第2話 妖怪二口女 その二



 見とれていると、美女は兄の家を指差して言った。


「ここは君の家か?」

「いや、兄の家だけど」

「ふうん」


 美女は瑠璃玉のような瞳で、龍郎と兄と兄の自宅をじゅんぐり、ながめる。


 その人の美貌には深刻な悩みをかかえる兄も動揺していた。

「龍郎。こ、この人は、知りあいか?」

 緊張すると、どもる癖は変わっていない。


 なんと答えようかと、龍郎は迷った。

 知りあいと説明するのは図々しいだろうか?

 ついさっき、数時間前に会ったばかりで、まだ名前も知らない相手だ。


「えーと、彼女は……」

「彼女? 龍郎の彼女か? ものすごい美人だな!」


 兄は勝手に勘違いした。

 もちろん、訂正したほうがいいだろう。


 すると、美女のほうが、さきに口をひらいた。

「龍郎さんに会いにきたよ。いっしょに入れてもらってもいい?」


 そう言って、龍郎の腕をつかむ。

 猫みたいな目つきで上目遣いに見つめられると、ダメとは言えない。


「えーと……」


 惑乱する龍郎を兄が笑う。


「龍郎の彼女なら入ってもらえばいい。どうぞ」

「ありがとうございます。お兄さま」


 兄の顔が真っ赤になるのが門灯のわずかな光でもわかった。

 兄弟そろって翻弄されている。


 それも、いたしかたない。これほどの美女ならば。

 歴史上のどんな美姫よりも、彼女は美しいに違いない。腕を組んでいると、花のような香りにクラクラした。


 そのまま、門扉をくぐった。

 玄関まで敷石をした前庭が続いている。

 家の明かりを見て、龍郎は実家へ帰ったときのような安堵感をおぼえた。今日はいやに神経が過敏で、闇が怖い。


 カラカラと引戸をあけて、兄が玄関へ入る。

「ただいま。繭。龍郎が彼女つれて遊びに来てくれたぞ」

 兄は奥へむかって声をかけた。


 しばらくして、兄嫁がやってきた。

 切れ長の一重まぶたで、古風な顔つきだが美人ではある。

 ほっそり細面で儚げな風情は、二口女というよりは雪女と言うほうがふさわしい。


 優しげに見える義姉が人じゃないなんて、兄はなぜ妄想してしまったのだろう。


「おかえりなさい、あなた。いらっしゃい、龍郎さん。こんな綺麗な彼女さんがいたなんて知らなかったわ。初めまして、彼女さん」


「セーラです」と、美女は言った。

 外国風の名前も近ごろは珍しくなくなったので、そこはおどろかないが、案外、ハーフなのかもしれない。


 それにしても、なんのつもりで彼女のふりなんてして、ついてきたのだろうか?

 龍郎のことが気になったのなら、駅でわかれなければよかっただけのことだ。


(この家に興味があったみたいだったな)


 ほぼ見ず知らずの男の恋人のふりをしてまで、この家のなかに入りこみたかったのだろうか。それはいったい、なんのために?


 ぼんやり考えながら、兄の家にあがった。

 床の間のある奥の座敷に通される。

 八畳間に座卓が置かれ、簡素だが違い棚もある。

 ガラス窓の向こうには竹やぶが見えた。


「お酒、飲みますか? 何か用意してきますね」

 義姉は台所のほうへ歩いていく。

「着替えてくる」と言って、兄もいなくなった。

 座敷には、龍郎とセーラの二人きりだ。


「あの……」


 舞いあがるような心地で、龍郎がモゴモゴ言っていると、美女の目つきがするどくなった。


「誰が彼女だって?」

「いや、それは一般的なsheという意味の彼女で……」

「玉もついてるし、棹もある」

「は?」

「さわってみないとわからないか?」


 美女は龍郎の手をとって、自分の胸にあてた。

 ドギマギしたが、真っ平らだ。

 龍郎は事情が飲みこめない。


(えーと……なんだろうか? このシチュエーション。誘惑されてるんだろうか?)


 美女は毒をふくんだ、けれど、とても艶っぽい笑みを口唇に刻んだ。


「下もさわってみたいのか?」

「いや、それはいくらなんでも……」

「鈍いヤツだな。まだわからないのか? 僕は男だ」


 おそらく、一、二分、龍郎は放心していた。

 言われた意味を理解することを脳みそがこばんでいる。


「でも、セーラって……」

「僕は八重咲やえざき青蘭せいら。青い蘭と書いて、セーラ。セーラだから女だって法でもあるのか?」

「いや、ない……」


 青蘭という名前で、男。

 男だけど、青蘭……。


 ようやく理解して、龍郎は座卓につっぷす。


「ウソだ。地球上で一番の美女みたいな顔しといて!」

「それは生まれつきだ。性別には関係ない」

「なんで夢を見続けさせてくれなかったんだ」

「愚か者は僕にひれ伏せばいいんだ」

「そうだ。ひれ伏せば——」


 龍郎は我に返った。

 なんだか今、どさくさまぎれに、すごい暴言を吐かれた気がする。


「……幻聴だったかな?」

「誰か来るぞ。いいから、恋人のふりを続けろ」


 ろうかを歩く足音が聞こえる。家が古いから、歩くとろうかが軋んだ。


 まもなく義姉がやってきて、熱燗と里芋の煮っころがし、枝豆を載せた盆を座卓に置いた。


「夕ご飯は食べた? まだなら何か作るけど」

「僕は食べてきたので。せ——青蘭は?」


 あせるとどもるところは、兄さんと同じだなと、龍郎は自分で思う。


「わたしもさっき、人には言えないお肉を食べたよ」

「人には言えない肉って、なんだ?」

「え? 熊の〇〇とか、すっぽんの〇〇とか」

「違う。君の美しい口から聞きたいのは、そういうセリフじゃない」

「もう、龍郎さん、可愛い」


 義姉は笑った。

「仲がいいのね」


 そのあと、兄もやってきて、四人で酒をくみかわした。

 義姉のようすに異常はない。やはり、兄の妄想か。


 酒がまわってくると、気分がゆるんだ。

 和気あいあいと歓談して、いいふんいきになったところで、義姉が中座した。


「お酒、持ってくるわね。イカの塩辛があったっけ。キュウリの塩もみくらいなら、すぐ作れるし、用意してくるわ。そろそろ、しめでしょ? お茶漬けにしましょうか?」

「すいません。お気を使わせて」


 義姉がいなくなると、急に兄はポケットから薬の小袋をとりだした。顆粒の薬を義姉の飲みかけのビールに入れた。

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