四話 俺にとっての倒すべきラスボス


 異様なまでに穏やかな景色だった。賑やかな子供達の声に混じって、ハープの音色とビロードのような滑らかな声が聞こえてくる。

 思わず、俺とマリアンは足を止めた。


「――そう、そして苦労の末にボクはついに手に入れたのさ。かつて世界に名を馳せた大海賊ヒューベルトが魅了されたという宝石、セイレーンの涙をね。どうだい、美しいだろう?」

「わあ、凄くきれいな宝石! 日の光に当たってキラキラ輝いてる!」

「あたしにも見せて見せて!」

「あ、あれ? ヴァリシュ様……悪魔の姿がどこにもありませんね。それに、あの方は一体……旅人さん、でしょうか」


 マリアンがきょろきょろと辺りを見回しながら、不安そうに言った。確かに、街を襲ったという悪魔の姿はどこにも無い。はしゃぐ子供達からは怯えている様子も窺えず、気儘に立ち寄ったらしい旅人と遊んでいるだけだ。

 まるで、この孤児院だけが混乱から切り離されたかのように感じてしまう。


「ああ、ヴァリシュくんにマリアンさん。良かった、来てくれたのね?」

「エマさん! 無事で良かった。この辺りまでは魔物も来なかったみたいですね」 


 俺達の存在に気がついたエマが、不安そうな様子で駆け寄って来た。定期的に寄付をしに来ているからか、マリアンともすっかり仲良くなっているようだ。

 だが、俺達の顔を見ても彼女は表情を曇らせたままだ。


「さっきの凄い音、悪魔が城壁を攻撃してきたんでしょう? 魔物も街の中に入って来たって、たまたま通り掛かった旅人さんに聞いたの」

「そうだったんですか。その旅人さんって、あそこにいらっしゃる方ですか?」

「ええ。騎士団は街に入って来た魔物の対処で手一杯だから、落ち着くまでここで待っていようって言ってくれたの。心配だったけれど、腕には自信があるから用心棒だと思ってくれって。ふふっ、子供達ったら、旅人さんのお話にすっかり夢中になってるみたい」

「なるほど……ヴァリシュ様、あの方は旅の吟遊詩人さんでしょうか。とても素敵な装いをしていますね」


 エマとマリアンが旅人の方を見やる。吟遊詩人とは、主に楽器を片手に物語を歌う者を指す。気儘な旅を楽しむ者も居れば、商いの傍らで行っていたり、戦争や疫病の悲痛な歴史を伝えようと使命感に突き動かされている者も多い。

 旅人は移動の効率を重視する為に、服装は地味で機能性を優先していることがほとんどだが、吟遊詩人は違う。歌や楽器を生業としている為に綺麗で華美な姿をしている。目の前に居る旅人もそうだった。

 白を基調としたロングコートに、鍔の広い中折れ帽。のんびりとした話し方に、彼の指が小さなハープを奏でる度に、ポロンポロンときらびやかな音が響く。背丈は俺と同じくらいだが、中性的な容姿と華奢な体格である。


「ところで、キミ達はヒューベルトという海賊を知っているのかな?」

「んー、知らなーい」

「聞いたことないよー」

「む、そうか。たった五百年くらい前の話なのに、もう忘れられたのか……それじゃあ、このセイレーンの涙はキミにあげよう」

「えっ、良いの!?」


 旅人がネックレスを自分の首から外して、一番手前に居た少女に渡した。大きな雫型の宝石がきらりと輝く。貴金属や宝石の類には全く詳しくないが、少なくともそれがとんでもなく高価な代物であることだけは何となくわかった。


「良いさ。誰も欲しがらない宝石なんて、ボクには相応しくないからね」

「やったあ、ありがとう!」

「えー、良いなぁー」

「な、なんか……ちょっと、変わった人ですね」


 宝石を貰った少女を、他の子供達が羨ましそうに囲む。その様子にマリアンが目を見張った。太っ腹だ、と言えば都合は良いが。


「と、とにかくお話を聞いてみましょう。あの、すみませ――」

「マリアン。エマさんと子供達を頼む」

「え……ヴァリシュ様?」


 駆け出そうとしたマリアンを片手で制し、俺は一人で旅人に近づく。にこりと、旅人が笑い掛ける。


「やあ、騎士さん。悪魔に襲われるなんて災難だったねぇ。街に入り込んだ魔物退治は終わったのかな?」

「一体何のつもりだ、強欲の悪魔」


 俺の言葉に、孤児院の空気が一瞬で変わった。エマが目を見開き、信じられないと口元を手で押さえる。マリアンも呆気にとられたようだが、すぐに剣を抜いて旅人を睨みつけた。

 くすりと、旅人が口角を上げる。


「……よくわかったねぇ? 僕の変装を肉眼で見破ったのはキミが初めてだよ。キミが噂の騎士団長ヴァリシュで良いのかな? へえー、ふーん。なるほど。人間にしては、随分見た目が良いじゃないか」


 じろじろと無遠慮に見つめてくる血色の瞳。彼が動く度に、腰まで届く銀色の三つ編みが猫の尻尾のように気儘に揺れている。最初に見た時からわかっていた。

 強欲の悪魔、アスファ。こうして見る限りは、優男風の吟遊詩人にしか見えない。だが、悪魔の見た目は実力に比例しない。

 のんびりした話し方に、人懐っこい小型犬のような仕草。しかし、滲み出る狂気を隠す気は無いらしい。寒気がする程に無邪気な笑顔で、彼は言った。


「うんうん、合格だよヴァリシュ。ボクはきみが欲しくなった。だから、キミをボクの新しい眷属にしてあげよう」

「な、何ですかそれ!?」


 俺よりも先に、マリアンが声を荒げた。不思議そうにアスファが首を傾げる。


「え、騎士のくせに知らないのかい? 眷属っていうのは、悪魔の従順な下僕のことさ」

「それは知ってます! で、でも。どうして、ヴァリシュ様を!?」

「どうして? 決まってるじゃないか、。いやー、あのラスターとかいう勇者に眷属が全員やられちゃってさぁ。面倒なことは全部眷属にやらせてたから、不便で仕方がないんだよね」


 クスクス、とおかしそうに笑うアスファ。殺された眷属のことなど何とも思っていないらしい。


「ボクはね。誰よりも優れていて、何よりも美しいものが大好きなんだ。でも、ただ美しいだけじゃ物足りない。そこに付加価値がないと、手に入れる意味が無い」

「付加価値?」

「そう。国王が何代にも渡って引き継ぐ秘宝、誰かと永遠を誓いあった人間。そういう、既に誰かにとって既に唯一無二のモノがボクは欲しいんだ。誰かが熱烈に欲しているものをボクのモノにする愉楽ときたら……他に比べられるものはないね。その石みたいに、美しくとも誰も知らない物なんて無価値だよ」


 アスファが少女に渡したネックレスを指差しながら言った。全身の肌が泡立つ感覚に呻きたくなる。全く、こうして対話すると改めて彼の異常性を思い知る。

 誰かにとって掛け替えのないものこそ欲しくなり、奪う。彼の『強欲』とはそういうものだ。


「というわけで、ヴァリシュ。ボクのものにならないかい? 他の悪魔みたいに身体や頭を改造したり、憂さ晴らしに痛めつけたりはしないからさ。大事に可愛がってあげるよ?」

「断る。悪魔の眷属になんかなるくらいなら、この場で首を切って死んだ方が遥かにマシだ」

「わお、カッコいい! ……じゃあ、こうしよう。キミ一人が我慢すれば、この国の人間達を全て見逃してあげる。でも、もし嫌だと言ったら――」


 刹那、穏やかだった景色が豹変した。妖しく嘲笑ったアスファの背後から凄まじい量の暗黒の霧が溢れ出し、視界をあっという間に覆った。反射的に腕で目を庇うも、もはや何の意味もない。

 再び目を開けると、視界に映るあらゆるものが暗黒に染まっていた。気持ちの良い青空は不気味な紫に染まり、暖かだった空気が刺すように冷たい。


「う、うわあーん! 怖いよー!」

「な……何ですか、これ!? ヴァリシュ様、一体何が起こっているんですか!」

「アスファの包囲魔法だ。囚われた生物は、あの紫の空が広がる範囲から逃れられない」


 突然の異変に、子供達だけではなくマリアンまでもが取り乱してしまった。無理もない、俺だって発狂しそうなくらいなのだ。


「へえ、詳しいね。知ってるなら話は早いよ。この魔法が持続する間は、誰も逃げられないし勇者でさえ助けに来ることは不可能だ。ああ、時間を稼ぐことはオススメしないかな。ボクの集中力が切れる頃には、キミ達は備蓄どころか畑の雑草まで食い尽くして餓死しているだろうから」 


 さあ、とアスファが続ける。


「どうする、ヴァリシュ。大人しくボクの眷属になって一緒に来てくれるなら、すぐにこの魔法は解除しよう。でも、拒絶するならずっとこのままだ。気が狂った人間達が何をするか、楽しみだね?」

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