四話 望みは平和、それだけである


「こんにゃろー、悪魔退散!!」

「なっ、リネット!?」

「きゃあああぁ! 何これ、ヒリヒリするぅうう!!」


 足元に投げ付けられた謎の球体。野球ボールくらいの大きさのそれには指が入る程度の穴が空いており、そこからミスト状の何かが吹き出していた。

 ぎゃんっ、と叫んでフィアが森の中に逃げる。一体この靄は何なのだろうか、特に匂いも無ければベタつくわけでもない。だが、彼女達には効果てきめんなようだ。


「ヴァリシュ、大丈夫!?」

「あ、ああ……いや、待て。リネット、お前はここから急いで離れるんだ。マリアンに悪魔が乗り移っている。今の彼女は危険だ」

「ふっふーん! 大丈夫よ、この靄は聖水で出来てるの。破裂草の成分を抽出して、このボールの中に聖水と一緒に詰めたの。地面に投げ付けた衝撃により小規模の爆発が繰り返されて、こうやって辺りに広がるのよ。ヴァリシュにすぐに完成品を見せたくて、試作品や器材を持って来ていて良かったわ!」


 どうよ、と言わんばかりに胸を張るリネットに唖然とする。なるほど、その為に破裂草が必要だったのか。そして、俺とマリアンが戦っている間に錬成をして完成させたのか。

 とんでもなく肝が据わっている。彼女に付き合って破裂草採取に来て良かった。でないと、マリアンを傷つけることになっていただろう。


「でも、一体逃しちゃったわね。試作品はまだあるから、見つけたら投げつけるとして」

「あー……いや。あいつは、その」

「とりあえず、こっちは何とかなったみたいだけどー」


 リネットの言葉に、俺は思わず目を見張る。いつの間にかマリアンが倒れていた。外傷は見られないので、どうやら気を失っているだけのようだが。

 彼女の傍らで、自分の身を抱き締めるようにして蹲るシズナ。聖水のお陰か、どうやら完全にマリアンから分離されたようだ。


「ひい……痛い、痛い。肌が焼ける……」


 ぶるぶると震えながら、怯えた目で俺とリネットを見上げてくる。フィアよりも力が劣るせいか、シズナは聖水でかなりのダメージを受けてしまってもう動けないらしい。


「お、お願い……許して。ほんの出来心だったのよ。死にたくない……死にたくないの……」


 地面に這いつくばって、許しを請うシズナに思わずリネットと顔を見合わせた。許せ、とは笑わせる。


「マリアンにヒドいことをしておいて、図々しいんじゃないの!?」

「ほ、ほんの出来心だったの! わたし、こんなんだからトモダチも居ないし……ずっと、一人で……だ、だから」

「もう良いわ。残りの聖水で消滅するまで漬けてやるんだから!」

「待て、リネット」


 バッグからありったけの聖水の瓶を取り出したリネットを片手で制しながら、俺はシズナに歩み寄った。そして、切っ先をシズナの首に突き付ける。

 ひっ、とシズナが小さな悲鳴を上げた。


「や、やめ……許して」

「聞きたいことがある。お前が先程言っていた、七大悪魔だが。その中で、まだ生き残っている者は誰だ。何人生き残っている?」


 上級悪魔の更に上には、七つの大罪になぞらえて七体の悪魔が存在する。七大悪魔と呼ばれている彼らは、ラスボス前に倒さなければならないボスである。ちなみに信じられないことに、その内の一体が色欲のフィアだったりする。

 とにかく、ラスターはまず七体の悪魔を打ち倒した後で最後に悪魔の王に挑む。だから、誰が生き残っているかで戦況が把握出来る筈。

 街の人間から大した情報が得られなかったので、悪魔から聞いてみようと思ったわけだ。


「ええっと、ご健在なのはフィア様とルイン様、ラーヴァ様、アスファ様です」

「よくわかんないけど、その七体の内まだ四体生き残ってるっていうこと? もー、ラスターってば何やってんのよ!」


 リネットが不満げに唇を尖らせるが、俺の記憶通りならば戦況はかなり終盤に差し掛かっているようだ。

 フィアは置いておくとして。生き残っているのは嫉妬のルイン、憤怒のラーヴァ、強欲のアスファ。この三体はいずれもラストダンジョンで倒す悪魔達である。 

 状況が把握出来たところで、俺に出来ることなんてたかが知れているのだが。気持ちの問題だ。


「そうか、わかった。もう用は無い。さっさと消えるが良い」

「え、それって」

「ちょ、ちょっとヴァリシュ。何言ってんの、コイツは悪魔なのよ? マリアンをヒドイ目に合わせたのよ。このままにしていいの?」


 目を輝かせるシズナに、困惑に瞳を揺らしながらリネットが詰め寄ってくる。確かに、シズナは悪魔だ。マリアンを傷付けたことも許せない。

 でも、俺はどうしても彼女に剣を振り下ろすことが出来なかった。剣を鞘に収めて、真っ直ぐに見下ろす。


「落ち着け。お前の聖水爆弾のお陰で、シズナはかなり衰弱したようだ。再びマリアンや他の人間に取り憑くことなんて出来ないだろうし、そもそもこのまま森の魔物に襲われる可能性もある。それでも逃げたいのなら、逃げれば良い。手は貸さないし、再び姿を見かけた時は容赦しない。すぐにこの国から出て、二度と人里に近づくな。この約束を守れるなら、今回は見逃してやる」

「あ、悪魔を見逃すなんて」

「リネット。俺たち騎士団がいる目的は王国の平和を守る為だ。悪魔を絶滅させる為ではない」


 もっとも、ラスターが悪魔の王を討ち滅ぼした後に始まるのは残党刈りだろうが。相手が自分とは違う種族であろうと、命を奪う気にはどうしてもなれなかった。

 元日本人の平和ボケというやつかもしれない。


「約束する、二度と人間には関わらないわ。……ありがとう、格好良い騎士さん」


 怯えながらも、小さく笑うシズナ。そのまま踵を返して、ふらふらと立ち去る彼女を見送りながらリネットが心配そうに俺を見上げる。


「ねえ、ヴァリシュ。本当に良かったの?」

「ああ。死人や怪我人は出なかったからな。それにリネットだって、相手が悪魔とはいえ目の前で誰かが殺されるのは見たくなかったんだろう?」

「なっ、なんでそれを!」


 顔を真っ赤にさせるリネットに思わず吹き出してしまう。動けなくなったシズナを見ながら、ずっと不安そうな表情をしていたくせに自覚がなかったのか。


「さて、破裂草は十分手に入ったんだろう? 早く街に戻るぞ。マリアンは……まだしばらく目を覚ましそうにないな」


 倒れたマリアンの傍に片膝をつき、様子を窺う。かなり疲労したのだろう、眠りは深く揺すったくらいでは起きそうにない。

 ……俺が抱えて行くしかないか。マリアンの膝裏と肩に手を回して、持ち上げる。鎧と剣のせいで結構重い。なんて弱音を吐いたら男としての格が確実に下がるのでなんとしても耐えなければ。


「……へえー、優しいじゃん。良いなー、お姫様抱っこ。あとでアタシも抱っこして欲しいなー?」

「馬鹿なことを言ってないで、さっさと帰るぞ。忘れ物はするなよ」

「ハイハイ。それにしても、もう一体の悪魔ってどこに行ったのかしら。今度見つけた時は聖水塗れにしてやるんだからっ」


 意気揚々と街に向かうリネットについて行く。そういえば、フィアは戻って来なかったな。まあ、あれだけの瞬足を見せつけたのだから大したダメージは負っていないだろう。

 いつもはどうにか追い払う方法がないかで悩み続けているというのに、居なくなったら居なくなったで気になるなんて。自分自身に動揺しつつ、俺達は街への帰路を急いだ。

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