは時間がかかり過ぎる。
アスファの姿は依然砂埃で見えないが、空の色が元に戻っていないところを見るに大したダメージは負っていないようだ。避難するタイミングは今しかない。
「マリアン、皆を頼む。今はどこも安全だとは言えないが、少なくとも此処に居るよりはマシな筈だ」
「で、でもヴァリシュ様……お一人で複数の悪魔を相手にするなんて無謀です! それに、空に居るもう一体の悪魔は森で見かけた悪魔では!?」
「俺なら大丈夫だ。だから、信じて欲しい。俺の大切な人達を護ってくれ」
無意識に子供へ言い聞かせるように、マリアンの頭を撫でる。正直に白状すれば、俺だって逃げ出したい。勇者でも何でもないのに、強欲の悪魔なんか何故相手にしなくてはならないのか。
でも、もう腹を括るしかない。
「……わかりました。エマさんや子供達を避難させた後で戻ってきます、それまで堪えてください!」
どうか、ご武運を! マリアンが唇を噛み締めながら一礼して、エマと子供達の後を追った。そのタイミングを見計らっていたのだろうか、フィアが空から降り立って俺の隣に立った。最近はすっかり鳩の姿を見慣れていたが、ちゃんと悪魔の姿だ。
不満そうに頬を膨らませて、俺を見上げてくる。
「むー。いいなぁ、頭なでなで。私もヴァリシュさんに頭をぽんぽんって撫でられたいです。ぽんぽんって!」
「……お前、何で俺の方に来るんだ?」
「げほっ、げほ……あー、油断した。まさか、このボクにあんな馬鹿みたいな攻撃を仕掛けてくるヤツが居たなんてね。しかも、それが身内だとは考えもしなかったよ」
徐々に晴れてきた砂埃に軽く噎せながら、アスファが再び姿を現した。あれだけの攻撃を受けた筈なのに、彼は傷一つ負っていないようだ。
うっ、とフィアがたじろぐ。
「こ、渾身の一撃だったのに……! アスファさんって、本当に見た目詐欺ですね!」
「久しぶりに会った先輩への挨拶だと受け取って良いのかな? やれやれ。しばらく姿を見なかったかと思えば、まさかこんなところで見つかるなんて。それでも七大悪魔の自覚があるのかい?」
「アスファさんこそ! こんなところで油を売ってて良いんですか? 今頃、勇者さん達がお父様と命懸けで戦っているかもしれないのに。早く帰ってあげた方が良いのでは?」
「どうでも良いよ。むしろ清々するね、あんな老害はさっさと死ぬべきだ。ボクが直々に手を下す程の価値もない」
フィアが精一杯説得しようとしているが、アスファは鼻で嗤うばかりだ。そう、彼は悪魔王の息子である。しかし親子仲は大して良くなく、むしろアスファは父親から玉座を奪ってやろうとする程だ。
だが、俺の記憶ではそれでも勇者ラスターの侵入を防ごうと奮闘していた筈なのだが。やはり、今の状況はゲームとは全く別物だ。
「あの父親だけじゃない、ルインもラーヴァもボクにとっては不要なヤツらだ。だから、勇者が彼らを始末してくれるならそれで良いさ。あいつらが居なくなってから勇者を殺せば、悪魔の国はもちろん、勇者を失った人間界までもがボクのモノになるしね! どうだい、フィア。大人しくボクに仕える気があるのなら、今までの怠慢もさっきの攻撃も全部水に流してあげるよ。キミだってわかってるんだろ、ボクとの実力差がさ。言っておくけど、ずっと怯えて震えてるの、バレバレだからね?」
「……ふん。怯えてなんかいません、勘違いしないでください」
固く握った拳を背中に隠し、フィアが吐き捨てる。そして俺の方を向いて、初めて見るような真剣な表情で見つめてきた。
……確かに、細い肩が小さく震えている。だが、彼女の目には力強い意志があった。
「ヴァリシュさん。私、あの人のこと嫌いなんです。同じ悪魔から見ても、あの人は怖いです。でも、私ではアスファさんに勝てないこともわかっています。このまま戦っても殺されると思います。死ぬのは嫌です。でも、あんな悪趣味の塊に付き従って飼い殺しにされるのはもっと嫌です」
だから。フィアが俺の腕にしがみつき、震える声で言った。
「だから……私と逃げてください、ヴァリシュさん」
「何だと?」
「私と貴方だけなら、何とかこの国から脱出出来ると思います。勇者さんが戻ってくるまでの辛抱です、アスファさんを倒せるのは勇者さんしか居ません」
俺にだけ聞こえるように、ひそやかに紡がれる言葉。一体どれだけ必死なのだろう。まるで映画のヒロインのように悲痛な面持ちのフィアが、あまりにもいつもの彼女らしくなくて。
つい、吹き出すように笑ってしまった。
「ふっ、ふふ……あはは!」
「ちょっ、笑わないでください! 私は真剣に――」
「もう決めた、俺は逃げない。逃げたいのなら、お前だけで逃げれば良い」
でも。フィアを見下ろしながら、俺はふっと小さく笑った。
「お前が居れば、何だかあいつに勝てる気がする」
「え……そ、それ本気ですか?」
「おやおや、ずいぶん見くびられたものだね」
ぽろんぽろんと、ハープの音色が響く。本当に、自分でもなぜかはわからないが。勝機が見えた気がする。
剣を抜いて睨めば、薄ら寒い笑顔でアスファが俺を見返してくる。
「きみはどんな時でも私情を挟まず、冷静に物事を判断できる男だと思っていたけど。意外と怖いもの知らずなんだね?」
「幻滅したなら、諦めてくれると嬉しいんだが」
「まさか。若気の至りってやつだろう? それに、凶暴な獣の牙を折って手懐けるのも楽しいからね。わからないなら……思い知らせてあげれば良いだけさ」
息も出来ないような爆風と共に、アスファの背中から巨大な悪魔の翼が生える。大きく緩慢に羽ばたいた次の瞬間、一際荒々しくハープの弦を掻き鳴らした。
この動きは、知っている。
「さあ、ヴァリシュ。勇者でもないただの人間がボクに盾突くとどうなるか、その身をもって知るが良い!!」
「ヴァリシュさん!?」
俺はフィアの肩を突き飛ばし、剣を構える。傍から見れば、相当無謀な光景なのだろう。でも、俺だけはわかった。我ながら、相当運が良い。柔らかくも鋭い音色が眩いたのを見計らい、俺が左に飛んだ次の瞬間。
凄まじい勢いで三叉の槍が、俺の髪を数本奪った。
「――え」
間の抜けた声を上げたのは、アスファの方だった。どうやら手加減していたようだが、それでも避けられるとは思ってもいなかったのだろう。
その隙を突いて、今度は俺が剣で斬り付け反撃した。慌てて飛び退ったが、彼のコートを割いて腕に傷を負わせることに成功した。
「な、何で……勇者でもないただの騎士が、どうしてボクの攻撃を避けられるんだ!?」
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