三話 いつの間にか、大切な人がとても増えた


「と、ところでヴァリシュ様。アスファに勝てる見込みとは、一体何なのですか?」


 避難する人々の合間を縫いながら駆けていると、後方からマリアンが問い掛けてきた。やれやれ、それを今聞くか。

 俺は振り返らないまま、素直に白状することにした。


「悪い、それは嘘だ。そんなものは無い」

「は、はいぃ!?」

「ちょ、本気ですかヴァリシュ様!」

「ふん。仕方ないだろう、あのままでは陛下がしがみついてでも引き止めてきそうだったからな」


 ははは、と笑い飛ばしてみる。二人とも後方に付いていてくれる為に表情が見えないが、恐らく相当呆れられていることだろう。

 いや、勝てる見込みは一応ある。ただ、それはアスファが俺の記憶通りの悪魔であった場合に限る。フィアのように少々様子が違ったり、はたまた全く別の悪魔だったりしたなら俺の思惑は通用しないだろう。現にこの国まで来ている以上は期待するべきではない。

 ……あれ、そういえばフィアはどこに行ったんだ?


「ヴァリシュ様、前方に魔物です!」


 一際大きい悲鳴が前方から上がると、アレンスが叫んだ。巨大で鋭い牙を持つイノシシ型の魔物が、地面を蹄で掻いて威嚇している。近くの森でよく見る種類であり、どうやら騒ぎに乗じて街中にやってきたのだろう。

 五十メートル先に、三体のイノシシ。図体の割に動きは鈍く、大して強くはない。


「このまま各自撃破だ、余裕だろう?」

「もちろんです!」

「はいっ!」


 剣を抜き放ち、一気に距離を詰めて魔物を斬り伏せる。キマイラに比べれば雑魚だ。抵抗を許さず、一撃で仕留める。

 アレンスやマリアンも、それぞれの剣で素早く魔物を倒した。ずしん、と地面を震わせて倒れる魔物達。屍はこのままにしておくしかないが、目の前の危機が去ったお陰で人々がいくらか落ち着きを取り戻したようだ。


「ヴァリシュ様!? マリアンに、アレンスまで」

「メネガット隊長、ご無事でしたか!」


 前方に第一部隊の騎士達の姿が見え、掻き分けるようにしてメネガットが駆け寄って来た。その顔には焦りだけではなく、困惑の表情も見て取れる。


「ど、どうして此処に!? ヴィルガとエルーには会わなかったのですか?」

「いや、城門のところで会ったが……そうか、ヴィルガ隊長が悪魔の言葉を隠そうとしたのは、貴殿の指示か。メネガット隊長」

「え? め、メネガット隊長……どういうことですか?」


 マリアンがメネガットに問い質す。一時期はメネガットに怯えていた彼女だが、状況が状況なだけになりふり構っていられないらしい。

 そんな彼女に、メネガットが苦渋の表情を浮かべる。


「……ヴァリシュ様。悪魔の狙いが何かはわかりませんが、今の貴方は騎士団の要です。貴方に何かあれば、騎士団は内部崩壊します。そしてそれは、王国の危機にも繋がる由々しき問題です。お願いです、このまま引き返してはくれませんか?」

「心外だ、俺は団長一人が死んだら崩壊するような騎士団を作った覚えはないが。何の為の働き方改革だと思っているんだ」

「そういう組織的な問題ではありませぬ。貴方はもう、貴方が思っている以上に信頼を置かれているのです」


 メネガットの言葉に、嘘は感じられなかった。ほんの少し前は、騎士団長に相応しくないと斬り掛かってきたくせに。

 ……マズい、泣きそうだ。


「それなら、尚更逃げるわけにはいかない。騎士団は大丈夫だ、貴殿やヴィルガ隊長、エルー隊長が居るし、アレンスとマリアンも居るからな」

「ヴァリシュ様!」

「メネガット隊長、第一部隊はこのまま魔物の掃討に当たってくれ。他の部隊に、国民達の避難を頼んである。後は各自判断に任せる。皆を護る為に力を貸して欲しい」


 それだけ言い付けて、俺はメネガットの静止を振り切り再び走り出す。孤児院が近づくに連れ、人通りが徐々に少なくなっていく。時折第一部隊の包囲網を掻い潜った魔物が行く手を阻んだが、大した障害にはならない。

 だが、思わぬ場所で足止めを食らうことになってしまった。


「お待ちください、ヴァリシュ様。錬金術工房に、まだ誰か残っているようです!」

「何だと!?」


 あともう少しなのに! マリアンの声に急いでUターンすると、もはやすっかりお馴染みになってしまった錬金術工房に飛び込む。

 いつかとは違って『閉店中』の札が掛かっていたが、構っている暇は無かった。


「リネット、無事か!?」

「わっ、ヴァリシュ!? どど、どうしたの、何かあったの?」


 俺の姿に驚いたのか、リネットが慌てて作業の手を止めて俺の方を振り向いた。この反応……まさか、外で何が起こっているのか気がついていないのだろうか。

 ラスターと訪ねてきた時も、外から掛けた声に気が付かなかったくらいだし。集中すると周りを遮断してしまうタイプなのだろう。


「リネットさん、悪魔が街を襲撃してきたんです! 魔物も街に入ってきてしまって、街の皆さんに避難して貰っているんです。リネットさんも早く、ここから避難してください!」

「え、ええ!? 何なのよそれ、何でこんな時に……ふんっ、冗談じゃないわ! もう少しで出来るのに、今止めちゃったら台無しじゃない!」


 マリアンが説得を試みるも、リネットは聞く耳を持たずに再び作業を再開してしまった。こちらに背中を向けている為に、一体何を作っているのかよく見えない。

 彼女の背中からとんでもない気迫だけは伝わってくるが、だからと言ってこのまま置いて行くわけにはいかない。


「リネット……これ以上時間をかけることは出来ない。避難する気が無いなら、力づくでも連れて行くが?」

「うええ!? そ、それはそれで良いかも……って、違う違う。本当に、あとちょっとなの! もう少しで出来るから、そしたらちゃんと逃げるから!」


 お願い! 背を向けたまま、リネットが叫ぶ。彼女の異常なまでの真剣さに、押し負けたのは俺の方だった。

 仕方がない、本当に時間が無いのだ。このままリネットを連れ出せば暴れるだろうし、暴れる彼女にこれ以上構うことも出来ない。


「……アレンス、リネットに付いていてくれ。彼女の作業が一段落したら、避難所へ連れて行って欲しい。お前が危険だと判断したら、引き摺るなり担ぐなりして連れ出せ。俺とマリアンはこのまま孤児院へ向かう」

「し、しかし」

「頼む、彼女には何かと世話になっているんだ。こんなところで見放すわけにはいかない」


 頼む。俺が頭を下げて懇願すれば、苦渋の表情でアレンスが頷く。


「……わかりました。彼女の安全を確保した後、すぐに自分も孤児院に向かいます」

「ありがとう、頼んだ」


 アレンスの肩を軽く叩いて、俺とマリアンは工房から出た。辺りにはすっかり静寂が広がっている。避難が進むと同時に、魔物の侵攻も食い止められているのだろう。

 街の方は、騎士団の皆に任せておけば大丈夫だ。彼らを信じて、俺は俺のやるべきことをしなければ。


「……ヴァリシュ様、大丈夫ですか?」

「ああ、問題無い。行くぞ、マリアン」

「は、はい! どこまでもお供します!」


 ビシッと、マリアンが騎士の礼を返す。一緒に過ごした時間はそれほど長くないのに、随分と頼もしくなったものだ。人間はこんな短期間で変われるものなのか、と噛み締めながら先に進む。

 景色が変わり、徐々に孤児院が見えてくる。すると、俺でも想像出来なかった光景が視界に飛び込んできた。

 

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