第8話 忌魔島奇譚 その六
レンガを数個ぶん抜いただけの小さな窓。ガラスなどは嵌めこまれていない。が、そのおかげで、ほのかに闇を見通せる。
歩きだすと、すぐに建物のなかの構造がわかった。
外から見て、ズドンと長細いだけの建物だと思ったが、長方形の長いほうに廊下があり、片方は壁に面している。
片方は鉄格子の嵌まった牢屋だ。
この島のなかで、どうやって鉄を調達したのかわからないが、それほど人魚たちにとって、生贄を集めることが大事だということか。
牢屋はあいだの壁でいくつかに仕切られていた。一つの牢の幅が四メートルくらい。奥行きは六、七メートルだろうか。つまり、全部で牢屋は八つほどある。
手前の牢のなかには誰もいない。
ギュウギュウに詰めこめば、一室に二、三十人は入れておける。この牢屋をフル活用することは、めったにあるまい。
次の部屋には五、六人の女がいるようだった。奥の壁のほうにかたまっているので、よくは見えないが、みんな憔悴しているようだ。
とつぜん化け物にさらわれて、こんなところに閉じこめられているのだ。生きた心地もしないに違いない。
あるいは、香澄の息子のように人質にとられているのだろうか?
どちらにせよ、人魚を恐れ、疲れきっているのは当然だ。
みんな助けだしてやりたいが、とにかくまずは青蘭だ。大事な人をまっさきに助けなくては。
「青蘭。いないのか? 青蘭」
ささやいてみるが応えは返ってこない。ここには、青蘭はいない。
次の牢屋にも、やはり数人の姿がある。どれも女のようだ。呼びかけるが、ここでも返事はない。
そもそも青蘭なら、あんなふうにおびえて牢屋のすみっこにいるわけがない。化け物相手でも臆さず、僕にこんな薄汚い牢屋で寝ろというのかと文句を言ってそうだ。
しかし、奥へ行くほどに、ざわめきが強くなる。空気がゆれる。ハアハアと荒い息づかいが伝わってくる。
そのとき、ひときわ高い声が聞こえた。かすれた……悲鳴?
そういえば、人魚は人間の男を食べるのだ。青蘭が今しも切り刻まれて喰われているのかもしれない。
龍郎はいくつかの牢屋の前を素通りし、その声のしたところまで走っていった。
近づくと、ただごとでないことはすぐにわかった。
一番奥の牢。
そこに人だかりがしている。
鉄格子の扉がひらき、なかにたくさんの男が集まっているようだ。龍郎に背中をむけ、奥のほうをながめている。
いや、ながめているだけではないのかもしれない。みんな、異様に息が荒い。呼吸が乱れている。
それに、あの声——
その声を聞いて、龍郎はゾクリとした。
似ている?
いや、別人?
青蘭の声のようではあるが、トーンがまるで違う。
いつもの青蘭は繊細な精密機械。
でも、それが狂ったら、こんなふうになるのだろうか?
そのなかを見ることに、ひじょうな勇気が必要だった。
なかで何が起こっているのかは、もうわかった。ただ、それを認めたくないだけだ。
だが、助けないと。
青蘭だって望んでいることではないだろう。きっと彼が美しすぎたからだ。あの美貌だから。化け物だって、そりゃあ惹かれるさ。むりやりなんだ。かわいそうに。ずいぶん抵抗しただろうに。人間の力では、ヤツらにはかなわない。だから……。
歯をくいしばって、龍郎は牢のなかをのぞいた。
そこに見たのは、触手のある大勢の男たちにからみつかれながら、歓喜の叫びをあげる青蘭の物悲しい姿だった。前後からゆすられて、恍惚の表情を浮かべている。
その光景は、おぞましいものであるはずなのに、なぜか、とても甘美だった。醜い化け物たちを周囲にはべらせて、淫楽に耽る倒錯の王。
支配しているのは、あきらかに青蘭のほうだ。
一糸まとわぬ純白の裸身をおしげもなく触手の海にうずめて、青蘭は美の化身のように輝いている。
まるで全身が白く発光しているかのようだ。いや、まるでではない。ほんとうに光っている。
人魚の男が激しく突きあげるたびに、青蘭の体の奥から、ふわり、ふわりと青白い光が放たれ、あたりを染める。
青蘭の声はその光と呼応している。
あの光が青蘭を狂わせている。
目をこらすと、青蘭の体の奥、下腹のあたりに光を発する源が見えた。
青白く光る玉のようだ。
(石——?)
なぜ、あんなものが人間の体のなかに?
青蘭はその玉を刺激されることで、言うに言われぬ悦楽を得ている。
きつく閉ざしたまぶたをときおり半開きにすると、虚空を見つめる瞳は完全に常軌を逸していた。
このままでは、青蘭が壊れてしまう。
すぐに、やめさせなければ。
「やめろ——!」
むこうみずにも、龍郎は身一つで牢のなかにとびこんだ。ただ、青蘭を救いたい一心で。
あとになって考えれば、ここで龍郎がわりこんだからって、どうにかなる状況ではなかった。人魚たちに龍郎が捕まって、殺されて、おしまい——だったのだ。
だが、このとき、叫んで伸ばした龍郎の手のさきがまばゆく光り輝いた。
——不思議なことがあるもんだねぇ。きっと、おまえはこの玉に選ばれたんだよ。
ふっと、祖母の言葉が脳裏に浮かんだ。
祖母から貰ったあの玉が、吸われるように消えた右の手から、強烈な光があふれ、周囲を焼きつくした。
気がつくと、人魚たちがみんな倒れていた。白目をむいて、死んでいる。
異形の死体がおりかさなるなかに、ぽつんと青蘭がすわりこんでいた。
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