8章 [ ⅩⅡ吊された男]
“ペンタゴン帝国”の西の果て…
そこには、古来より海と呼ばれる物が存在するといわれているが、確認した者はまだいない。
「やっぱり無理か。」
仕事を終えた剣をハルキは鞘に仕舞う。“トーラ地方”の風の力を使って時空を超える。“ソートソード”の力をもってしても、“トーラ地方”の外にある海まではいけないようだ。
ハルキは今“帝都サイパイヤ”から南に移動した“トーラ”の果て“イッツ要塞”に来ていた。特に理由はない。気まぐれで始めた旅で様々な人と出会い、別れ再び一人になった彼は、ここから逃げ出したかったのだろうか?
しかし、不思議なことに彼が着いた“イッツ”は、彼が旅を始めるきっかけとなった、とある少女と“ペンタゴン帝国”に来た時と、ほとんど同じ時代だった。おかしいな?と彼は自嘲する。その少女よりもずっと“ソート”の使い方は上手くなったはずなのに…今は、その少女の…この旅のことを思い出したくないのに、その原点の近くに来てしまうとは…
“ペンタゴン帝国”の末路を知っているなら、その栄えていた頃は再び見まいと思っていたのに…
彼はぶらりぶらりと“イッツ”の町をさ迷った。別に急ぐ旅じゃない。これといった目的地もない。しかし、“ソート”の力で来てしまった時代なら、何か意味があるのだろう。“イッツ”のような要塞の町に来た事がなかったハルキは、一晩ここに泊まる事にした。
手近な所で宿を取り、“イッツ”の町をふらついた。天下の“ペンタゴン帝国”といっても、僻地にあたる“イッツ”ともなるとかなり寂れている。時の皇帝、アーマー・マンリーもお手上げなのだろう。
直ぐに終わってしまった繁華街に飽き、宿に戻ろうとしたとき、ハルキの目に興味深い物が映り込んできた。男である。勿論ただの男ではない。赤い服を着て、木製の吊し台に逆さ吊りの状態で吊されている。男の目は閉じられ、顔は赤黒く変色していたが、ゆっくりと上下する胸の動きが、彼がまだ生きている事を示していた。
ハルキは夕陽に照らされる男にゆっくりと近づいていった。ハルキの影が男の顔にかかり男が掠れた声を出す。
「どなたですか?」
「旅人です。」
ハルキは無感情に答えた。
「そうですか…」
男は苦しそうに息をしながら、少し落胆したように言う。
「王子はお出でにならないと…」
男の額に涙が線を引く。
「貴方は、何故このような罰を受けているのです?」
ハルキは吊された男に尋ねた。
「罰ではありません。」
しごくゆっくりと男が答える。
「私は自らの意志で、ここに吊されているのです。」
男はなお、ゆっくりと話す。
「訳をお聞きしたいのですが、そのままでは苦しいでしょう。降ろして差し上げますから、何故こうなっているのか…」
「降ろさないで下さい!」
ここで初めて男が大きな声を出す。衰弱しきった男のどこにまだこんな力が残っているのかと、ハルキが驚く程の大声であった。
「どうか、降ろさないで…」
男の豹変ぶりに飛びのくハルキだったが、再び男の額に涙が流れると再び男に近づいた。
「聞かせて下さいますか?」
沈黙をハルキは肯定と取った。
「私はマンリー帝の元で外務大臣を務めていました。」
男がゆっくりと語りだす。
「陛下は非常に優れた皇帝でいらっしゃいました。特に突然お歳を召されてからは、民のため、この“トーラ”のためとご政務に励まれておられました。この“イッツ”の町に要塞だけでなく、下水道や市まであるのは全て陛下のお陰です。」
ハルキは昔を思い出していた。マンリー帝はあの夜、“ペンタクル”の力を使い。自らの国の行く末を知り、ただひたすらにつかの間の安寧を求めたのだろう。
「しかし、無理が祟られたのでしょう。陛下はご病気に臥され、後継をラッド王子に任されました。陛下はいまでも、アーマー城で療養されています。しかし、政務のほとんどはラッド王子がされています。」
ハルキはゆっくりと掠れた声で話す男の話を黙って聞いていた。しかし、次の瞬間、男の口調が変わった。
「しかし、ラッド王子は陛下のお気持ちなど何も分かっていなかったのです。陛下は民が安心して暮らせる町を造ろうとして、お身体を壊されました。それなのに、ラッド王子は権力を握るやいなや“フォントン”に宣戦布告をしたではないですか!陛下の父君であるイノベイ帝の軍拡政策に民が喘ぐのに、心を痛ませていた陛下が、30年にも渡って戦争をしなかったというのに!ラッド王子は…王子は一体…」
息を荒げ、本当の意味で頭に血が上っている男を落ち着かせるのに、ハルキはしばらく時間をかけた。
「それで、どうして今貴方はそのような格好をしているのですか?」
落ち着いてきた男にハルキが問う。
「私はラッド王子に、戦争を止めるよう諭しました。しかし、王子はそれを受け入れてはくれませんでした。何度かそのやり取りを繰り返す内、王子は私を解任したのです。“フォントン”を攻めるのならば、必ず軍勢を“イッツ”と“ヨー”の二つの要塞に集めてそこから進軍するはずです。実際、私は二日前に“イッツ要塞”に帝国軍が入って行くのを見ました。左遷された地がここ“イッツ”である私は、王子に抗議するため、このような姿でここに吊されているのです。」
男はそこまで話すと再び涙を流した。
「どのくらい、そうしているのですか?」
ハルキが尋ねる。
「一週間です。私ももう長くないでしょう。従者に一日一杯の水を運ばせているのですが、私の人を見る眼は曇ってしまったようです。私についてくることで、出世の機会を失ったと思った彼は三日前から、あのように水を置くのです。私の目に入るように、しかし決して手が届かぬように…私があの水を飲めないように。」
ハルキが振り返ると、すぐ後ろに積まれている木箱の上に美しく彫刻された青銅のカップが置かれていた。
「あのカップは私の働きに対して陛下が下さったものです。私はこの命が尽きようとも、民を苦しめる戦争に反対し続けます。」
THE HANGED MAN
ハルキは、無言で背後のカップを取り、男の口へと運んだ。カップは輝いていたが、男は既に息絶えていた。彼の額には彼の無念の涙が滲んでいた。
夕陽が沈み、カップの光りも消えた。ハルキが立ち上がるのと、それは同時だった。目の前の男を炎が包み、その中から一人の青年が現れた。
「カ…イ…」
イブの時も、オータムの時も、大切な人との別れにはいつもこいつがいた。僕と同じ旅人、僕と同じ時空を超える道具“ソート”をもつ者。
「風使いが、水まで手にするのは少々欲張りだとは思わないのか。」
青年が完全に炎の中から姿を現すと、背後に吊されていた男は吊し台もろとも灰になった。青年、カイはそんなこと気にも止めず、先程からただ一つのものだけを見ている。
「まさかこれが!?」
「そう、俺が持つ“ワンド”、君が持つ“ソートソード”、俺が預かる“ペンタクル”と同等にして、世界を構成する最後の四大元素。“ホーリーカップ”。真の持ち主たるハングドマンが死んだ今、それも“ヘルバレー”に返されるべきものなんだよ!来るべき、審判の時の為に!」
ハルキはこの“ソート”と呼ばれるものについても、最後の審判についてもよく分からなかった。ただ、これだけは分かった。いつもいつも大切なものを奪って行くカイに、これ以上“ソート”を彼が欲する力を渡してはいけないということだ。
「…嫌だ。」
「ん?」
「お前なんかに、あの吊され人の気持ちが分かってたまるか!カップは、僕が渡さない!」
そう言うと、ハルキは剣を抜いて、カップを持ったまま時空を移動した。
「どこに行こうと無駄さ。俺も“トーラ”中を行き来出来るのだから。」
カイは再び炎に包まれ、消えた。
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…それから小一時間が過ぎた。
「王子あれが“イッツ要塞”です。」
「すっげー!俺の初陣にはぴったりだ。お前もそう思うだろうフューチ。」
老いた白馬に跨がった、“ペンタゴン帝国”次期皇帝、アーマー・ラッドが“イッツ”の町に入った時には、彼の到着を待っていた男は既に灰となり、この町から…“ペンタゴン帝国”から去っていた。
ⅩⅡ吊された男 ~燃える水盆~...fin
next to JUSTICE
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Tora's Data -9-
“ソート-ホーリーカップ”-“suits-Holy cup”
“トーラ地方”に伝わる伝説上の祭器の一つ。水を司るとされ様々な奇跡が伝わっている。一部の独創的宗教家の間では世界を創った品として神格化もされている。
“ソート”と呼ばれる品は“トーラ地方”に幾つか存在すると云われるが、“ホーリーカップ”はその中で唯一正史の上でも登場する。
“ペンタゴン帝国”の三帝時代の始めとされるアイン帝の頃(一部ではその弟ツヴァイ帝の頃とされる)、現在の“ミー要塞”に当たるズデーテン地方の領主プロス・ズーデンテンが“ペンタゴン”への臣従の証として家宝のカップを皇帝に捧げたとある。
カップの形状、色などは時代によって記録に差異があるが、このカップはドライ帝の戴冠式やイノベイ帝の結婚披露の式典の時にも登場している。このことから“ペンタゴン帝国”の宝物の中に実在したことは、間違いはないだろう。
その後このカップは、名高いあのマンリー帝によって“サイパイヤ危機”でもっとも功のあった、忠臣ラビス・ズーデンテンに下賜されたところで帝国正史から姿を消している。ちなみにラビスは没落したプロスの子孫の末裔である。
その正体は、“トーラ地方”を支える世界の支柱の一つである。創世記に愚かな持ち主によって使われたことでその力の大部分を失ったが、創造主により人の生きる力“アルカナ”を注ぐことで、他の“ソート”と共に再び世界を構築できる力を持つように創られている。
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