9章 [ Ⅹ運命の輪]
回る、回る、世界は回る
巡る、巡る、何処までも
生かすも、殺すもその人次第
ただし、待ってはくれないよ
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“サーチー山脈”の麓。しかし、彼らが降り立ったのは山の隣に町がある、西の“リミト”側ではなく、少し離れた所に“ホーリネス”の集落がある東の登山口だった。そう、かつてハルキが失意の内に“サーチー山脈”に登った時に使った道の入口である。
「前にここに来た時よりも大分楽になっただろう?」
山を見上げるハルキに、白い髭を蓄えたオータムが話し掛ける。
「ええ、かなり。オータムさんのお陰です。」
それを聞くとオータムはまんざらでもないように、クックッと低く笑った。
「なあ、ハルキ。」
「なんですか?」
オータムが珍しくハルキの目を見て問い掛ける。
「すまぬが少しの間、剣を貸してくれぬか?」
「え?」
ハルキは思わず聞き返した。この剣にも、時空を超える力があると知ることができたのは、オータムのお陰であった。彼はハルキよりもずっとこの剣に詳しい。しかし、だからこそ一度手渡してしまえば、剣もオータムも、時空の先に消えてしまい二度と戻って来ないのではないか。オータムの申し出は、ハルキにそんな不安をよぎらせた。
「安心しなさい。私はその剣で時空を超えるつもりはない。」
ハルキはその言葉を聞くと、僅かながら安堵した。そして剣を鞘ごと、しかしゆっくりと、オータムに差し出した。この剣の使い方を教えてくれたのも、剣術の手ほどきをしてくれたのも彼だ。彼を信用しないのは気が引けた。
「ありがとう。」
オータムは穏やかに言うと、剣を受け取り、勢いよく抜刀した。彼は、切っ先を“サーチー山脈”の頂上に向ける。オータムの回りで風が渦巻き出した。ゴオー、ゴオーという音と舞上げられる砂埃で、五感が奪われる。風の渦は、ハルキとオータムを中心に広がり、やがて消えた。右手で切っ先を下げたオータムの左手には、ボロボロの一冊の本が握られていた。どうやら、山上のオータムの持ち物を剣の力で呼び寄せたらしい。
「そんな使い方も出来たのですね。」
ハルキが感心したように、オータムに近づく。
「高等技術だ。いつか教えてあげよう。君と旅立つ時に、うっかりこの本を山上に置き忘れてきてしまってね。」
「そんなに、大切な本なのですか?」
ハルキが返して貰った剣を再び腰に、差しながら聞く。
「人によってはね。」
オータムはそれをいつもの含み笑いで濁した。
「付き合わせてしまって悪かったね。さて、行こうか。」
「今度は何処へ?」
「同じ時代の“ホーリネス”へ。」
シャランと軽い音を立てて、ハルキが剣を抜く。
「いや、ここからなら夕暮れまでに町につける。たまには剣を使わずに行こう。それとも歩くのは嫌いかね?」
「いいえ。」
ハルキとオータムはお互い清々し気に微笑んだ。
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「あのオータムさん…」
「何だね?」
“ホーリネス”への道中、大股で歩くオータムに小走りのハルキが問い掛ける。
「一つ前の世界…あの大きな塔が崩れた、“コマース”で会った青年。関所で押し問答をしていた彼…あれはもしかしてオータムさんの若い頃、オータムさん自身なのではないですか?」
「ふむ……何故、そう思うのかね?」
相変わらずの大股で歩くオータムは、少し愉しむようにハルキに問い返す。このご老体…とても喰えない。
「えっと、…なんというか雰囲気…は違ったか…でも、考え方も違ったし…う~ん……なんというか。」
「正解だよ。ハルキ。」
ハルキが答えに四苦八苦していると、オータムが杖を肩に乗せストレッチをしながら答える。
「へ?」
あまりにあっさりした答えにハルキは唖然とした。オータムの性格からして、もう少し含みを残すだろうと思っていたのに、彼はまるでその若かりし頃のようにあっさりとした答えを返した。
「あれは、私が若い頃“トーラ地方”中を旅していた時のワンシーンだ。実は私も君と同じ、時空の旅人だったのだよ。使っていたのは“ペンタクル”という気紛れなコインだったがな。」
ハルキは様々な情報を一度に与えられ、思わず思考が停止した。歩幅も元に戻り、大股のオータムから完全に遅れている。しばらく行った所に木陰があり、オータムはそこで待っていた。
「ハルキ。前にも言ったことだが、人は変わるものだ。いや、実は変わっていないのかもしれぬな…」
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“ホーリネス”に着いたのはオータムが言った通りの夕暮れ時だった。“ホーリネス”の中でも小さな集落であるこの町には宿屋が一軒しかない。オータムは珍しく、ハルキとオータムそれぞれに個室を取った。ハルキは遠慮したが、オータムはお互いに考えたいことがあるだろうと言って、無理に部屋を二つ取った。
夜。ハルキは眠れなかった。久しぶりに聞いた“ペンタクル”という名。それは、あの傲慢で、大胆で、サボり癖があって、こんなこと面と向かって言えば、半殺しの憂き目に遭わされるほど暴力的なあの亜麻色の髪の少女を思い出させた。
「イブ…」
小さく彼女の名前を呼んで見る。しかし、途端に彼女の変わり果てた姿が瞼の裏に見える。
―人は変わるものだ。いや、実は変わっていないのかもしれぬな…―
オータムの言葉が、ハルキの胸に刺さった。
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翌朝。ハルキとオータムは宿屋で朝食を済ませると、オータムの提案でホーリネス教会の狼司祭シンパティーの元へ向かう事になった。ハルキも、オータムと出会うきっかけを作ってくれた司祭に挨拶をしておきたかったので、調度良かった。
ホーリネス教会は相変わらず、手入れの行き届いている所とそうでないところの差がハッキリとしている。“トーラ地方”の教会で重要とされている白い壁は綺麗に研かれているのに対し、庭は雑草が伸び放題だ。シンパティー司祭の性格をよく象徴している。オータムを先頭に純白の扉を開く。中は大聖堂になっており、シンパティー司祭は奥の書斎から調度出てきた所だった。
「オータム!!」
シンパティー司祭が大声を上げて、抱えていた書物をドサドサと床にぶちまける。その本を踏み付けながら、シンパティー司祭はこちらに駆け寄ってくる。
「山を降りていたのか!いや、これはたまげた。ささ、お茶を入れるから奥へ来たまえ。」
ハルキはシンパティー司祭の暖かい持て成しにあやかろうと、一歩足を踏み出したが、それをオータムに止められた。
「そんなことよりシンパティー。本はもっと大事に扱ってくれ。」
不機嫌丸出しのオータムを見て、これまた頑固者で短気な一面を持つシンパティー司祭がどう反応するのか、ハルキは戦々恐々とした。しかし、
「ああ、スマンスマン。」
シンパティー司祭は意外にも素直に従った。本を広い集め近くの椅子の上にゆっくりとおいた。
「突然来てすまないのだがシンパティー。あれを見せてくれないか?恐らくあまり時がない。」
「ああ、構わないが…」
シンパティーはそれを聞くと、すぐに書斎の奥に戻って行った。
「あの、オータムさんあれって…」
「シッ!」
オータムが静かに黙れという。おかしい?ハルキは昨日まであったオータムの余裕が消えていることに気づいた。
しばらくしてシンパティーが、大きめの深皿のようなものを持って帰ってきた。オータムはありがとうと一言礼を言うと、その深皿を丹念に覗きだした。皿の中には、時計の文字盤のようなものや天球図のようなものが描かれ、その模様は絶えず変化している。ハルキはそれが何なのか聞きたかったが、オータムが明らかに“邪魔をするなオーラ”を出していたので、暇そうなシンパティーにそれを聞いた。
「司祭。あれは何なのですか?」
「“運命の輪”と呼ばれるモノだよ。“トーラ地方”の中で最も古い町“ホーリネス”には昔から不思議なものが沢山あるのだけど、この教会に伝わるあの“運命の輪”ほど不思議なものは中々ないね。なんでも、全てのモノの運命を示しているらしい。人も物も、世界そのものの運命さえも…ただ、その“運命の輪”の唯一の問題は、今それを読み解けるのが、オータムただ一人ってことかな。…ところで君見かけない顔だね。」
司祭の説明を頭の中で整理していたハルキは、危うく今の言葉を聞き逃すところだった。
「いえ、司祭と僕は一度会って…」
「でも、凄いよ。あのオータムを山から引きずり降ろしちゃうとは…今まで誰が行っても、梃子でも動かなかったのに…」
あ~、司祭の悪い癖だ。自分が話し出すと人の話を聞きやしない。でも、司祭が僕のことを知らないってことは、ここは、僕が“サーチー山脈”に登る前の時代ってことか?
「やはり、あと十五分もない。」
“運命の輪”から顔を上げたオータムが鋭く言うと、シンパティー司祭のお喋りとハルキの思考がピタリと止まる。
「時間がないので手短に言おう。シンパティー!この本を預かってくれ。寄贈扱いで構わん。」
そう言うとオータムはボロボロの服の中から、昨日呼び寄せた本を取り出しシンパティーに押し付ける。
「私の真理はそこにある。それから、まもなくここにいるこの少年とそっくりの少年がこの教会を訪ねてくる。彼に“サーチー山脈”山頂への登山をさせてくれ。私はそこで、彼を待っている。」
ハルキは息を呑む。この後僕がここへ?しかし、驚く暇をオータムは与えてくれなかった。
「ハルキ。お前はアーマー・ラッドの時代の“ペンタゴン”に行け。今のお前なら、あの惨状を見ても耐えられるだろう。すぐに出発しろ!私は一緒に行けない。“ヘルバレー”の奴らが動き出した。」
ハルキが目を見開くと、オータムは早く!と叫んだ。
(オータム自身が彼とハルキを出会わすきっかけを作っていたのか?“ペンタゴン帝国”の惨状とは?“ヘルバレー”の奴らって何のこと?そもそもどうしてオータムはこんなに焦っているの?。)
ハルキはオータムに聞きたいことが山のようにあった。シンパティーはただオロオロとしている。いくつもの疑問をオータムにぶつけたくて、ハルキはぐずぐずしていた。オータムはそんなハルキの手を掴み、無理矢理剣を抜かせた。
剣に力が溢れ、風が流れ出す。
しかし、その瞬間。オータムの手から力が抜けた。ハルキには何が起きたのか分からなかった。初めはオータムのボロのローブだけが燃えていると思った。でも、突然現れた炎は彼自身をも飲み込み、彼は膝を着いた。
WHEEL OF FORTUNE
彼の手の中、宙を回りだした“運命の輪”は砕け、後には灰しか残らなかった。
「なんだ。もう持ってねーじゃねーか。“土のソート・ペンタクル”。ならばここにもう用はない。」
オータムの後ろから現れたのは…
「…カ…イ?」
ハルキが彼の名を呼んだ時には既に彼は金に光るステッキをかざして、炎と共に消えて行った。“デビルズガーデン”で出会った黒髪の青年は一瞬で現れ、オータムを燃やしてまた一瞬で去っていった。
「オ、オータム…」
長身の老人は跡形もなく灰になり、彼の著作だけが残った。既に発動していた剣によって、ハルキは本人の意思に反して風になる。そして、“ホーリネス教会”の境界ですれ違ったのは…まだ何も知らない自分自身だった。彼はうつむき、これから出会う人の最期を知らない。しかし、ハルキは彼に何も言ってやれなかった。
「今日は慌ただしい一日だ。もう勘弁願いたいよ。」
シンパティー司祭はそう呟くとその場にへたりこんだ。
Ⅹ運命の輪 ~動き出した世界~...fin
next to DEATH
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Tora's Data -10-
オータム-Autumn
“トーラ地方”に存在した思想家、歴史家、予言者。
その生没年は定かではないが、“ホーリネス”の聖職者スロープ・シンパティーの日記に彼の記述があるため、おそらく“ペンタゴン帝国”の三帝時代の人物ではないかと伝わる。
しかし、いずれにしても謎多き人物で、彼の前半生を記す記録や著作は皆無といってよい。オータムという人物が初めて記録に登場するのは、“ホーリネス”で盗賊バーグラの隠れ家に住む親子に銅貨を恵んだという逸話をシンパティーが日記に記した時である。それ以来、シンパティーの日記や“麓町リミト”の木こりの話を旅行家ラベルが自身の紀行に記したものなど度々オータムに関する記録が増えてくる。
それらによれば、彼は長身で毛深く、厳格聡明な人物であり、後には“サーチー山脈”にて三十年もの間山籠もりを続けたと語られている。
オータム自身の著書については虚飾が多く、原本がどのようなものであるかは想像の域をでないが、現在の形だけを見た場合、彼が史実を忠実に書き表していたことはほぼ間違いないだろう。しかし、奇妙なことに彼の記述は三帝時代から二百年以上後のアーマー・ラッド帝の頃まで続く。この事実からオータムは予言者であったと歴史は伝えるが、実は彼は魔法使いであったなどの少々行き過ぎた解釈までもが一部都市の正史には残っている。
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