七話 親友よ、歯を食いしばれ


「いっ……たぁ……!?」


 砂浜に倒れ込み、ゴロゴロと転がってラスターが悶絶する。もちろん、戦いを生業としている騎士として人間の急所は全て把握している。顎に打撃を加えると、衝撃で脳震盪などを起こす場合もあるのでかなり危険だ。

 しかし、忘れてはいけない。ラスターは勇者だ。神の祝福を受けているゆえ、馬鹿力であると同時に肉体もかなり頑丈に出来ている。俺の打撃くらいでは精々腫れる程度で済むだろう。

 それでも、もう十分だった。


「お、お前……いきなり何するんだ」

「……ククッ」

「ヴァリシュ?」

「はは、あっははは! なんという情けない姿を晒すんだ、ラスター。く、ふふ……勇者のくせに、ははは。あー、清々した」


 笑いが止まらなかった。こんなに楽しいのは、転生したことを思い出してから初めてだ。大人になってから、腹が痛くなる程笑えるなんて思わなかった。

 それに、あんなにも気が狂いそうな憎しみが跡形も無く消え去るなんて!


「あのー、ヴァリシュさーん。どうしたんです、勇者さんが憎すぎてついに壊れちゃいました?」

「至って平常運転だ。それに、こいつを恨むのも何だか馬鹿馬鹿しくなった」

「え、恨む? オレ、お前に何かしたか!?」


 慌ててラスターが立ち上がると、髪や鎧から白い砂がザラザラと零れ落ちた。そんな様にすら吹き出してしまいそうになるのを必死に堪える。


「別に。俺が忘れていただけだ。お前が、どれだけ情けないやつだったのかを」


 やっと思い出した。前世の記憶ではなく、ヴァリシュの思い出を。見ての通り、ラスターは一人で何でも出来る完璧超人などではない。むしろ真逆だ。


「俺が居たから、か。確かに、そうだな。お前は、自分の為だけでは動くことが出来ないやつだ。誰かが見ているから、誰かの為になるなら。そういう理念でしか行動出来ない男だ。お前のそういうところは美徳だが、同時に弱点でもある」


 傍から見れば、ラスターは他人の為に身を粉にする善人に見えるだろう。勇者として誰もが認めるに違いない。だが、それでは駄目だ。

 誰かの為だけに戦っていては、彼は負ける。善意だけで戦える程、この世界は優しくない。ヴァリシュの死が、その象徴だった。親友である俺を手に掛けさせることで、世界はラスターに思い知らせたのだ。


 ……でも、俺は絶対に死にたくないので別の方法でわからせてやろう。


「ラスター、お前は一体何の為に悪魔と戦っているんだ?」


 ラスターに詰め寄り、碧眼を睨む。もう俺はこいつから目を逸らさない。誰の為でもなく、自分の為に。


「お、オレは……お前が、これからずっと平和に過ごせるようにしたくて」

「それなら、なぜ剣から手を離した? 俺が本当に悪魔と契約していたら、どうするつもりだったんだ。まさかお前、?」


 俺の言葉に、ラスターが息を飲んだ。考えてみれば、俺とラスターが居る場所は思っていた以上に近いのかもしれない。でも、同じではない。

 ラスターが他人を主軸に物事を考えるなら、逆に俺は自分自身を中心にしなければ何も出来ない人間なのだ。


「もうわかっただろう? お前のやり方では、必ず矛盾が生じる。だから、迷ったら俺がどうするかを想像してみろ」

「お前、が?」

「もしもお前が悪魔に唆されて俺を殺しに来たら、全力で抵抗してお前を殺す。俺が親友殺しの罪を被った方が遥かにマシだからな」


 はっ、と目を見開くラスター。どうやら、少しは理解したらしい。彼に足りないものは、自分がどうしたいかを考えることだ。それが出来るようになれば、彼はきっと悪魔王を倒せる。

 恐らく、俺が自己中心的な性格だからラスターは今のような考え方になったのだろう。いや、逆か? どっちでも良いか。


「……お前はいつも、俺の先を行っている。それが悔しくて堪らなかったし、妬んでもいた。だから、お前が護ってくれようとしていたことには嬉しいよりも腹立たしい方がずっと大きい。お前には敵わないが、だからと言って庇護対象にされるのは気に食わない」


 砂に埋もれかけたラスターの剣を手に取り、持ち上げてみる。金や銀で彩れ、神聖な力を持つと言われている赤い宝石があしらわれた勇者の剣はずっしりとかなり重い。

 俺では両手で構えたとしても、まともに扱うことは出来ないようだ。


「俺はお前が思っている程弱くない。心配など無用だ。お前は勇者として、悪魔を倒すことだけ考えていれば良い。もう二度と剣を手放すな、わかったか?」

「……お前が弱いと思ったことなんて、一度もねぇよ」


 ラスターが俺から剣を受け取り、砂を払うように軽く振る。まるでハエたたきでも振り回すかのように扱うのだから、本当に馬鹿力だな。


「ヴァリシュ……オレは、お前の方が凄いと子供の頃から思ってたんだぜ。だから、ずっと追い付きたくて頑張ったんだ。それなのに、まさかお前も同じことを考えてたなんて知らなかった」

「そういう冗談は好きじゃない」

「本当だって! 庇護したいんじゃなくて、お前を見返したいだけなんだ。だって、お前と口喧嘩すると勝てたこと一度もねぇんだもん。今みたいに反論しようがないくらい論破されるの、スッゲェ悔しいんだからな」


 ふっ、とラスターが小さく笑った。目の前の顔にはもう困惑の表情は無い。


「……お前になら、この剣を託しても良いと思ってるんだけど」

「お断りだ。そんな重い剣は俺の腕では扱いきれない」

「あはは、そうか。じゃあ、やっぱりオレがやらないといけないな。ふふん、二度とヴァリシュに貶されないような一人前の勇者になってやるぜ。あの癖の強い隊長達が、揃いも揃って慕う程の立派な騎士団長に負けないようにな」

「……何のことだ?」

「おいおい、会議室での話を聞いてなかったのかよ。ヴァリシュって結構人の話聞いてないよなぁ」


 吹き出すように、ラスターが笑う。すっかりいつもの彼に戻ったようだ。


「隊長達が言ってたぜ? 『ヴァリシュ様の負担が減るようなアイテムがあったら、ぜひとも教えてください!』って。だからオレ、天使の鏡の話をしたんだ。オレが団長だった頃、オレの負担を減らしたいなんて言われたことないぜ?」

「え……そ、そうなのか」

「ヴァリシュさんって自分大好きな割に、他人の反応には物凄く鈍感ですよねぇ」


 いつの間にか聖水ミストが海風のせいで失くなってしまったようだ。俺を盾にするかのようにして、フィアが背後から抱き着いてくるなりラスターを睨んだ。

 鎧越しにも伝わってくる柔らかい圧迫感が何なのか、考えないでおこう。


「うふー。でもでも、ヴァリシュさんのそんなところが好都合なフィアちゃんなのでしたー。まさか勇者まで誑し込むとは思いませんでしたが、まだ私の方が大きくリードしてますからね」

「……話は変わるが、ラスター。こいつをどうにかしてくれ。何回窓から投げても、コバンザメみたいにくっついてくるんだ」

「お、おう。すっかり忘れてたな」

「ちょっとぉ! こんなにセクシーで可愛い女の子を何でサメ扱いするんですか! せめてもっと可愛い動物にしてくださいよ!」


 ぎゃんぎゃんと喚くフィアに、おろおろと困り果てるラスター。結局、日が暮れ始めた頃に俺が諦めるまで、悪魔と勇者の攻防は続いた。


 

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