十一章 2


 美野里の肩がふるえている。

 往人に心臓を刺されたのだ。きっと断末魔のけいれんだと、蒼嵐は思った。


 が——


「ハハハハハハハハハハハハハハハハ——!」


 往人をつきとばし、美野里はふりかえった。その表情はもはや、美野里のものではない。邪悪な殺人犯。替え子だ。


「やっぱり、おまえが——?」と、往人は吐きすてるように言う。


 だが、美野里は落ちついたしぐさで、ブカブカのダウンジャケットのジッパーをおろす。チイッと細い音を立てて、ジッパーが胸元までおりると、それがあらわになった。美野里の首すじにくっきりと浮きあがる黒い手形が……。


「死体……」

 自分の無意識のつぶやきを、蒼嵐は他人のもののように聞いた。


 美野里はすでに死んでいる。首を絞められて、とっくに死んでいたのだ。

 さらにジッパーがおろされていくと、ピンクのスウェットの腹部が赤黒く染まっていた。


「最初の夜に包丁でお腹を刺されて、それでも死ななかったから、首を絞められたんだ。ぼ、く」


 替え子があやつっているのだ。

 美野里がスウェットの上着を両手でめくりあげると、白いお腹には、いくつもの傷跡があった。傷口のまわりには血のしみがこびりついている。


 ストンと上着を離し、美野里は上目遣いに、こっちを見る。

 ヤバイと、蒼嵐は思った。

 襲ってくる。


 美野里のまん前には、往人が立っている。最初にやられるのは往人だと思った。

 だが、なぜか、美野里はデスクにとびのると、そこから天井スレスレに跳躍した。キレイな宙返りを虚空に描き、蒼嵐の目の前におりてくる。


 ニッと歯を見せて、美野里は笑う。

 瞳の底に濁りがあった。外から見ただけではわからないが、体の内部では腐敗が進んでいるのだろう。真冬だから、このていどですんでいるのだ。


(コイツは、なんで往人じゃなく、おれを狙うんだろう?)


 美野里が両腕をあげて、ゆっくりと近づいてくる。

 あの跳躍から言って、美野里は肉体が強化されるタイプ。安平が大人たちを素手で引き裂いたように、きっと、美野里も蒼嵐を……。


 ぼんやり考えながら、つっ立っていた。


「やめろーッ!」

 往人の怒号が聞こえる。

 こっちにむかって走ってくるが、どうせ、まにあわない。


 どうしよう。おれ、死んじゃう。今度こそ——


 美野里の動きが、まるでスローモーションのように見える。

 蒼嵐の目の前で、美野里の腕がクロスした。蒼嵐の首をはさむようにして。その手を水平にひらいて、蒼嵐の首をかき切るつもりなのかもしれない。自分の体から、ころりと首が落ちる場面を想像した。


 そのとき、蒼嵐の体が宙に浮いた。

 背後から誰かに持ちあげられて、ぽんと床になげすてられる。


 大きな背中が蒼嵐の視界をふさいだ。

 崇志は空手の組み手のようなかまえで、美野里の両手をはらいのけると、血で汚れたスウェットの腹に、ひざ蹴りをお見舞いする。


 しかし、ヒットする直前で、美野里はバク転でかわす。

 着地点には往人がいた。すかさず、包丁をつきだす。

 だが、それも、すばやい動きでかわし、美野里はデスクの上の竹製の物差しをとりあげた。往人のこめかみに、かなりの強さで物差しを叩きこむ。

 往人が叩かれた方向にふっとんだ。

 こめかみから血を流して倒れこむ。


「往人!」


 往人は失神したようだ。

 かけよろうとする蒼嵐を、美野里がかえりみる。投げ槍のように物差しをなげつけてきた。物差しは矢のように風を切り、ものすごい速さで飛んでくる。


 蒼嵐の顔の前で、物差しが止まった。片手で崇志がつかんでいた。


「往人をつれて外に出てろ」

 声が緊張している。

 崇志でも苦戦する相手なのだ。


 蒼嵐はうなずいた。とは言え、往人のところへ近づくためには、美野里のわきを通りぬけなければならない。


 崇志がするどいパンチを何度かくりだすが、なかなかキマらない。美野里とのあいだでパンチと蹴りの激しい応酬が、めまぐるしく続く。


 そのすきに、どうにか往人のそばに近づくことができた。


「往人。しっかりしてよ。大丈夫?」


 往人がうっすらと目をあける。


「往人?」

「……大丈夫。かるい脳しんとうだ」


 往人はピストルをかまえたが、崇志と美野里の動きが速すぎて、引き金をひくことができないようだった。むやみに発砲すると、崇志にあたるかもしれない。まるでカンフー映画のようなスピードで、二人の攻防に、はたからつけいるスキがない。


 往人は立ちあがり、ベッドの上にころがった薔子のデイパックを手にとった。蒼嵐に渡してくる。


「ここは崇志さんに任すしかない。逃げよう」

「うん」


 蒼嵐たちは戦いに背をむけ、保健室から逃亡しようとした。


 すると、パイプベッドの手すりを跳馬のように軸にして、体を浮かせた美野里が勢いよく回転する。崇志の腹に体ごとぶつかった。


 崇志は「うッ」とうめいて、後方になげだされた。

 崇志はハッキリ言わないが、そこは以前、安平との戦闘で傷ついたところだ。血がにじんでいたし、何度か苦しそうにしていた。床にくずれたまま、しばらく動けないでいる。


「崇志さん!」


 しかし、崇志の心配をしているヒマはなかった。

 美野里が回転の勢いをつけたまま、手すりを離して、こっちに跳んでくる。


 往人が蒼嵐の手をひいて、ドアの外へかけだす。

 そこで、とつぜん、往人の足が止まった。


「なんだ? こいつら?」

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