六話 勇者の弱さ
「ふー、やっとここまで来られたな。風が気持ち良い……」
記憶は正しかった。魔物の巣と化した遺跡を進んで行くと、通路に空いていた大穴から外に出ると砂浜へと出ることが出来た。オルディーネ王国は夏が近付いてきたというのに、ここの海風は少し冷たい。
先に飛び出したラスターが大きく伸びをした。確かに、風が気持ち良い。フィアも羽根を大きく広げており、心地良さそうだ。
「なあヴァリシュ、この砂がエリンの白砂で良いと思うか? リネットが言うように、砂糖みたいに白くてサラサラしてるけど」
砂浜にしゃがんだラスターが、足元の砂を手で摘む。俺もその場に膝を付き、指先で砂に触れてみる。
まるでグラニュー糖のように真っ白で、きめ細やかな砂だ。リネットが言っていた特徴に合致する。
「ああ、多分な」
「よっしゃ、じゃあこの砂を持ち帰るか。確か、使ってない革袋が……あ、あった」
ラスターが取り出した真新しい革袋に砂を詰めていく。やれやれ。最初は無謀だと思ったが、無事に見つけられて良かった。この辺りには魔物も居ないようだし、少し緊張を解いても良さそうだ。
そんな油断が、ラスターに悟られたのだろう。
「なあ、ヴァリシュ。一つ聞きたいことがあるんだけどよ」
「何だ、改まって」
「お前にずっと付き纏っているその悪魔は、お前に何をしたんだ?」
気がついた時には遅かった。立ち上がったラスターが剣を抜き放ち、俺に突き付けている。いや、正確には頭上に居座っているフィアにだ。
思わず見返したラスターの表情に背筋が凍った。これまでずっと笑顔だった癖に、今の彼からは何の感情も窺えない。
こんな顔をしたラスターは、初めて見た。
「……へえ。このまま見逃してくれるのかなって思ってましたけど、そう簡単にはいきませんか。流石は勇者さんです。でもあなた、今朝からずっと気がついてましたよね?」
冷ややかに笑いながら、頭上から降りたフィアが本来の姿に戻った。今朝って、ラスターが朝食をたかりに来た時か。
気がついていないと思っていたのは、俺だけだったようだ。
「お前は……まさか、七大悪魔か?」
「正解です。私は色欲のフィア。短いお付き合いになるかと思いますが、よろしくお願いします」
冷酷な微笑を浮かべるフィアに、ラスターが舌を打つ。同時に、彼と目が合った。こんな彼は、見たことがない。
こんな風に鮮烈な怒りの感情を見せるラスターは、初めてだ。
「私を泳がせていた理由は何ですか? てっきり勇者ともあろうお方が、仲間が居ないと悪魔とは戦えないビビリなのかと思っていましたが」
「お前がヴァリシュに干渉していた場合、下手にお前を倒せばヴァリシュにも影響が出る可能性がある。それを見極めてから対処しようと様子を見ていたが、判断出来なかった」
「あは、もしかして直接問い質そうとしてます? それとも、イチかバチか私を屠ってみようとか考えてたり? それでヴァリシュさんが死んじゃったらどうするんです?」
「それ、は」
ラスターの剣先が僅かに揺らいだ。あれ、この展開は覚えがあるぞ。……そうだ、これはすぐに思い出せた。
「あなたは世界を救う勇者さんですものね? 世界を救う為なら、たとえお友達でも敵なら見逃すわけにはいかないですよね。本当の兄弟のように一緒に育ったヴァリシュさんを殺しちゃうんですね、なんてご立派な勇者さんなんでしょう!」
「だ、黙れ!!」
そう、俺の闇落ちはラスターの深い傷となり、悪魔王を倒す為の糧となる。改めて悪魔を敵と認め、何があろうと立ち止まらない為の後押しになる筈。
……あれ、ということは。これは、あの闇落ちイベントと考えて良いのだろうか。でも、俺がフィアと契約しなかった状態でこのイベントを迎えるということは。
「……嫌だ。やめろ、やめてくれ。ヴァリシュを殺すなんて、そんなこと出来るわけねぇだろ」
「お、おい。ラスター」
ついには、ラスターの怒りが焦りに変わった。剣を取り落として、冷静さを失いパニックになりかけている。やっぱり、こんな彼は見たことがない。まさか、ここまで変わるとは思わなかった。
条件が異なる状態でイベントが発生した為に、俺の知らない展開になってしまったのだ。
「ヴァリシュはオレのたった一人の親友で、家族で、相棒なんだ。オレはヴァリシュが居たから生きてこられた。ヴァリシュが居たから、勇者としてここまで来られた。ずっと支えてくれた相棒に恩返しする為に勇者になったのに、護りたかったから戦ってきたのに……」
「ラスター……?」
知らない。ラスターがこんな風に胸の内を明かすなんて、記憶に無い。でも、彼の言葉に嘘はない。こいつが吐く嘘は稚拙であからさまだから、俺にはすぐにわかるのだ。
……何だか、俺の中にあった黒い感情が徐々に晴れていくのを感じる。
「うひょー! ヴァリシュさん、見てください。あの人、すっかりパニックになってますよ。積年の恨みを晴らすなら今ですよ。顔にいたずら書きとか、三回回ってワン! させるとか何でも出来そうですよ!」
フィアがきゃっきゃとはしゃいでいる。とりあえず、こいつは黙らせよう。俺はポーチに入っていた球体を取り出すと、思いっきり砂浜に投げ付けた。
「おっと、手が滑った」
「へ? 何ですかって、きゃあぁー!! 何でヴァリシュさんが聖水爆弾持ってるんですか! ていうか、今投げ付けましたよね? 手が滑ったっていう勢いじゃなかったですよね!?」
「リネットから試作品を貰っていたんだ。後で柔らかい砂に投げてもちゃんと使えたことを報告しないとな」
「ひどい! やっと治ったのに、またお肌が荒れちゃう! ヴァリシュさんはもっと女の子の心を勉強した方が良いと思いますっ」
一瞬で噴き上がるミスト状の聖水から逃げるフィア。いつかの団扇を取り出してぶんぶんと扇いでいるが、焼け石に水というやつだ。
とりあえず、これでフィアはしばらく静かにしているだろう。
「……あ、あれ? ヴァリシュ、何で」
「馬鹿か、お前。俺が悪魔なんかに唆されると、本気で思ったのか?」
フィアは放置して、ラスターの前に歩み寄る。今ここで彼を甘やかして立ち直らせたとしても、この先に待つ悪魔王との戦いで勝てるとは限らない。悪魔と対峙する原動力が足りないからだ。
こうなってくると、俺という後押しが無い以上はどこかで潰されてしまう可能性まで出てきてしまった。だから、別の方法で後押ししてやらなければいけない。
「悪魔を前に剣を取り落とすとはどういうつもりだ? 悪魔の言葉に惑わされ、戦意を喪失してどうする? 殺されたいのか、それとも自分が死ねば俺が助かるとでも思ったのか? どれだけ俺を馬鹿にすれば気が済むんだ、お前は!!」
「なっ、ぐぁ!?」
「ちょ、ヴァリシュさん!?」
ラスターが潰れたような声を出して倒れ、フィアが団扇を扇ぐ手を止めた。俺の中にあった嫉妬、憎悪。そんな黒い感情と、今のラスターに対する苛立ちを全部籠めた拳を繰り出した。
本当ならこういう時、頬をビンタして目を覚まさせたりするんだろうけど。腹立たしいことにラスターの方が背が高いせいでビンタでは威力が出ないと悟ったので。
「ヴァリシュさん……顎は人間の急所ですよ」
顎を思いっきり殴ってやった、グーで。
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