第5話 玻璃鏡 その四



 アパートについたとき、窓があけっぱなしになっていた。

 この寒空に、あの寒がりな青蘭が、窓を全開?


 あわてて、龍郎は鍵をあけ、なかへとびこむ。


「青蘭! 青蘭ッ?」


 青蘭がいない。

 部屋のなかは無人だ。

 見ると、固定電話の受話器が床に落ちている。きっと、電話の途中で誰かが室内に侵入してきたのだ。そして、青蘭をさらった……。


 龍郎は意味もなく室内をぐるぐる歩いたあと、窓辺に立った。犯人を特定できる証拠でも落ちていないかと思ったのだ。しかし、靴跡もついていないし、遺留品もない。警察に通報して任せるしかないのだろうか?


 ため息をつきながら、龍郎は窓を閉めた。天気が悪く、昼間なのに夕方のように暗い。とりあえず電気をつけた。警察に通報しようとして、ポケットからスマホをとりだしたときだ。


 視線が窓のところで止まる。

 そこに信じられないものが映っている。


 あの男だ。フード付きのダウンジャケットを着た男が、包丁を手に青蘭に迫っている。青蘭は手足を縛られていた。危ない。このままでは、青蘭が殺されてしまう。


「青蘭! 青蘭!」


 窓を叩いたが、もちろん、青蘭は龍郎に気づかない。男の持つ包丁を見つめて、何か話しかけているようだ。口はふさがれていない。ただ、その声は聞こえなかった。


 音は聞こえないのだ。

 このガラス窓は、どこか別の場所の景色を映しているだけなのだと、龍郎は悟った。


(ということは、青蘭がつれられていった場所が、今ここに映ってるんだ。そこが、どこかわかれば……)


 たぶん、このガラスがもともとあった場所ではないかと思った。ガラスを通して、離れた空間と空間がつながれてしまったような。


 龍郎はそのまま自転車に乗り、各務工務店を目指した。そこに行ったことはなかったが、住所から推測して自転車を走らせる。すると、表に看板の出た小さな工務店があった。男が数人で作業している。そのうちの一人は、この前、龍郎のアパートに来た二十代の男だ。


「すいません! この前の先輩、まだ連絡つきませんか?」

「ああ、各務さんね。インフルかなぁ? 電話にも出ないんだ」

「各務さん?」


 龍郎が工務店の看板を見あげると、男はうなずいた。


「各務さんは、ここの社長の一人息子だよ。先月、会長のおじいさんが亡くなったから、もうじき社長が会長に、各務さんが社長になるらしいけどね」

「おじいさん、亡くなったんですか?」

「うん。なんか急死だったみたいで。各務先輩もよく訪ねて、お小遣い貰ってたみたいだけどさ。でも、あんまり嘆いてないんだよな」

「各務さんのうちって、どこなんですか?」

「えっ? なんで?」

「急を要するんです! 人命がかかってるんだ!」


 龍郎が叫んだので、社長の各務が驚いてふりかえる。


「お客さん、どうかしましたか?」

「お宅の息子さんに先日、窓ガラスを直してもらったんですが、そのガラスをどこから持ってきたか知りたいんです。早くしないと警察、呼びますよ?」


 警察ざたはマズイと思ったのか、社長は必死に記憶をしぼるようす。


「ああ、何日か前に文雄ふみおが、じいさんのうちのガラスを持ちだしてたなぁ」

「亡くなったおじいさんのですね? それ、どこですか?」

「えっ? なんでだね?」

「いいから、早く! 友達がさらわれたんだ!」


 龍郎の形相が険しかったのだろう。社長が二十代の男に命じる。


「安原。案内してやれ。軽トラ出していいから」

「はい。社長」


 ようやく、その場所に急行できることになった。各務工務店と書かれた軽トラックに、安原と二人で乗りこむ。道を急ぎながら、安原は気になることをアレコレと告げる。


「さっきは社長がいたし言えなかったけど、文雄さんって、よくないウワサがあるんだよなぁ。中学生の女の子、車につれこもうとしたり、ギャンブル好きで、いつも金に困ってるとか。あの人のまわりでは、犬猫がよく消える、とかさ。それで会長がだいぶ怒ってたみたいなんだよなぁ。古い人だからさ。『勘当だー!』とか言ってたらしいんだけど、その前に亡くなっちゃって。会長、だいぶ年とってたけど、まだまだ元気そうだったのに」


 聞けば聞くほど、青蘭の身の上が心配になってくる。青蘭をさらったのは各務文雄にまちがいない。今にして思えば、窓ガラスの修理に来たとき、文雄はやけにジロジロ青蘭をながめていた。あのとき、目をつけたに違いない。


(青蘭。ぶじでいてくれ)


 軽トラは性能と交通法が許すかぎりの速度で、M市の町なかを突っ走った。やがて、町外れの古びた一軒家にたどりついた。周囲には原っぱと雑木林しかない。


「ここですよ。会長の自宅。今はもう空き家のはずですけどね」と言う安原の言葉をみなまで聞かず、龍郎は軽トラをとびおりる。


 前庭から見えた建物は古くて立派な日本家屋だ。大きなガラス戸やガラス障子の窓はあるが、龍郎の部屋にあるような中途半端な大きさの窓はない。あの窓ガラスが、この家から持ち出されたのだとしたら、ちょうど同じくらいのサイズの窓があるはずなのだが。


 龍郎はあせった。


 ——と、そのときだ。

 どこからか悲鳴が響きわたった。

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