7章 [  0愚者]

ここは“フール高地”。“トーラ地方”の南東に位置する広大な高原である。“トーラ地方”では“ペンタゴン帝国”などの文明が発展した町は西部に集中している。それには地理的な要素が深く関係しているようだ。“トーラ地方”中央に位置する“サーチー山脈”はかつて活火山であったといわれている。“フール高地”はじめ“ホーリネス”や“荒野ウエスト”など中、東部には、その火山灰が広く降り注ぎ、作物が育ちにくくなってしまったそうだ。必然的に人は西部に流れ、今の“ペンタゴン帝国”や“商業都市コマース”を形成した。そして、東部に残された少数の人々は酪農など、限られた仕事で生計を立てていた。ここにいる少年ハルキもその一人である。

彼の一族は曾祖父の代から羊飼いであったとハルキは聞かされている。羊毛やラム肉を“麓町リミト”を通して、“コマース”などに売って生活している。僻地である“フール高地”の人間は皆そうして暮らしていたし、それが当たり前だとハルキも思っていた。“フール高地”が地理的に不利なのは、火山灰のせいだけではない。“フール高原”の西端は崖になっており、商業の盛んな“コマース”に近いといえども直接農産物を買って貰えない。北方の“リミト”を一旦経由するため、彼等の収入はかなり搾取されてしまっていた。しかし、これもハルキは仕方のないことだと思っていた。

(気に入らなくても、彼らに中継してもらわなければ生活が出来ないんだもん。)

彼には両親がいない。ハルキが一通りの仕事が出来るようになった頃、二人ともぽっくりと逝ってしまった。父は流行り病だったようだが、母は食べ盛りの息子に充分食べさせるために、餓死同然の死に方だったようだ。幼かったハルキはその事については知らない。死の直前母親のベッドの脇にハルキは呼ばれた。最期まで息子を按じた母は、ハルキに一本の剣を残した。細身のシンプルな剣。護身用ぐらいにしかならないだろうが、ないよりマシと考えての事だった。やがて母が亡くなると、ハルキは一人で羊の世話をしながら暮らし始めた。しかし…

「おーい!どこ行くんだよ!」

ピーと吹き鳴らした笛を無視して、遠くへとかけて行く羊達。ハルキの毎日はそんな脱走羊との追いかけっこに大半を費やしていた。

「おーい!待てって、おーい!」

ハルキの声を無視して、今日も羊は逃げて行く。

「お~い……はぁ~あ…」

ハルキは盛大に溜息をつくと、羊を追うのをやめた。どうせお腹が空けば帰ってくるだろう。当たり一面、牧草だらけなことはこの際無視して、ハルキは自分に言い聞かせる。両親から受け継いだ羊は一体何頭まで減ったのだろう…

(ああ、考えたくもない…)

ハルキは頭を抱えると、

「帰ろ…」

とぼそりと言った。東に歩を進め小さな家を目指す。まだ日は高いが、なんだか疲れてしまった。しかし、トボトボと歩くハルキは家に辿り着けなかった。

「…い、い、い、い、犬!」

熊よりも、狼よりもハルキが恐いもの、それが犬である。小さな頃、父が拾ってきた犬に噛まれたうえに、追い回された事がトラウマになったハルキは、なによりも犬を恐がっていた。そして今、家へと向かう道中の真ん中に犬がいるのだ。ハルキはパニックになる。チワワのような小型犬でもそうなのに、今目の前にいるのは灰色の体毛を逆立てた大型の犬。小さな猫なら丸呑みにしてしまいそうなその犬を前にして、ハルキは回れ右をして一目散に逃げ出した。好奇心なのか、嫌がらせなのか、その大型犬はそんなハルキを追い掛ける。

「わ~~~~!頼むから、こっちに来るなよ!」

腰にはいつも例の剣を差しているのだが、それを使う余裕もない。ただ犬に追い掛けられ、西へ西へと走っていく。

―“フール高原”の西端は崖になっており…―

無情にもハルキの目の前には荒野を見渡せる虚空が広がり、その背後には息巻く大型犬が迫りくる。ハルキの目の前には崖、後ろには大嫌いな犬…。

「あ、あ、あ…やめて…来ないで…」

泣きそうになりながら、犬に懇願するハルキ。しかし、犬はそんなハルキの気持ちを知ってか知らずか、一歩、また一歩とハルキに迫ってくる。

「ひいいいいい…」

ハルキの足元から小さな石が崖下へと落ちて行く。眼下には“荒野ウエスト”の西端が、その先には“コマース”の町が小さく見える…

ハルキは視線を崖と犬に交互に向けながら、追い詰められていた。

「あ、あ…ああ」

犬がまた一歩踏み出す。

「あああああああああ!!」


THE FOOL


ハルキはパニックから後ろ向きに崖下に飛び降りる。しかし、身体はちっとも落ちて行かない。

「あんた。馬っ鹿じゃないの!?」

次の瞬間にはハルキは宙に浮いていた。もうなにがなんだか分からない…

目の前が暗くなる寸前、ハルキには光るコインを持つ少女が見えた気がした。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ペロペロと顔を舐められる感覚。

「ん…ん~」

ハルキは目を覚ました…途端に叫んだ。

「い、犬~!」

先程ハルキに生死の選択を迫った大型犬は、気絶したハルキの顔を舐めて、彼を起こそうとしていたのだ。

「うるさい!」

ガツンという音がして、再びハルキの意識が飛びそうになる。目をあげると、気を失う直前に見た少女が拳を突き出していた。

「あんた馬鹿じゃないの?たかが犬で大騒ぎして、崖から飛び降りようとするなんて…」

亜麻色の髪を短くまとめた、よく通る声の少女はそう言うと、灰色の大犬の喉をなでる。

「あ、ええと…」

「それが、欲しかったみたいよ。」

強引な少女は、断りもせずにせずにハルキの肩にかかっているバックから干した肉を取りだし、それを犬に投げた。ハルキは働かない頭に活を入れ尋ねる。

「君が助けてくれたの?」

「イブよ。そう呼んで頂戴。全く貴方みたいな馬鹿は始めてよ!“フール高地”がどんな所か見に来てみたけど、何にもないし、みんなあんたみたいな馬鹿ばっかなの?」

イブと名乗った少女は呆れた顔でハルキに尋ねる。

「ねぇ、“フール高地”を見に来たって言っていたけど、他の所にもいろいろ行ってるの?」

しかし、ハルキがイブに逆に質問する。

「えっ!?ま、まあ少しぐらいは。」

それにイブが答える。

「いいなぁー。」

ハルキは心底羨ましそうにイブに言うと、再び崖の縁に立った。

「ちょっ、ちょっと!」

また飛び降りるのではないかと心配したイブがハルキを咎める。

「僕、ずっとこの箱庭みたいな高原で育ったから…外の世界を見たことなくて…ねぇ、外ってどんな感じ?」

無邪気にハルキがそう尋ねる。しかし、しばらくイブは黙ってしまう。

「?」

「連れてってあげましょうか?」

「え?」

ハルキは驚き聞き返す。イブはポケットからあのコインを取り出す。

「これは“ペンタクル”。時空を越えるコインよ。外の世界が気になるなら、一緒に来て。」

そう言ってイブは片手を差し出す。

「え…でも…」

ハルキにとってはこのまま羊飼いとして一生を終えるのも、このよくわからない少女とよくわからない旅にでるのも、大した差はなかった。

(ていうか、同じ。)

つまらない一生と危険な冒険。後者の方が魅力的かな?

ただ、ハルキにはもっと大問題があった。

「手…繋ぐの?」

「ええ。」

サラリと肯定される。ハルキは小さな時からほぼ親子三人で暮らしてきた。女の子と話すことさえ大変なのに…て、手を繋ぐなんて。その時、すっかり忘れ去られていた犬がハルキに向かって吠えた。

「ぎゃ!」

ハルキは途端にイブに抱き着く。そして、鈍い音がしてハルキが吹き飛ぶ。

「手だけだって言ったでしょ!勘違いしないでね。貴方はただの荷物持ちだから。」

そこまで言うと少女は笑顔になって、再び手を差し出す。

「貴方、名前は?」

「…ハルキ。」

「じゃあ、ハルキ行くわよ!」

こうして、世界を支える一柱を持つ少女とハルキとの、世界を創るアルカナを巡る旅が始まった。しかしハルキは、そしてイブもこの旅の意味にまだ気づいていない。


0愚者 ~出会い~...fin

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Tora's Data -8-

フール高地-The Fool plateau

“フール高地”とは、“サーチー山脈”南部に広がる広大な高原のことであり、別名“フール高原”ともいう。活火山であった“サーチー山脈”の火山灰の影響で土地は貧弱で農作業には適さない。古来より“遊牧民族ボヘミア”がその生活圏としていたこともあり、現在でも酪農、放牧などが主な産業である。

人口はまばらで、比較的少人数で多くの家畜を飼育しているが、西の“商業都市コマース”との間に崖がある関係上、商品の出荷には“麓町リミト”を経由する必要があり、そのため住民の所得は低めである。取り立てて何もない土地柄故に、特に第三次産業の発達が遅れているにいたる。

“ペンタゴン”で武帝イノベイが全盛であった頃、都市部からの避暑地として富裕層の注目を集めたが、猛毒をもつ毒蜘蛛ハルマゲドンの生息が確認され、一気にその注目も覚めてしまった。

ラッド帝即位時の天候不順による第一次産業の低迷を受け、“ボヘミア”の首長アルム・サビンチを中心とした、“フール高地”活性化計画が行われたが、目立った成果を挙げられなかった。

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