八話 彼が帰ってくるのを、ここで待つ


 無事にエリンの白砂を持ち帰った翌日の朝。再び旅立つラスターを見送ってやろうと、凄まじい努力の末に起床に成功した。空は黒から青へグラデーションがかっており、夜の静寂が徐々に活気へと塗り潰されていくようだ。

 うーん、しかし眠い。このままだと床に倒れて寝るか、壁にぶつかって寝るかどちらかの目に遭いそうだ。ふらふら歩いていると、丁度通り掛かったマリアンが駆け寄ってきた。


「ヴァリシュ様。おはよう御座います!」

「ん? ……ああ、おはようマリアン」

「あ、あのう。ヴァリシュ様、歩きながら寝てませんか? しっかり起きてください!」


 両肩を捕まれ、ぐらぐらと揺さぶられる。お陰で少し目が覚めた。


「うあ、揺らすな……ところで、こんな時間にマリアンは何をしているんだ?」

「えっと、朝稽古です。走り込みしたり、筋トレしたり簡単なものですけど」


 欠伸を噛み殺しながら聞いてみれば、マリアンが照れ臭そうに答えた。悪魔に取り憑かれた後、自分を鍛え直す為に始めたらしい。

 なるほど、目を覚ますには良い方法かもしれない。


「ヴァリシュ様はどうしたんです? 用事ですか?」

「ああ。ラスターを見送ってやろうと思ったんだが、見なかったか?」

「ラスター様なら先程お会いしました。城門の方に行きましたよ」

「そうか、わかった。ありがとう」


 一旦マリアンと別れ、城門に行くとラスターの姿が見えた。大きな後ろ姿に声を掛ければ、ラスターが俺に気づいて大袈裟に驚いて目を見開いた。

 

「おお!? もしかしてヴァリシュ、見送りに来てくれたのか? よくこんな時間に起きられたな」

「ふん。悪魔王と決着をつけに行くのなら、もしかしたらこれでお前を見るのも最後かと思ってな。せっかくならその姿を拝んでやろうと思ったら、自然に目が覚めたんだ」

「縁起でもないこと言うなよー」


 わざとらしく肩を落とすラスターに、俺は思わず笑ってしまった。もちろん、ラスターが負けるだなんて思っていない。こいつの強さは俺が一番よく知っている。


「冗談だ。お前はイマイチ頼りないが、お前の仲間達が優秀なのを知っているからな。何も心配していない、思いっきり戦って来い」

「仲間達……か」


 ラスターが腕を組んで、うーんと悩み始める。そして改めて俺を見ると、真剣な表情で言った。


「なあ、ヴァリシュ。やっぱり、お前も来ないか?」

「何だと?」

「昨日のお前の戦いを見て思ったんだ。なんていうか、一緒に居てくれたら安心できるっていうか。背中を預けられるっていうか。仲間達のことは信頼してるけど、一番信じられるのはやっぱりヴァリシュだからさ」

「買いかぶりすぎだ」


 正直なところ、ラスターの申し出は魅力的だった。この手で悪魔王を倒せば、ラスターに追いつけるかもしれない。子供の頃からの悲願を達成出来る、またとないチャンスだ。

 ……でも、俺は頷くつもりはない。


「それに、昨日一日誰かさんに連れ回されたせいで仕事が溜まっているんだ。俺はこの国の騎士団長として、やっと認めて貰えるようになったばかりだ。もう一度、役目を放棄するつもりはない。俺は、俺達の故郷を護ることに命を懸けることにするよ」


 不思議なことに、今は何よりも騎士団長としての役目が大切だと感じている。大切な人達が居るこの国を、たった一人の親友が帰ってくる場所を護る。

 大それた目標だが、悪くない。


「う……で、でもよ」

「情けない声を出すな。別にお前一人で行くわけじゃないだろう」

「でも……もし、仲間達が付いて来てくれなかったら」


 がっくりと肩を落とすラスター。もう一発殴ってやろうかと拳を握ったその時、ラスターの肩越しに誰かが駆け寄ってくるのが見えた。

 思わず吹き出してしまった俺に、ラスターが眉をひそめる。


「な、なんだよ。笑うな! これでも真剣に悩んでるんだっつの!」

「ふっ、くく。悪い、堪えられなかった。でも……それは杞憂のようだぞ」

「杞憂? 何で」

「おーい、ラスターくーん!」


 ぶんぶんと大きく手を振りながら、ラスターを呼ぶ女性。豊かな亜麻色の髪を緩く一つに纏め、薄い青色の修道服を着込んだ彼女の存在に振り向いたラスターが飛び跳ねる程に驚いた。


「え、リアーヌ!? なな、何でここに居るんだ?」

「えへへ、驚いた? ラスターくんを驚かせようと思って、わたしの方から迎えにきてみたんだよ」


 軽く乱れた息を整えながら、にっこりとラスターに微笑みかけるリアーヌ。他の仲間二人とは違って、彼女も俺やラスターと同じ孤児院の出身なのだ。

 だが、彼女が持つ癒やしの力のお陰で聖女として扱われ、城下から離れた山岳地帯にある修道院で成人まで過ごしていたのだ。だから、一応は幼馴染なのだがラスターとは違い親交は深くない。

 そんな彼女がラスターを迎えに来るのも、記憶通りの展開である。ただ、俺だけがイレギュラーなのだが。そのことに対する不自然さは無く、リアーヌがぺこりと頭を下げた。


「おはよう、ヴァリシュくん」

「おはよう、リアーヌ。まさかここまで徒歩で来たのか?」

「いえいえ、途中まで旅商人さんの馬車に乗せて貰ったの。短い一人旅だったけど、楽しかった!」

「オレが迎えに行くって言ったのに……」


 ほわほわと楽し気なリアーヌに、ラスターが頭を抱えた。悪魔王を倒すべく旅をしているにも関わらず、のんびりとした彼女はどうも危機管理能力に欠けている。田舎の修道院で育ったせいだろうか。

 でも、彼女はラスターを振り回せる数少ない存在である。現に振り回されているラスターが面白くて堪えるのが大変だ。いや、お似合いだと言うべきか?


「リアーヌ、ラスターをよろしく頼む。昨日からついさっきまで、ずっとウジウジしていたんだ」

「ウジウジなんてしてねぇよ!?」

「あはは! 多分そうだろうなって思ってた。任せて。ラスターくんと一緒に、必ず悪魔王を倒してくるからね!」


 両手をぐっと握り締めて意気込むリアーヌは、もはやラスターより頼もしい。そんな俺の心の言葉が伝わったのだろうか、ラスターがやけくそと言わんばかりに喚いた。


「あーもうわかった、わかったよ! 絶対に勝って帰ってくるから、ヴァリシュはここでちゃんと待ってろよ? 悪魔王の首を手土産にしてやるぜ」

「そんなおぞましい土産は要らん」


 互いの拳を突き合わせれば、ラスターがにかっと笑った。そして再び旅立つ彼を俺は見送る。

 すると、リアーヌが俺を見てにこりと笑う。


「ヴァリシュくん……以前に会った時よりもずっと良いお顔になったね」

「む、そうか?」

「うん。凄く思い詰めていたみたいだから、心配していたんだけど……ふふっ、誰か心を許せる人でも出来たのかな?」

「は、はあ? きみは何を」

「おいヴァリシュ! リアーヌまで口説くな!」


 少し離れた場所から、ラスターが喚いた。断じて口説いてない! と言うか、までって何だ!


「あはは。ではヴァリシュくん、行ってくるね?」


 小さく手を振って、ラスターを追い掛けるリアーヌ。そんな二人を見送っていると、何だか妙に羨ましくなってしまった。


「……良いな、羨ましい」

「ほーう? 今度は修道女ですか。ヴァリシュさんはその顔面と声と口先を使ってハーレムでも作りたいんですか」


 爽やかな朝には全く似合わない怨念をぶつぶつとまき散らしながら、鳩の姿でフィアが頭に乗ってきた。近くに居た門番がチラっと見てきたが、もう何も感じない。

 と言うか、こいつ。結局ラスターでも手に負えなかったな。


「人聞きの悪いことを言うな。そんなこと、考えたこともない」

「ほんとですかぁ? だって今、あの女を見て鼻の下を伸ばしてたじゃないですか。騎士団長ともあろう御方がっ」

「違う、鼻の下なんか伸ばしていない。変な勘違いをするな。俺は、世界中を旅出来る彼等のことが羨ましいと思っただけだ」


 きいきいと鳴くフィアには溜め息しか出ない。どうしてそういう発想になるんだ、そこだけ色欲の悪魔っぽいのはどういうことなのか。


「旅、ですか? ヴァリシュさん、旅がしたいんですか?」

「……少しだけな。昨日のような魔物が出るダンジョンには行かなくても良いが、他の国や世界中の景色は見てみたいと思った」


 前世は引き籠りがちな生活で、それを苦にも思わなかったが。不思議なことに、今はもっと色々なところに行ってみたい。

 確固たる目的など持たず、自由に世界を旅してみたい。復讐に代わる夢としては、我ながら上等ではないだろうか。


「ふうん。じゃあ、その時は私と一緒に行きましょう!」

「……何で、お前となんだ」

「良いじゃないですかっ。ヴァリシュさんは一人で居るとダメになる人ですから、私がちゃんとフォローしてあげないと」


 ふんふんと鼻息を荒くするフィア。ふと、リアーヌが言った言葉が蘇る。気を許せる者とは……一体誰のことを指しているのだろうか。


「そもそも、喜ぶべきところですよヴァリシュさん! こーんなに可愛くて、気が利いて、料理も出来る女の子が誘ってるんですからっ」

「料理……消し炭を大量生産していたあの行動が料理だと言うのか?」

「うっ、それはこれからです! 包丁が使えるようになっただけでも褒めてください! 女の子は褒められないと死んじゃう生き物なんですからー!!」

「うわ、こら暴れるな」


 ばさばさと頭上でフィアが暴れる。たった今、勇者ラスターが悪魔王を倒しに向かったというのに、当事者である筈のフィアは何一つ変わらない。もしかして、本当にずっとくっついてくる気なのだろうか。

 ……それも悪くない、なんて思ってしまう辺り。


「焼きが回ったのだろうか」

「え、何ですか。今、私のこと褒めてくれました?」

「褒めてない。お前の耳はどれだけ都合良く出来ているんだ」


 眉間を指で押さえながら、溜め息を吐く。あまり深く考えないでおこう。そうだ、時間もあることだしマリアンに付き合って俺も朝稽古でもしてみるか。

 すっかり見えなくなった二人の後ろ姿に、俺は俺の役割を果たすべく踵を返し城へと戻ったのだった。

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