三話 新たな悪魔
無意識に後退って、俺はマリアンから距離をとった。何だ、この感じ。目の前に居るマリアンは、俺が知っているいつもの彼女とはまるで別人だ。
不気味なくらいに抑揚の無い声は、寒気さえ覚える程だ。嫌な予感がする。
「どうしてなのでしょう……自分は努力しているのに、どうして誰も認めてくれないのでしょう。父も母も、勇者様のことばかり話すんです。ああ、それだけならまだ良いんです。ラスター様は世界を救う勇者様ですものね……。でも、先日の手紙に何て書いてあったと思います?」
「マリアン、落ち着け。お前は――」
「ヴァリシュ様、あなたのことが書いてあったんですよ。お前も、最近のヴァリシュ殿を見習ったらどうかと!!」
躊躇なく剣を抜き放ったマリアンが、一瞬で距離を詰めて斬り掛かってきた。咄嗟に俺も剣を抜いて何とか受け止める。
目の前で彼女が口角をつり上げて狂ったように嗤う。
「おかしいですよねぇ? 勇者でもない、孤児院出身のあなたが、どうしてこんなに皆に慕われているんですか!」
「ぐ……この力は一体。マリアン、お前まさか」
人間とは思えない、暴力的な力。力任せに剣を振り払う。こちらは両腕がびりびりと痺れる程なのに、マリアンの表情は変わらない。だが、普段とは目の色が違う。
「ちょっと、シズナさん!? 何してるんですか、ヴァリシュさんを襲うなんて約束破りですよ!!」
「フフフ……別に、そのロン毛をどうこうしようなんて思ってないわ」
ずるり、とマリアンの肩から不気味な少女が顔を覗かせた。ぼさぼさの黒髪に、血の気のない青白い肌。ボロボロのワンピースを引き摺るように着ている姿は、井戸から出てくる系のオカルトっぽさがある。
ていうか、マリアンに貼り付く体勢が人間ではありえない。フィアがシズナという名前を知っている様子を見るに、間違いないだろう。
「おい、あれはお前の知り合いか? あれも悪魔なのか!?」
「え!? え……っと。知り合いっていうか、何ていうか」
「そうよ。わたし、フィア様の後輩なの。中級悪魔止まりのどうしようもない出来損ないだけどね」
ニンマリと嗤うシズナ。やはり、彼女がマリアンに取り憑いているのだ。悪魔は人間を堕落させ、貶めることに何よりも喜びを感じる種族であるが、やり方は個体によって異なる。
フィアのように、力を求める人間に自ら契約させる者も居れば、取り憑いてでも過ちを犯させようとする者も居る。シズナの場合は後者なのだろう。
それにしても、後輩とは。
「ひどいじゃないですか、フィア様。ちゃんと紹介してくださいよ。それとも、中級止まりの後輩の名前なんて覚えてくれていないんですか? たぶんフィア様にはわたしは後輩ではなく、上級悪魔になることが夢だったのになれなかったバカな蛆虫に見えてるんでしょうねぇ? ふふ、うふふ」
「思ってないですし、虫なんて大嫌いなので蛆虫に見えてたら即行ヴァリシュさんのお部屋に逃げ帰ってますよ! ……ヴァリシュさーん、私この娘のことちょっと苦手なんですぅ。どうにかしてくださいー!」
情けない声を上げるフィアと、薄ら寒い笑顔のシズナ。フィアにも苦手なものがあったのか。
「ああ、良いですねぇ。フィア様は美人ですし、実力もあるから好きなことを自由に出来る。なんて羨ましい。わたしも他の悪魔にムチャぶりしてボロ雑巾になるまでパシり倒したいなぁ」
「お前、故郷でそんなことを」
「ぬ、濡れ衣です! 私はそこまでヒドくありません!!」
信じてくださいー! とフィアが泣きついてくる。悪魔のくせに、何を取り繕おうとしているのか。
そんなフィアに、くすくすとシズナが嗤った。
「変なフィア様。あなたはとんとん拍子で出世して、せっかく『七大悪魔』の一人に選ばれたのに、そんなロン毛相手に油を売っているなんて。だから、わたしがあなたの役割を変わって差し上げようと思ったんですよ。わたしと同じで、劣等感に苦しむこの娘を使ってね。この娘が隠していた底力、びっくりしたでしょ? 凄いわよね。人間って一皮剥けば、こんなにも腹黒いものなのよ。わたし、こういう偽善者ヅラした人間が本性を表して自ら積み上げてきたものを台無しにするの、堪らなく好きなのよね……くくくっ」
「ふざけるな、さっさとマリアンから離れろ!」
「そうですよ! せっかく私のテリトリーに迷い込んだのを見逃してあげようと思っていたのに、恩を仇で返すなんて!」
許せません! フィアが頭から降り、元の姿に戻ってシズナを睨み付けた。
「ヴァリシュさん、あの女騎士をぶちのめしてください! 私が直々にお仕置きしますっ」
「はあ!? こんな時に冗談は止めろ、そんなこと出来るわけないだろうが! それより、マリアンからあの悪魔を引き剥がす方法を教えろ」
「むう、シズナさんを倒せば女騎士は解放されますが……引き剥がすには、器の方を弱らせないと無理です!」
頬を不満げに膨らませながら、フィア。くそ、やはりそれしかないか。だが、部下を痛めつけるなんて。少し前の
「あら、何もしないの? それなら、こちらから行くわよ。ね、マリアン」
「……あなたが居なくなれば、今度こそ皆が自分のことを見てくれますよね!」
シズナの呼び掛けに答えるように、マリアンが再び仕掛けてきた。横に振り払われた白銀の刃を、自分の剣で受け流す。気を抜いたら、剣を取り落としそうになる。悪魔のせいで、彼女の力が実力以上に底上げされているようだ。単純な腕力だけでもメネガットを超える、そこに俊敏さまで加わると流石に防ぎきれない。しかも、剣は訓練用のものではないのだから、当たれば打撲では済まない
剣に残る粗さを見極め、ギリギリで凌いでいるものの。このままでは保たない。押し切られるのも時間の問題のように思えた。
「ヴァリシュさん、この前の盗人みたいに私が女騎士の動きを止めます。その間にあの女を拘束してください!」
「でも、それだと根本的な解決にはならないわよ? 動けなくなったら、わたしはマリアンの中に隠れちゃうから。そうね……動かないオモチャは楽しくないから、いっそ殺しちゃおうかしら」
「なっ、貴様!?」
「見習い騎士が教官の不手際で死亡だなんて面白いわ。せっかく皆の信頼を取り戻し始めていたのに、これでまた振り出しに戻るわね。いえ、むしろマイナスかしら」
「こ、この……! 同族ながら、なんて悪趣味な!」
ぎりぎりと奥歯を噛み締め悔しがるフィア。確かに、フィアのせいで忘れかけていたが本来の悪魔はこれくらい邪悪な存在なのだ。
マズい。悪魔に部下を殺されるなんて、最悪のシナリオじゃないか。いや、この際シナリオだの信頼だのはどうでも良い。
とにかく、マリアンを助けなければ。だが、フィアの魔法で無力化させることも、拘束することも出来ないなんて。一体どうすればいいと言うのか。打開策は、何も思いつかなかった。
思いつかなかったが、予想外なことに打開策が視界の外から投げ付けられた。刹那、視界が白い
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