17章 [  Ⅰ魔術師]

「マスター。サンドイッチ一皿とダージリンティーを二杯頼む。」

「お、お客さん…いつからそこに!?」

「はて?先程こちらに案内されたが?」

「は、はぁ…サンドイッチと珈琲でしたか?」

「ダージリンだ。私は気が短い。早くしてくれ。」

「は、はい!」

商業都市“コマース”の人気のない喫茶店の主人はオータムのドスの利いた声に肝を潰したのだろう。直ぐに厨房に注文を通しに行った。しかし、隣のハルキには全ての事情が分かっていた。

「ハルキ…もう少し“ソート”の扱い方に馴れんとな…」

オータムは溜め息混じりにそう呟く。そう全ての原因は、この少年ハルキ。時空を超える力を持つ剣“ソートソード”を使い、“コマース”の人目につかない裏通りに出ようとして、間違えて喫茶店の中に現れてしまったのだ。誰もいないはずの店内で鼻歌交じりに油を売っていた店員は、さぞかし驚いたであろう。ハルキは、サンドイッチがカラシ抜きだったり、ダージリンが結局アールグレイだったりで終始不機嫌だったオータムを上手くなだめてその場を何とか取り繕ったのだった。ハルキ達は喫茶“羽葉”を出て“コマース”西二番街の裏通りを進んでいた 。

「オータムさん。ところで今回“コマース”に来たのは…」

「口直しがいるな…あのサンドイッチには一体何が入っていたのやら…銀貨の無駄だった。」

ハルキがオータムに旅の目的を聞こうとしたが、オータムは今だに喫茶“羽葉”の料理にケチを付けている。

「そもそも、ハルキ。お前のソートの使い方がなってないからあんな店の料理を喰う羽目に…出世払いで返して貰うぞ。」

一件の喫茶店に対する愚痴の矛先が自分に向きだしたので、ハルキは黙っていることにした。下手に返せば将来、利子付きでサンドイッチの代金を請求されかねない。しかし直後、オータムの愚痴もハルキの思考も突如響いた爆音で遮られることとなった。

「わたくしはオール司教と申します。“ホーリネス”で神学を学び、“リミト”で教会長を勤めたその者の名はライラック・オール司教です。」

どうやら誰かが表通りで演説を始めたようだ。オータムはライラック・オールという名を聞くとピタリと足を止めた。

「オータムさん?どうしたのですか?」

しかし、オータムはハルキの問いに応えずクルリと身体を回転させ、オール司教が演説をしている方へスタスタと行ってしまった。

「待っ、待って下さい!」

ハルキは大股で歩くオータムを慌てて追いかけるのだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「今、“コマース”は危機に瀕しています。“フール”の地はあれ、軽工業の原材料価格は日に日に上昇しています。しかし、皆さんは幸運でもあります。何故ならこの世界に神が存在するからです…」

オールの話はハルキにとって退屈であった。商業に明るい“コマース”の人々はどうだか分からないが、政治経済に詳しくないハルキはには言ってることの八割が理解できなかった。実際、立ち止まる人はまばらであまり気にとめる人もいなかった。しかし、オータムは遠巻きにオールを眺め、そこから一歩も動こうとしない。オール司教の話はその間にもエスカレートして行く。

「神とは皆様にとっての友であり、恋人であり、救世主でもあります。皆様の悩みも、苦しみも、貧困でさえ、神のお側にいれば、神が皆様に変わって享受して下さいます…」

延々と続く演説に、ハルキは辟易とし出した。しかし、周りの人は違った。徐々にオール司教の周りに人が集まりだしたのだ。はじめは興味がないとそっぽを向いていた宿の主人や旅行中の貴婦人もあちらこちらで手を休め、じっとオール司教を眺めているのだ。

「神は唯一無二の存在にして皆様の為におられます。しかし、皆様は神から目を逸らし、偽りの司祭や教皇の戯れ言を信じてきました。今現在、かつては“聖女の春”とまで呼ばれた一時代を創った誇るべき我らが都市国家“コマース”がその地位を“フォントン”なぞに奪われかねんとしているのは、全てその邪教無神教のためなのです…」

口を開けている時間が、閉じている時間の五倍を超えているであろうオール司教の勢いは止まらない。そしてそれに呼応するように立ち止まる人も、耳を傾ける人も、拍手を送る人さえ鼠算的に増えていたのだ。ハルキはそんな人々に驚いているのにも関わらず、自らもその一人となっていることに気づいていないのであった。

「神はお怒りだ。そして非常に悲しんでおられる。人々が偽りの聖人に騙され、搾取されていることに…神はそれでも皆々様を救われんと思われた。しかし、神は邪教によってあまりにも遠い所へと追いやられてしまわれた。そう我々の天上に…」

オール司教が天を指せば人々は天を見上げ、地を指せば彼らは足元を覗いた。オール司教の声に足を止めた人々は膨れ上がり、間もなく西二番街をせき止めてしまった。ハルキは自分が前のめりになっていることに気づいていない。彼の目にも通りに並ぶ“コマース”の人々同様にライラック・オール司教しか見えていなかった。

「神は私に告げました。“コマース”の人々と共に“ウエスト”の地に巨塔を立てよと。神との会話の地を、神が我々に下さる恵の通り道を作れと仰せられたのです。わたくしはやって参りました。オールは、ライラック・オールは神と皆様方を繋ぐ為にやって参りました。」

通りに歓声が溢れた。諸手を挙げた司教に溢れんばかりの拍手が降り注ぐ。

「オール!オール!オール!…」

いつの間にやら始まったオールコールの中、オール司教は声を張り上げる。

「皆様の願い、このオールが神にお繋ぎ致します!」


THE MAGICIAN


鳴り止まないオールコール。色とりどりの貨幣が彼の足元に投げ込まれ小さな山を作る。気づけばハルキもなけなしの銀貨を司教に投げ渡そうとしていた。しかし、それまで動かなかったオータムがパシリとハルキの手をつかみそれを止めた。そして反対の手でハルキから銀貨を奪い取り言った。

「これはサンドイッチ代として貰っておこう。」

ハルキは勢いでオータムの顔面をを殴った。しかしオータムはハルキの拳をひらりとかわしたので、彼はオータムの顔の代わりに背後の酒樽を殴ってしまった。ハルキの拳がジンジンと痛んだが、彼に取って今この瞬間最も大切なのは、オール司教に銀貨を渡すことだった。振り向きざまのハルキに、オータムが水筒の中の水を掛けた。ハルキの顔にヒットした水は彼をビショビショに濡らす。

「目が醒めたか?」

オータムにそう言われ、何だかスーッと身体から熱が抜けて行くような感覚をハルキは味わった。

「は、…はい……」

目をぱちくりとして、ハルキは周りの異様な光景を目にした。皆虚ろな目をして、オール司教にお金を差し出そうとしている。中には後列から紙幣で紙飛行機を作り、それを投げようとしている者もいる。オール司教はといえば、今はその口を噤み、周りの反応を満足げに眺めていた。ハルキはその光景に嫌悪感を抱いて、苦悶の表情でさっきの自分を省みた。

「そ、その…オータムさん。さっきはすみませんでした。」

「質の悪い洗脳術だ。魔術の片鱗がこの時代まで残っているとは意外だったが…ハルキ、恥じることはない、魔術に抵抗のない者はああなって当然なのだ。」

オータムは恐らくハルキをフォローしたつもりでいたのだろう。ただハルキにはそれが、頼りないと言われている気がしたのだ。

「オータムさん。強くなるには…どうすればいいですか?」

オータムはそれには応えなかった。

その時辺りが歓声に包まれた。

「わたくし“コマース”商業組合組合長ラビアン・バナティーはオール司教に組合を挙げて協力し、“コマース”を繁栄に導くことをここに宣言します。」

飛び交う拍手に興奮した声、狂気に満ち満ちた町に夕陽は沈む。

「あの者達の顔をしっかりと覚えておけ。今日は疲れただろう。またとんでもない所に飛ばされても困る。今宵はここで宿を取ろう。」

そう言うとオータムは人混みを背にして歩き出し、少し遅れてハルキもまた歩き出した。珍しくオータムはゆっくりと歩いた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

翌朝、けたたましい叫び声でハルキは目を覚ました。

“コマース”のあちこちで黒煙が揚がっていた。朝食の席で宿の主人が、町中の教会や宗教関連施設が暴徒に襲われているのだと教えてくれた。そして、遅れて起きて来たオータムが選んだこの宿の付近にはその類のものは一つも見当たらなかった。


Ⅰ魔術師 ~曰わくの魔法使い~...fin

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Tora's Data -18-

嘆きの落雷-Wailing Lightning

“西南八年戦争”のさなか、“コマース”商業組合組合長ラビアンとオール司教により建国された、“神聖コマース”の首都“コルサル”に落ちた落雷。

当時としては最大級の人口建造物であった宗教搭の完成式典の最中に、搭そのものに直撃したことで知られる雷で、多くの犠牲が出た。

“神聖コマース”の政治と信仰の象徴たる宗教搭が破壊されたことは、“コマース”市民にとって絶望的な打撃を心身両面に渡って与え“コマース”滅亡の主因となったといわれている。

落雷とその後の混乱によって失われたのは“コマース”全体の三割の経済力に相当する建築物と、“コマース”全土から集まった市民二千五百人。その中にはラビアンの息子で二代目“コマース”町長トラビアンと搭建築の立役者オール司教も含まれていた。

莫大な財産とカリスマ的指導者を失った“神聖コマース”は“コマース十月戦争”で“ペンタゴン帝国”に惨敗。“ペンタゴン帝国”滅亡までその支配下に置かれた。

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