3章 [ ⅩⅥ塔 ]

“トーラ地方”の中心“商業都市コマース”に一陣の風が吹き抜けた。“荒野ウエスト”の隣にある“コマース”では強風が吹くと砂煙りが立ち上る。十数秒の静寂の後、視界が晴れるとそこにはこげ茶色のボロボロのローブを着た一人の老人と彼よりも背が低い黒髪の少年が立っていた。長身の老人は白く長い髭を蓄え、杖をつき、ローブのフードを被っていた。少年の方は片掛けのバックをかけ、比較的動きやすい質素でシンプルな格好をしている。

「“コマース”も寂れたな。」

「そうですね、オータムさん。前に来た時には露店が出て、人が行き交っていたのに、今はシャッターの降りている店が目につきますし、人もほとんどいません。」

オータムと呼ばれた老人が呟くように言うと、少年ハルキが感想を述べる。実際行き交う人はほとんどおらず、窓ガラスが割れてしまっている家も所々ある。彼らが以前訪ねたときの“コマース”とはえらく状況が変わってしまっている。

「もし…」

オータムがハルキを連れて、不意に屈んで道端に座り込む男に声をかける。

「はぁ?」

道端に座っている男は無精髭をかきむしり不機嫌丸出しの大声で返事をする。しかし、肩をビクつかせるハルキに対して、オータムは全く動じない。

「私達は旅の者なのですが、少し前に“コマース”に来た時にはもう少しこの町は賑わっていたと思うのですが…。何かあったのですか?」

「ああ?旅人? 少し前っていつの話だよぉ。」

酔っているのか男は呂律が回っていない。

「ここぉいらは30年も前に、どっかの司教が“荒野ウエスト”にでっかい塔を建てるとか言いだしてからぁ、町ごと引っ越して、それからはぁ荒れ放題だ。」

そう言って男は背後から瓶を取り出して、ぐびりと呑んだ。

「ほぉ、塔ですか…。それは一体どういった物で?」

オータムが興味を持ったように少し乗り出す。男はもう一度ぐびりと酒を呑んだ後、オータムを横目に見て話し出した。

「なんでもぉ、その司教が言うには、人間の技術と英知を集めて作り上げる神との交信装置だぁそうだ。地理的には“ウエスト”がぁ、経済的には“コマース”が調度いいらしくて、司教は町長と話をつけてぇ比較的“コマース”に近いあそこで建設を始めたそうだ。人も、物も、金も…みんな持っててよぉ。」

そう言いつつ男は、ハルキとオータムの真後ろを指差す。二人が振り返ると、丁度正面に高く豪華な塔がそびえていた。その高さは雲を貫き、先端が見えないほどだ。

「では、なぜあなたもあの塔の近くに引っ越さないのですか?今はそちらのほうが賑わっているのでしょう?」

ハルキがそう尋ねると男は自嘲気味に笑い、言葉を返した。

「そりゃ、住めるもんなら住みてぇや。だがなぁ、坊ちゃん。そう思うのはみんな一緒だ。みんなが住みたきゃ、土地の値段は跳ね上がる。それに、あの司教はぁ神との交信を行う土地に、相応しいものしかあそこに住まわせないと宣ったぁ。俺ぁ弾かれたよ。塔を作ったのは俺達日雇いだってのによぉ。」

男は唾を吐き、空になった瓶を横にほうった。オータムは曲げていた腰を戻して、礼を言う。

「貴重なお話ありがとうございました。それでは我々はこれで…」

オータムはそう言って男に背を向けた。

「なぁ、じぃさんよぉ。話、してやったんだから、少しぐらい恵んでくれよぉぅ。塔が完成したからって俺達ゃ暇を出されたんだ。明日、いや今日どうしたらぁいいのか…」

男がイボでゴツゴツした手を無造作に突き出す。

「すみませんが我々は旅の途中、あまり手持ちもございませんのでご勘弁を…」

振り返らずにそこまで言うとオータムは、さっさと歩きだしてしまった。ハルキは、男に軽くお辞儀をすると小走りでオータムの後を追った。なにしろこの御老体、背が高いので一歩が大きい。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「オータムさん、さっきの男が話していた司教って…」

ハルキがそこまで言うとオータムは静かに頷いた。

「まさか本当にやり遂げてしまうなんて…」

「人は変わるものだ。いや、実は変わっていないのかもしれぬな…」

そこまで言うと、オータムは低くクックッと笑った。

「…ちょっと待って、それじゃあ、ここはあれから30年後の世界!?」

しばらくして、ハルキが驚きの声を上げる。今まで、気ままに旅をして来たが、正確に前に来た場所との時間差が分かったのは初めてだったからだ。

「正確には34年と3ヶ月だな。私はお前さんに、正確にあの塔の完成式典の日に飛ぶように指示したはずだ。そして、ハルキ。君のソートの扱いも相応に上達している。」

そう言ってオータムが指差したのは、ハルキ達の行く手に高くそびえる、あの塔だった。そして、ハルキは全てを見越すこの老人を驚きと恐怖の混じった顔で見ていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

二人がしばらく歩くと、“コマース”の町外れに関所のような物が見えて来た。

「なんだよ、お前ら!通してくれよ!」

ハルキ達が関所に近づくと、そこにはどうやら先客がいるようだ。歳はハルキぐらいの、しかし大きな荷物を持ち長身を重装備で固めた茶髪の少年が、赤い紋章の入った制服を着ている二人の門番と中に入れろ、入れられぬの押し問答をしていた。

「司教様より認められた一級市民の証がなければ、お通しすることは出来ません。」

「旅人の俺がそんな物持ってる訳ねーだろ!」

「では、お引き取り下さい。」

「なんだよそれ!通せよ!」

血気盛んな少年は、門番につかみ掛かりもう一人の門番に押し戻されていた。オータムはそれを見てまた低くクックッと笑う。ハルキが首を傾げると、オータムはなんでもないと手を振り、今だ掴みあっている三人の方に向かって行くと少年に語りかけた。

「あ~、私は気が短い方でね。時間がかかるなら先に行かせて貰うよ。」

「なんだと、このじじい!」

少年がオータムに牙を剥くと、彼は恐ろしい程の笑顔で少年を見つめた。ハルキはその光景に鳥肌が立った。老人の笑顔が少年の気迫を上回ると、オータムは門番に向き直り、懐から金貨を六枚出し門番に押し付けた。

「今日はめでたき完成式典だ。君らもこれで一杯やりなさい。私達もこの式典、楽しませて貰いますぞ。」

ハルキに合図を送るとオータムはズンズンと関所の内側へと入って行った。後を追ってハルキも塔に近づいていく…門番達は追って来なかった。抗議する少年の声が聞こえた気がしたが、ハルキは聞かなかったことにした。

関所の中はそれ以前とはまるで変わっていた。以前の“コマース”いやそれ以上の賑わいかもしれない。市からは幟や風船が上がり、あちこちで人の話声が聞こえてくる。天高くそびえる塔は町の中心に建ち、ここがかつて“荒野ウエスト”と呼ばれていた地域の一部だと言うことを忘れさせてくれる。しかし、ハルキがかつて一緒に旅をしていた亜麻色の髪の少女と違い、オータムはその塔に向かって一直線に進んで行く。ハルキもそれに従った。塔の足元に行くと、人が大勢ひしめき合いそれ以上進めなくなった。

「あっ、ごめんなさい。」

ハルキはそんな中、誰かの足を踏んでしまった。

「なんだね。この汚いガキは?」

立腹の足の主人にオータムが金貨を押し付ける。

「おっ!分かってるじゃねぇか爺さん。このわしをナメちゃいけないよ!何たって、この町の前町長。つまりあの初代町長ラビアン様だからな!お孫さんにもしっかりそのあたりを教えとけ!」

口髭をねじりながら金貨を引ったくると、初老のこの男性はもともと突き出していた腹を更に突き出した。

「では貴方が、オール司教と手を組んであの塔を築いた村長さん…」

「なんと罰あたりな!司教様と呼ばんか!し・きょ・う・さ・まと!わしも始めは胡散臭い奴だと思ったが見ろ!彼のお陰で町は潤い、大事業は成った!ほれ、見てみい、あの立派なお姿を!」

その時集まる群集がざわめき、皆が冠を摸した塔の上部を見上げている。雲のわずかに下にバルコニーがあり、人々はそこを見上げている。ハルキもそれに倣うと冠の真下、中央の窓から赤い装束に身を包んだ人物が数人出てきた。

「あれが司教様だ。そしてその脇にいるのがわしの息子で二代目町長のトラビアン。実はわしもあの席に招待されていたのだが、なにしろ隠居の身だから…」

ハルキは前町長の話を途中から聞いていなかった。なぜなら、オータムがハルキの耳元で囁いたからだ。

「剣を用意しておけ…」

ハルキは困惑した顔をオータムに向けたが、彼は無言で早くと急かしている。ハルキはかばんの陰に隠していた短めの剣を抜刀した。

「…そして、わしと司教様の苦労でこの塔が完成した訳で、経済効果も…ちょっ、あんたら何持ってるんだ!」

前町長がハルキの抜いた剣を見て騒ぎ出した時、町に轟音が響いた。


THE TOWER


突然空が光り、一筋の稲妻が爆音を上げて塔に炸裂したのだ。冠は崩れ、赤い装束を着た人々が落ちて行く…司教も…町長も…

「ト、トラビアン…!」

隣で前町長が失神する。辺りは騒然とし、一瞬の内に大混乱となる。逃げ惑う人々に市は潰され、幟は踏みにじられた。

「行くぞ…」

オータムはそう言うと、目を閉じてハルキと手を繋いだ。

「あなたは…こうなると分かっていたのですか?」

光る剣を見つめながらハルキはオータムに尋ねる。

「ああ、一度見ているからな。」

オータムが答える。

「分かっていたなら、何故止めなかった!」

喧騒の中でも通る低い声が辺りに響く。ハルキの声ではない。ハルキが振り向くと、先程関所で押し問答していた少年が逃げ惑う群衆の後ろから、オータムに向かって怒鳴っていた。

「人を逃がすとか、忠告をするとか、出来ることはあっただろう。」

オータムはゆっくりと振り返ると、彼に向かって一歩踏み出す。

「物事には止め時というものがある。これが彼らに取って最善なのだ。」

「なっ…」

少年が抗議しようとするのをオータムが止める。

「それと、仮に私がそれをしたところで君達はそれを聞いたかな?」

少年は俯く。塔の崩れる轟音で彼が再び顔を上げた時には、ハルキとオータムはそこにおらず、一陣の風だけが吹いていた。

「ここも危ない、君も早く逃げなさい。」

少年とすれ違いざまにそう言うと、風は消えてしまった。


ⅩⅤⅠ塔 ~滅びた町~...fin

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Tora's Data -4-

コマース-Commerce

“コマース”とは“トーラ地方”中南部に位置する商業都市である。

その成立年代は定かではなく、“ペンタゴン帝国”で後に三帝時代と呼ばれる時代を作った一人アーマー・ツヴァイの時代には既に存在したとされる。

主な産業は商業で、東の“フール高地”、“ホーリネス”、“リミト”、西の“ペンタゴン帝国”、“フォントン”などの都市国家間の中継貿易で栄えた。その勢力は一時“ペンタゴン”をも脅かす程になり、慌てたツヴァイ帝は後に五塞と呼ばれる要塞の建設を急がせたという。

しかし、武帝アーマー・イノベイの出現によって“ペンタゴン帝国”に服属。以後朝貢的な貿易体制をとるようになる。皮肉にも、このイノベイ帝の登場により、一時“コマース”は“聖女の春”と呼ばれる安定の時代を手にする。この時代には女性の社会進出が盛んになり、人口も急激な増加を遂げた。

しかし、その安定も長くは続かず、“コマース”は混乱の時代に突入する。

“ペンタゴン”で賢帝アーマー・マンリーの治世が始まるとほぼ同時期に、“コマース”の商人組合長ラビアンが司教を名乗る人物と結託。“コマース”を町の北に位置する荒野“ウエスト”へと町ごと移転する計画を断行した。これは“フール高地”など東の土地が荒れたことによる貿易赤字を是正したい組合長と、商業都市を宗教都市へとすり替えようとした司教の陰謀が一致した事に起因する。

計画は一時的に効果を表し、ラビアンは“神聖コマース”の初代町長、司教は教皇に就任するが、天災により完成間もない“神聖コマース”は滅亡する。

この後“コマース”はその経済力を使い果たし、“ペンタゴン帝国”の侵略に脅かされることとなる。

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