一章
一章 1
最初にあの事件が起こったのは、去年の六月ごろだったと思う。テレビに見なれた町の風景が映って大興奮したから、よくおぼえている。
「わっ、見ろよ。大輝! おれたちの町で殺人事件だ! それもバラバラ殺人だって! なあ、来てみろよ」
夕食前の一番、のんびりした時間。
蒼嵐はスナック菓子をつまみながらスマホでゲームをし、なおかつテレビのニュースを見るともなく、ながめていた。
しかし、何度呼んでも、弟の大輝はよってこない。
そもそも大輝はあまり蒼嵐と話さなかった。何をやっても中の下か、よくて中の上の蒼嵐と違って、成績もいいし、誰が見てもハッキリ断言できるほどの美少年だ。将来はお父さんによく似たイケメンになるねなんて、いつも言われているから、内心、兄をバカにしていたのかもしれない。
茶の間のテーブルで学校の宿題をしていた大輝は、チロッとテレビを見たあと、キッチンにいる母にむかって大声で言った。
「お母さん。僕、部屋にいるから、ご飯できたら呼んでね」
「はーい。もうちょっとだから待ってね」
母は専業主婦。
父は車で一時間ほど離れた県庁所在地で建築関連の仕事をしている。大手企業の営業部長だ。
家は二世帯住宅で、祖父と祖母は離れに住んでいた。
自宅のある黒縄手町は山間部に近い片田舎。昭和までは村だった。蒼嵐の自宅は旧黒縄手村のまんなかあたりに位置している。
住人の多くは先祖代々の定住者で、旧村の住人は全員が顔見知りである。たまに火事や交通事故くらいはあるが、犯罪らしい犯罪などないはずの地区だった。
この旧黒縄手村で猟奇殺人事件……。
蒼嵐はじっとしていられなくて、テレビ中継している殺害現場の公園まで自転車を走らせた。
ポツポツと雨が降りだしていたが、こんな大事件はめったにあることじゃない。
十分ほど自転車をこいで、到着すると、公園のまわりには野次馬が大勢、集まっていた。
もちろん警察による規制線が張られていて、現場に近づくことはできない。
しかし、野次馬のなかには幼なじみの
「ユッキー。来てたんだ」
「そら」
往人はメガネを指で押しあげながら手招きしてくる。
往人は蒼嵐と違って頭がいい。成績はつねにトップクラスで、その上、子どものころから剣道をしている。文武両道の幼なじみは、いつも頼れる存在だ。目元がキリッとして背も高い。
「バラバラ死体が見つかったんだって? こっから見えないかなぁ?」
「見えるわけないだろ。公園には入れないし。でも、さっき、人が話してるの聞いたよ。バラバラっていうかさ。両手を切断されて、心臓をえぐりだされてたんだって。両手と心臓は見つかってないらしいよ」
「うわぁ。グロい!」
このとき、蒼嵐はまだ、他人事で事件を楽しんでいた。
ゲームのなかで冒険するような気持ちで、ワクワクしながら死体のようすを聞いた。
「あっ、柊木だ」
蒼嵐は人ごみのなかに、もう一人、同じクラスの生徒を見つけた。
薔子とは往人ほど親しいわけではない。
ただ、色白の大きな瞳のとてもキレイな女の子で、気になる存在だった。栗色の長いストレートの髪がサラサラと風になびくさまは、物語のなかのお姫様のようだと、いつも思う。
おかげで、そのあと、薔子のことばかり見ていたから、事件の経過がどうなったのかなど、もはや念頭になかった。
薔子はどこか物憂げな表情をしていた。何か心配ごとでもありそうで、蒼嵐はそのことのほうが気にかかった。
往人が蒼嵐の視線の行方に気づいて、ニヤニヤ笑う。
そのあと、あたりが暗くなり、柊木が帰っていったので、蒼嵐たちも「じゃあ」「じゃあ、また」と手をふって別れた。
けっきょく、被害者はふつうのサラリーマンだと夜のニュースでわかった。
そのあと、数ヶ月のあいだに数人、同じような殺されかたをした。死体は必ず一部が切断され持ち去られていた。
安全な町がとつじょ不穏になった。
けれど、蒼嵐たちは、あまり気にしていなかった。
というのも、いつも被害者が四、五十代の男女だからだ。若くても三十代。平凡な主婦や新聞配達人などが狙われた。職業もマチマチだ。
誰がなんのために被害者を殺したのか、まったく見当もつかない。あまりにも共通点がない。
子どもは殺人犯の狙う対象ではないらしいと感じて、蒼嵐たちは安心していた。
このまま世界は平穏に続いていくのだろうと……。
やっぱり、何もわからない。
あの事件が今夜の父母の異常な行動に関連しているとは、どうも思えない。
父が連続殺人犯だったのだろうと蒼嵐は考えていたが、若奈が彼女の親に殺されたことを思うと怪しい。
このまま交番に行くべきかどうか、蒼嵐は迷った。
しかし、この細道をぬければ、交番はすぐだ。
蒼嵐は若奈の両親が立ち去るのを待って走りだした。
連続殺人犯かどうかはともかく、父が蒼嵐を殺そうとしたことは真実なのだから。
真っ暗な雑木林のなかを通りぬけるのは、いつもなら、きっとできなかっただろう。でも今は、父に見つかって殺されることのほうが怖かった。
雪がしだいに激しくなってくる。
早くしないと、このままでは凍え死んでしまう。
交番は街灯に照らされ、ぼんやりと暗闇に浮かびあがっていた。その光を見たとき、蒼嵐はこのうえない安堵をおぼえた。
これまでの自分がいかに恵まれていたのか思い知った。世界が裏返って牙をむいたとき、平凡な中学生が、いかに無力であるかを。
「助けて! 助けてください!」
交番にかけこむと、年とった巡査が一人で椅子にすわっていた。名前は知らないが顔は知っている。小学生のころ、よくパトロールのときに、気をつけて帰るよう子どもたちに声をかけていたおじさんだ。
巡査の顔を見ると、またもや感情がこみあげてきた。
ここまで来たら、もう大丈夫だという思いが涙をあふれさせた。
「助けてください。父が僕を殺そうとしたんです。それに、同じクラスの杉本若奈さんが殺されるところを見ました!」
いっしょうけんめい説明するのを、巡査はだまって聞いていた。しかし、蒼嵐の話を聞きおわると、巡査は苦笑した。
「お父さんとケンカでもしたんだね? 困ったもんだ。君は蓮池さんとこの息子さんだろ? 今、電話してあげるから、ちゃんと謝るんだよ?」
「違います! 斧で僕の頭をたたきわろうとしたんだ! ケンカなんかじゃない!」
「夢でも見たんじゃないのかね? 君くらいの年なら、よくあることだよ」
「違う! 夢なんかじゃ——」
巡査はもう聞いていない。
デスクの上の固定電話の受話器を手にとるので、蒼嵐はあとずさりした。
すると、巡査はすばやく蒼嵐の手をつかんだ。険しい顔つきで、蒼嵐をにらむ。
その顔を見て、蒼嵐は悟った。
(コイツもお父さんたちの仲間だ!)
仲間というか、共犯というか、とにかく、蒼嵐を殺そうとしているうちの一人なのだ。
「離せ! 離せよ!」
「おまえさんの役目は終わったんだ。おとなしく家に帰りなさい」
役目? なんの役目?
一瞬、そんなことを思案しているうちに、巡査はベルトのホルスターから拳銃をとりだした。拳銃は特別なとき以外、携帯していないはずだ。もしかしたら、こんなときに備えて最初から準備していたのかもしれない。
「ゆるせよ。坊主。これも決まりなんだ」
そう言って、巡査は銃口をむけてくる。
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