15章 [  Ⅴ法皇]


ポスッ…


時空旅行の最中に“ソート”とはぐれた旅人はどうなるのだろう?

今、その危険な実験に挑んだ勇気ある旅人が一人いた。しかも彼が使用したのは“ソート”の中で最も気まぐれな“ペンタクル”。彼の生存は絶望的とも思われたが、彼は今まさに一台の馬車の上に見事に“落下”した。もしも積み荷が干し藁ではなかった場合のことなど考えたくもない…

服も、顔も、身体もボロボロで満身創痍の彼は気を失っていて、揺れる馬車の荷台で自分が今この時も運ばれていることに気づいていない。彼にとって救いなのは、馬車の主もそのことに気づいていないことだろう。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日暮れに馬車は宗教と信仰の町“ホーリネス”にあるとある集落に辿り着いた。馬車を操作していた男は、集落に一軒しかない宿屋に部屋をとる。

「ああ、クライムの旦那。毎度!またお仕事ですか?」

「ああ。」

「こんな田舎まで毎度ご苦労様で、いつものように一泊で?」

「ああ。」

「馬の方は私どもで面倒みますので、どうぞお部屋でごゆっくり。」

陽気にベラベラと喋る宿の主人に対して、寡黙に返す運送屋のクライム。対照的な二人は一通りの手続きを終えると、片や奥の部屋へ、片や馬を引き取りに表へと動き出した。そこで、馬車に向かった宿の主人が遠ざかって行くクライムに叫ぶ。

「旦那!お連れ様をお忘れです!まだ荷台にお一人、眠られております。追加の代金を!!」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

翌朝、クライムは固い床で目を覚ます。首をごきりと鳴らした後、ベッドで眠る少年に目を移す。彼にベッドを譲ったせいで軽く寝違えてしまったようだ。日に焼け、黒くなった顔の髭を剃り、薄手の深緑のコートを羽織った。クライムは軽く身支度を整えた後、少年を揺すり起こそうと試みた。しかし、直ぐに諦めた。ゆっくりと上下に動いている胸。とりあえずは生きてる。どこで馬車に紛れ込んだかは分からないが、大方家出か何かだろう。疲れてるなら寝かせておけばいい。そうクライムは納得し手帳に昨日の分の業務日誌を付ける。さて、この少年の分の宿泊費は経費で落ちるのだろうか。彼がそんな事を考えていると、コンコンと軽く扉を叩く音と、

「旦那ー!おはようございます。朝食をお持ちしました!」

という宿の主人の声。彼の手にはしっかり二人分の食事が載せられていた。

「あれ?お連れ様はまだ起きられないのですか?」

クライムはいい加減鬱陶しくなってきた主人に、大丈夫だから寝かしておいてやれと言おうとしたが、遅かった。

「お客様!朝ですよ!寝坊はお身体に障りますよ!」

「う、うゎゎゎ………」

およそ、客に対する手付きとは思えない雑な起こし方をされた少年は驚き飛び上がった。完全に怯えている彼を落ち着かせるために、クライムは主人を部屋から追い出すという仕事をしなければならなかった。無事主人を部屋から追い立て、少年を席につかせた頃にはホットだったはずのコーヒーがアイスへと変わっていた。

「…名前は?」

冷めたコーヒー片手にクライムは向かいの正体不明の少年に問う。少年は勧められたサンドイッチに手を付けず、下ばかり向いていたが、そう聞かれてぼそりと…ハルキと呟いた。

「……じゃあ、ハルキ……どこから来たんだ?」

寡黙なクライムと何故か俯いているハルキ。二人の間で時間はことさらにゆっくりと流れていた。

「わか…らない……」

しばらく後にハルキがそう答える。クライムはそれを聞くとコーヒーを一口飲んだ。

「家は?」

クライムは相変わらず単語で聞く。

「今は…あるかわからない……」

ハルキも静かなのでなんだか花瓶の花も萎れて見える。

「そうか…」

クライムがサンドイッチに手を伸ばす。一口かじり、ハルキにもそれを食べるように促す。

戸惑っていたハルキだったが、ゆっくりとサンドイッチをつかみ口へと運ぶ。

「旨いか?」

クライムの問いにコクリと頷くハルキ。並の事情ではないと察したクライムは口をつぐみ、コーヒーに口をつける。静かに流れる時間がハルキにも心地よかった。

「旦那ー!チェックアウトのお時間です!」

ドッカーンという擬音語はこうやって使うのだと教えるかのような勢いで、宿の主人が部屋に入ってきた。荷造りをしながらクライムは、次に来るときは野宿にしようと思うのだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ハルキは馬車の運転席の隣に座らされていた。軽快な音を響かせながら馬は進んで行く。隣では手綱を持つクライムという名の青年。ハルキは彼に助けられたようだった。ようだった、というのも“デビルズガーデン”を出てから、今朝起こされるまでの間をハルキは覚えていないのだ。でも、“デビルズガーデン”で何が起こったのかは今でもしっかりと思い出せる。ハルキは思わず身震いした。

「…寒いか?」

クライムが前を向いたまま聞いてくる。

「……あ、えっと、…」

ハルキが答える前にクライムは自分の着ていた薄手の上着をハルキにかけた。

「…えっと……」

「着ていろ。」

クライムはそれきり喋らなくなった。ハルキも黙って上着を身体に巻きつける。ほのかに暖かかった。暫く走り、馬車は大きめの門の前で止まった。門の中は草が伸び放題だが、その奥に建つ建物は白い壁が眩しい程だった。

「ここで、待っていろ…」

クライムがそう言う。

「え?」

ハルキが驚いたように言うと、彼はハルキを無理に降ろした。

「俺は仕事がある。ここから先の道は少し険しい。三日待て。…三日後、俺はもう一度ここに寄る。お前が俺と来たいなら、それまでにその面をなんとかしろ。商売に向かない。来たくなきゃ、何処へでも好きに行け。俺の世話はここまでだ。そのコートはとっておけ、選別だ。」

彼にしては長いセリフを言うとクライムは馬に鞭を打って先に進ませた。


THE HIEROPHANT


残されたハルキの脇を光り輝く風が吹き抜ける。ハルキはその風を目で追いながら、ゆっくりと足を白い建物へ向けた。

「今日は慌ただしい一日だ。もう勘弁願いたいよ。」

ハルキが建物へと足を踏み入れると、一人の老人がいかにも私疲れていますといった顔で呟いた。老人は床に散らばる灰を箒で丁寧に掃き集めていた。姿形は聖職者のそれだが、何かが(そう、そのほんのわずかな“何か”が)老人を俗世の人間へと留めていた。

「あの…」

ハルキが、そのいざ話かけるのに勇気が要る老人に声をかけると、彼はそのままの姿勢でハルキの方を向いた。

「……何と!」

カタリと箒を取り落とした老人の目は点になっていた。

「彼は賢者だ。真に予言をして見せた。」

意味が解らないという顔をしているハルキの前で、老人は這いつくばりボロボロと涙を零しながら、今度は手で灰を集め出した。

「オッオォータム……私は…お前を馬鹿な奴…変わり者だと思っていたが、オータム…お前は真の賢者だった。」

懐から守り袋を取り出し、その中に例の灰を注ぎこんだ老人は、クルリとハルキの方を向く。ハルキはというと、情緒不安定な老人に怯え、既に逃げ始めていた。

「待ちたまえ!」

しかし、老人は素早くハルキの腕を捕まえると暴れるハルキをズルズル引きずり、近くの椅子に座らせた。そのとき老人が椅子に乗っていた本の山を薙払ったがハルキには気にしている余裕はなかった。

「先ずはお茶でも飲みたまえ。」

大儀そうに言う老人の持つカップは明らかに使用済みで、少し煤まで被っていたがハルキは勢いに気圧されて受け取ってしまう。

「私はシンパティー。この教会の司祭だ。君の名前は…」

この後、押しの強いシンパティー司祭は、突然連れて来られた教会で出会った情緒不安定な自称司祭の質問という名の拷問に怯えるハルキから、じっくり三十分という短時間をかけてハルキという名前を聞き出したのである。更にハルキにとっては不運なことに、シンパティー司祭はその後四時間に渡って、彼を質問責めに逢するのである。その結果、司祭はハルキのこれまでの旅の話を聞き出すことに成功したが、ハルキの大きな不信を買ったのである。

「なるほど。オータムが何故君の事を私に頼んだかよく分かった。」

「…」

先程から度々出てくるオータムという人物が誰かは知らないが、ハルキには最早それを聞く余力すらない。とっくに日は沈み、教会内は蝋燭の光が揺らめいていた。

「随分疲れさせてしまったみたいだね。」

ハルキは無言だ。

「明日には君に山に登り始めて貰いたいから、今夜はぐっすり寝て貰わなければ…」

「や…ま…?」

ここまでの怒涛の精神攻撃でハルキの頭はショートしてしまっていた。

「そう、ここから半日ぐらいの“サーチー山脈”って山なのだけど、実は友人が是非君に登って欲しいと……って、ハルキ君!ハルキ君!!聞いているかい?」

勿論、既に夢の中にいる人間に聞こえる道理はなかった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

翌朝ハルキはベッドの中で目を覚ました。どうやらここは教会の仮眠室のようだ。酷い所に置いていかれたと思うハルキだったが、最早それすらもどうでもいいと思っていた。

(イブ…君は今、どうしているだろうか?)

頭を過ぎるのはそんなことばかり…

暫くベッドの上で寝転がっていると、仮眠室にシンパティーのものと思われる声が響いてきた。何を言っているのかまでは聞き取れないが、ハルキは昨日のことを思い出し、身構える。二日連続で手荒い起こされ方をしたくはなかった。

シンパティーの足音が仮眠室の前で止まる。ハルキは毛布を握りしめた。

「…安らかなる夜と月よ。今宵もあなたのお陰で身体を横たえ今朝を迎える事が出来ました。トラーズ。」

朝の祈りだろうか?

トラーズとは無神教の教典の名前であり、同時に感謝の意味を持つ祈りの言葉だ。ハルキはシンパティー司祭をいい加減な人だと感じていたが、宗教の面に関していえばそれは間違った認識だったのかもしれない。しばらくしてハルキはベッドを抜け出した。行く当てはない。でも…

教会を出た所で、ハルキはシンパティー司祭と出くわした。

「大いなるサーチー山脈よ。母なる恵み、賢者の眠る大山よ。私達に真理を与えて下さい。…トラーズ。」

シンパティー司祭はそこにハルキがいると分かっていたようだ。またクルリと振り返ると、

「ハルキ君。あの山には真理がある。夜に山に入り山頂の灯りを目指しなさい。クライムには私から断っておく。彼は私の甥っ子だ。」

ハルキは何も返さなかった。

彼にとってこの登山は行き当たりばったりの暇つぶし…

でも、それが彼女のやり方だった。自分が脱け殻ならば、宗教や恋人の言う通り動くのも一計だろう。ハルキがはっきりそう思っていたかは別として、これまでの彼らの旅を昨日聞き出していたシンパティーはそう感じていた。ハルキがサーチー山脈にたどり着く前に行き倒れていないか、明日クライムに見てきて貰おう。シンパティー司祭の目線の先では一人の少年が山脈に向けて揺らり揺らりと進んでいた。


Ⅴ法皇 ~新たな旅~...fin

next to THE HERMIT


------------------------------------------------------------------------------------------------

Tora's Data -16-

ホーリネス-Holyness

“サーチー山脈”から東へ半日程歩いた距離にある町々。複数の小規模な集落の総称であり、正確に言えば“ホーリネス”という地名は存在しない。

俗に“ホーリネス”と言われる地域一帯に共通するのは、一様に宗教で町を切り盛りしている点である。その理由としては、“トーラ地方”で広く信仰されている無神教の発祥の地であることや“ソート伝説”、“運命の輪”の発明などがあげられ、信仰熱心な教徒には聖地と言われる要素がこの土地には揃っており、実際“ホーリネス”に住む“トーラ地方”の住民も熱狂的無神教徒が多い。

産業は聖地としての観光業や信者からの寄付によって成り立っており、別名信仰の町と言われている。

しかし、人口は総じて少なく、三帝時代以降は特に過疎化が目立った。“ペンタゴン”のイノベイ帝の頃には“ホーリネス”の大動脈である観光業さえ立ち行かなくなり、宿屋が一時なくなったこともあるという。

“ホーリネス”に属する町々はそれぞれ“リミト”や“コマース”に経済的な援助を求め、長期的な融資を受けることにより間接的に統治される事になってしまい、実質的な自治はなくなっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る