第61話 海へ!
昌弘が一人立ちをしてから数日後。
まだまだ夏休みは始まったばかりであり、だからこそシャルロットコーヒーでのアルバイトのシフトをいつもより多めに、そしてフルタイムで提出した美奈は夕暮れ時にくたくたになって帰ってきた。
「やっぱこの時期は辛いなぁ……」
バイト終わりに帰宅した美奈は軽くシャワーを浴びて、楽な格好に着替えるとベッドに倒れ込む。まだまだ暑い日も続き、帰る道のりだけでも汗をかいてしまうほどだ。普段はポニーテールに纏めている髪は下ろしたままであり、かといって髪が乾いたとしても結ぶ気にもなれない。
ベッドに仰向けで寝転がっている美奈は呻くように声を上げる。
夏休みに入ってから想像していたとはいえ、やはり来店客はいつも以上に多かった。それもこれも全て美奈が勤務しているシャルロットコーヒーが複合施設であるポートシティ新二郷にあるせいだろう。
しかも今は集客を目的として、ポートシティ全体でバーゲンセールを行っており、それが来店客の増加の原因となっている。勿論、売り上げが伸びるのは喜ばしい事だが、その分の負担は倍以上であり、普段は気だるげにししている社員の嘉穂も混雑時には半ば血走ったような目で指示を出して仕事をするほどだ。だが嘉穂の話では、今の激務も年末年始になるとこれ以上だと言うのだから、憂鬱になってしまう。
「……ぬぁ……?」
仕事疲れと気持ちの良いシャワーを浴びたこともあって、睡魔に襲われるのにそう時間はかからなかった。かといって別に睡魔に抵抗する理由はない。ウトウトとして、重い瞼がゆっくり閉じようとした時だった。
スマートフォンに着信が入り、美奈のまどろみかけた意識が覚醒する。間の抜けた声をあげながら、顔をあげて着信画面を見てみれば相手は未希であった。
「……もしもし、みきちゃん?」
未希の着信に応答する美奈だが、その声に覇気はない。
呻き声をあげながら、ひらがなしゃべりの舌足らずな喋り方は容易く寝ぼけているのだと分かるだろう。
『もしもし美奈ちゃんっ!』
……もっとも通話相手の未希は気づいていないようだが。
舌足らずと言えば、どちらかと言うと普段から未希なわけだが、電話越しでも分かるような小さな小学生のようなテンションに苦笑しつつ、何用で電話をかけて来たのかその内容を待つ。
『美奈ちゃんって来週の月曜、暇かなっ?』
「来週……?」
未希から尋ねられたのは来週の予定であった。
カレンダーを見やれば、今日は水曜日。
そのまま視線を下げたところで来週の月曜日に何か予定はなく、念のため、通話の最中にスマートフォンを操作してコミニケーションアプリを開くとシャルロットコーヒーのグループトークを開き、そこにあげられたシフト表を見ても来週の月曜日にシフトは入ってはいなかった。
『……もしかして美奈ちゃん、予定入ってた?』
「えっ……あぁっ……いや……」
来週……と言ってから何の返答もない為、未希が何か予定があるのかと不安げに尋ねてくる。とはいえ単に予定が入ってないか調べていただけで何の問題もない為、そう答えようとしたのだが……。
『そうだよねー美奈ちゃんには恋人がいるもんねぇー……』
「み、未希ちゃん……?」
何を思ったのか、途端に未希の拗ねたような物言いが電話口から聞こえてくる。既視感のある態度に冷や汗をかきながら、口元を引き攣らせながら未希の名を口にする。なにか変な誤解をしているようだが、来週の月曜日は別に恋人である沙耶は全く関係ないのだ。
『そぉぉうだよねぇぇぇっっ美奈ちゃんはリア充だもんねぇぇぇぇぇ? そりゃぁあ私達みたいなフリーな非リア充なんかとは遊んでらんないよねぇぇぇぇぇぇぇぇっ』
「ち、違うよ! 来週は暇だから大丈夫だよっ!!」
電話口にも関わらず、未希の物言いに怨念めいたものを感じる。
思わず電話口から漏れ出るような毒々しいような紫のオーラが見えてくるほどだ。年頃からか余程恋人がいる美奈が羨ましいと見えるが、あくまでも未希は勝手に誤解しているだけだ。そんな未希に慌てて弁明するかのように来週の予定は空いている事を話す。
「……って言うか、私達?」
『うん、来週の月曜日にね、玲菜ちゃんと海に行こうって話になってそれで美奈ちゃんにも連絡したの』
だが途中で未希の私達、という言葉が気になった美奈はその事について触れる。
私達、と言うからには来週の月曜日は複数人でどこかに行こうと言うのだろうか。すると先程の怨念めいた態度は冗談だったのか、コロッと普段の態度に戻りながら今回、美奈に連絡をとった理由を明かす。
「あぁそういう……。さっきも言ったけど、来週は大丈夫だよ」
『やったぁーっ! あぁそうだ、なんだったら沙耶ちゃんも呼んで良いよ?』
合点がいった美奈は改めて来週の月曜日は空いている事を口にする。
だが次の瞬間、予想もしていなかった未希の沙耶も誘って良いと言う言葉に驚いた。
「その心は?」
『沙耶ちゃんともっと仲良くなりたい』
いつもの三人組ではなく沙耶も誘っても良いと言うのだから驚きだ。
それこそ啓基やそれ以外でも多くのクラスメイトがいる為、わざわざ沙耶を指定するのは意外だった。何か沙耶を誘う理由でもあるのかと思った美奈はその事を尋ねると、未希は正直に明かす。
その言葉で普段の未希と沙耶を思い出す。
昼食などたまに未希や玲奈を交えて四人と食べる事もあったが、確かその時でもぐいぐいと沙耶に喋りかける未希だが、いつも沙耶は適当にあしらっていた。
「あぁ……」となんとも言えない様子で納得する美奈。
沙耶は未希達にとって後輩にあたる。
やはり身近で可愛い存在であることに違いはないのだろう。
「じゃあ沙耶ちゃんも誘ってみるよ」
流石に普段から友人は一人もいないと公言しているような沙耶に思うところはあったのだろう。
人とあまり接したがらない沙耶が輪を広げていくのは美奈としても望むところだ。美奈は沙耶を誘う事を了承すると、その後、他愛ない話をしつつも「じゃあ詳しい予定が決まったらまた連絡するね」とこの日の通話を終了するのであった。
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