十三章 4


 *



 大輝の口から異相をゆるがす悲鳴があがる。噴水のように黒い霧が胸から噴きだした。部屋中を汚染するかのごとく渦巻く。


 しかし、その渦巻きが消えたとき、部屋のなかに立っていたのは、蒼嵐一人だった。


 大輝の体は真っ黒に乾燥して、もはやなんの生命力も有していないことは、ひとめでわかった。

 父も母も似たような死体になっている。


 往人や薔子たちも、もう見えない。

 いや、蒼嵐の力が失われたからだ。

 替え子の大輝が死んだから、蒼嵐の持っていた不思議な力は、すべて無に帰した。さっきまでみなぎっていた力が、ほんのカケラほども残っていないことは自分でも感じとれた。


 今度こそ、ほんとうに終わった。


 蒼嵐は静かに涙を流しながら、実家をあとにした。

 行きさきは一つしかない。

 ななめむかいのモダンな建物。

 家のなかに入ると、葵が風呂からあがってきたところだった。


「蒼嵐。どっか、出かけてたのか?」

「うん。大輝をね……殺したよ。あいつが替え子だった。だから、終わったんだ」

「……血みどろだ。ちゃんとシャワー浴びて」

「うん」


 その夜、蒼嵐は夢を見なかった。

 もう二度と、あの夢を見ることはないのだ。



 *



 すべてが終わった。そう思っていた。

 夢も見ない。

 往人たちの気配も感じなくなった。


 しかし、怒りがおさまり冷静になってから、蒼嵐は気づいたことがある。


 薔子の伯父の著作に記されていた異空様の能力についてだ。

 あの本に、たしか書かれていた。

 異空様の能力の一つに、過去に干渉する力がある——と。


 今になって思う。

 往人を殺したとき、蒼嵐は往人の心臓をとりだしたわけではなかった。とりだしたのは夢のなかだ。だが、現実でも往人の遺体から心臓はなくなっていた。


 往人の能力は霊を呼び、実体化させる力だった。とすると、蒼嵐自身には別の能力があったはずなのだ。

 それが、夢を通して過去を変える力ではなかったのだろうか?

 今はもう替え子がいなくなり、その力を使うことはできなくなったが……。


 もしも、あの力が今もあったなら?


(おれ……バカだ。なんで気がつかなかったんだろう?)


 あの力を利用すれば、往人や薔子を生き返らせることができるのではないだろうか?


 いや、それどころか、今回の生贄の全員を救うことができる。替え子にあやつられていた安平に殺された町の人も死ななくてすんだ。


 たった一人、大輝さえいなければ——


(おれたちが、まだ追いまわされる前のときに……たとえば、前日にでも、大輝が死ねば、それ以降に死ぬはずだった人たちは、みんな死なずにすんだ)


 夢のなかで大輝を殺せば、過去を変えることができるのではないだろうか?


 でも、あの力は、もうない。


 せっかく希望の光が見えたのに、ふたたび、それを喪失して、蒼嵐は消沈した。が、まだ終わりではなかった。


 ある日、葵が言った。


「次の替え子が用意される。来週には生贄を祠に送りこむ祭りが行われるよ」


 蒼嵐は全身がふるえるほどに興奮した。


(そうだ! 次の機会がある。十五年後、替え子が悪霊の力を発揮するころに、生贄の心臓を食べれば……)


 そのとき、蒼嵐がまた過去を変える夢の力を持てるかどうかはわからない。だが、これはチャンスだ。蒼嵐に残された、ゆいいつの希望。


(おれは、やれるよ。必ず、必ず、みんなを生き返らせてみせる。そのためには、生贄を全員、殺したっていいんだ。たくさん心臓を食えば、望みの力も、きっと得られる。ほかの人間が何人、犠牲になったって、おれには関係ないし)


 みんな、みんな、殺せばいい。

 みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな……。


 蒼嵐は笑った。

 笑いが止まらない。


 この世は希望に満ちている。

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