第60話 マーサラタウンにサヨナラバイバイ

 

「じゃあ行くよ、けぃ兄っ!」


 葉山宅の台所ではエプロン姿の啓基と和葉が並んでおり、まるで料理番組か何かのようだ。二人の表情は気合に溢れており、そんな気合を表すかのように和葉は隣に立っている啓基に元気よく声をかけると、啓基もああ!と和葉に負けぬ勢いで頷く。


 何を隠そう今日は昌弘に手料理を振る舞う日。

 時刻は夕暮れ時を過ぎており、そろそろ昌弘が帰ってくる頃だろう。サプライズとして企画しており、是非とも昌弘には驚いてもらいたいものだ。


 もう既に固形化させる都合からコーヒーゼリーは作って冷蔵庫にしまっており、後は美奈と綾乃から教わったチーズのトマトチキンスープを作っていくだけだ。昌弘が帰って来た時にはもう完成させておきたいので、早速二人は美奈達から習った通りに作業を進めて行こうと動き始める


 ……のだが。


「いたっ……!?」

「大丈夫、和葉っ!?」


 啓基が鶏肉に下味をつけて焼き始める横で和葉が玉ねぎをみじん切りにスライスしようとするわけなのだが、和葉の短い悲鳴と共に包丁をまな板に包丁を取りこぼす物音が聞こえる。

 和葉の悲鳴にすぐに反応した啓基が和葉を見やれば、包丁で軽く切ってしまったのだろう。身を縮こまらせて自身の指先を銜えている和葉の姿が。


「ちょっ、けぃ兄! 火ぃつけっ放し!!」


 和葉の指先に絆創膏を貼って応急処置をしている啓基だが、ふと和葉が啓基の後ろのコンロに気づき慌てふためく。どうやら和葉に気を取られ過ぎて、火を消し忘れて和葉の手当てをしてしまっていたようだ。慌てて啓基がコンロに向かいながら鶏肉の焼き加減を確認するも、きつね色どころか焼き目には焦げが目立っていた。


 しかしこれを無駄にすることは出来ない。

 苦い表情で顔を見合わせる二人はそのまま大きな鍋を用意して次の段階に入る。油で熱した大きな鍋に火をかけ、歪ながらみじん切りにした玉ねぎを投入し教えられた通り、しんなりするまで炒める。


 その後、手順通りに焼いた鶏肉と石つきを落として小分けしたしめじを投入してトマトジュースを具材が浸るまで注いだ後にコンソメとケチャップで味を調えた後、煮立ったらとろけるチーズをまき散らして暫く煮る。


「……なんとかなったね」

「……うん」


 美奈と綾乃の二人がいた時はスムーズにいったのだが、やはり普段からあまり料理をしない二人だけというのもあって、非常に慌ただしく台所も乱雑になってしまっている。何だかどっと疲れが体に押し寄せてきたようで、和葉と啓基は力ない様子で会話をするとセットしたタイマーを見やる。


 そうしていると二人の耳に聞き覚えのあるバイクのエンジン音が聞こえる。

 どんどん近づいてくるその走行音に二人は体を震わせて顔を見合わせた。


 昌弘が帰って来たのだ。

 美奈達が残してくれたレシピを参照してセットしたタイマーは後、3。4分といったところか。

 このまま昌弘に問題なく料理を出せるだろうが、流石にこのまま台所を乱雑させたままにしておくのは非常に拙い。何故ならばこれはサプライズとした企画したものなのだから出来ればあまり悟らせたくはない。二人は慌ててあーだこーだと台所の片付けを始める。


「ただいまー……」


 リビングの扉を開けて昌弘が帰ってきた。

 やはり仕事をしているだけあって、その表情には疲労感が滲んでいる。


「「お、おかえり」」

「おう……?」


 両親が昌弘に迎えるなか、人の気配がした昌弘はそのまま台所を見やる。

 そこには私服姿の啓基と和葉がぎこちない笑顔を浮かべながら出迎えており、そんな顔を向けられた昌弘は怪訝そうにしながらも返事をする。昌弘からは見えていないが、二人は丸めたエプロンを後ろに隠し持っており、ぴっちりと並び立つことで少しでもエプロンが昌弘から見えないようにしている。


「昌弘、荷物置いて来ちゃいなさい」


 とはいえ啓基と和葉がここまでぴったりと近くにいるのは珍しい。

 その事を口にしようとした昌弘だったが、その前に助け舟を出すように母親に声をかけられ、そのまま自室に荷物を置きに行く。残った啓基と和葉はそっと胸を撫で下ろし一息つくが、直後に鳴り響いたタイマーに悲鳴をあげるのであった。


 ・・・


「それで今日の飯は何?」


 晩御飯と称して昌弘を再びリビングに呼ぶ。

 リビングに到着した昌弘は早速何か手伝おうとするのだが、その前に気を利かせた父が昌弘を食卓に呼んで他愛のない話をしていると、その間に啓基と和葉は器に出来上がったトマトチキンスープを注いでその上に乾燥パセリを振りかける。


「マーサ!」

「兄さん!」


 そしてついにこの時が来た。

 和葉と啓基が揃って昌弘に声をかけ、昌弘がその方向を見やろうとした瞬間、昌弘の前に二人が作ったチーズのトマトチキンスープが置かれる。


「……これってもしかして」

「私とけぃ兄で作ったの」

「俺達から兄さんへのプレゼントとしてね」


 目の前のトマトチキンスープをまじまじと見た昌弘は啓基達を見やると二人は照れ臭そうにはにかんだ様子で答える。


「へえ……それじゃあ早速……いただきます」


 弟達が自分の為に作ってくれた事は何よりも嬉しいが流石にそれを明かすのは恥ずかしいとなるべく平静を保ちながら昌弘は啓基達から渡されたスプーンを手に取り、両手を合わせると早速食べ始める。


「どう……?」


 一口食べて味を噛み締めている昌弘は目を閉じて集中している。

 そこから美味いのか不味いのかは読み取れず、不安げな和葉はおずおずと尋ねる。


「……鶏肉に焦げはあるし、玉ねぎもみじん切りにしようとしたんだろうけどあんまり細かくねえな」


 すると昌弘はおもむろに目を開き、スパッと感想を口にする。

 昌弘は料理人としての立場もあるから余計にうるさい部分もあるのだろう。そんな昌弘の鋭い物言いに啓基と和葉はうぅっ……と怯みながらたじろいでる。


「でもそれ以上に美味いよ。あったかい味だ」


 だが次の瞬間、昌弘は柔らかい笑みを見せる。

 確かに気になる部分はあった。しかしそんな事がどうでも良くなるくらいこの料理には温もりが籠っており単純なスープの温かさでは出せないまさに真心のこもった料理と言えよう。


「……ありがとな、二人とも。最っ高の料理だ」


 食べれば食べるほど胸が熱くなるのを感じてしまう。なにか二人に伝えようとすればするほど目頭も熱くなるのが分かる。それを堪えながら目いっぱいの笑顔を二人に向ける。


 料理を作ろうとした時から見たかった昌弘の心からの笑顔を見た啓基と和葉は花が咲くようにたちまち表情が明るくなって良き、うん!と頷き、そこからまだあるんだよとコーヒーゼリーを取りに行き、食卓は賑やかさを増していくのであった。


 ・・・


「父さん、母さん……本当に今までありがとな。ちょくちょく顔は出すよ」


 そしてついに昌弘の一人立ちの日が訪れた。荷物の類は既に引っ越し先に送っており、後は昌弘が向かうだけだ。家族総出で昌弘の見送りをするなか、昌弘は家族一人一人の顔を見ながら声をかける。


「啓基、なんかあったらすぐに連絡しろよ」

「あんまり兄さんの手を煩わせないのが一番だけどね」


 次に昌弘は啓基に声をかける。

 頼りになる兄の言葉はありがたいが、なるべくなら兄に心配はかけさせたくない。それを表すように頼もしさを感じられる余裕のある笑みを浮かべる啓基に生意気言いやがって、と昌弘もつられて笑う。


「和葉」


 そして最後に和葉に声をかける。

 この日が訪れてから和葉に元気はなく、こうやって総出で見送りをしているというのにずっとパーカーのフードを被って俯いている。そんな和葉に苦笑しながら彼女の身長に合わせてかがむ。


「そんな顔してたら行くに行けねえだろ……?」


 和葉に合わせてかがんだ昌弘だが、和葉は昌弘から視線を逸らすようにそっぽを向く。

 そんな駄々をこねる幼い子供のような態度を見せる和葉に昌弘も困ったような笑みを浮かべる。


「なあ和葉……。引っ越し先だって近くにあるわけだし、その気になれば俺達はいつだって会える」


 和葉の頭にフード越しに手を乗せながら昌弘は優しく諭すかのように話す。

 昌弘は元々近くの洋食店でその料理の腕を振るっている。引っ越し先もそれに合わせて決めたので、極端に遠い場所に引っ越すわけではない。だがそれでも和葉は顔をあげることなく頭を撫でられながら昌弘の言葉に身体を震わせている。


「これが最後じゃないんだ。だから次も笑顔で会えるように今は笑って送り出してくれないか?」


 和葉の頭を撫でていた昌弘はその手をそのまま和葉の頬に添え、その目尻に浮かんでいる涙を指先で拭う。どうせならば泣いて別れるよりも笑いあって別れたい。


 昌弘のそんな言葉に震えていた和葉の身体も少しずつ収まっていくと確かに昌弘を確かめるように頬に添えられた手に己の手を重ねる。


「うん……。ばいばい、マーサ!」


 意を決したように一度、目を瞑った和葉はゆっくりと目を開いて愛らしい笑顔を見せて昌弘を見送る。待ち望んだ和葉の笑顔をやっと見られた昌弘はああ、と笑みを交わすと、改めて家族の顔を一人一人を見渡すと、じゃあ行くわと一歩を踏み出す。


(俺達はいつだって会える)


 歩き出した昌弘に家族は手を振って最後まで見送ってくれる。

 自身も手を振り返しながら、先程和葉に話した言葉を思い出して微笑む。空は旅立ちを祝福するかのように雲一つなき蒼天の空が広がっていき、昌弘は空を仰ぎ見ながら一歩一歩確かに歩いていくのであった。


















「──……ああ、いつだって会えるさ」





 改めて昌弘は口を開く。





「いつだって会えるんだけどな……」





 次の瞬間、わなわなと怒りを表すかのように震え、その額に青筋が浮かぶ。





「なんでもういるんだよぉぉぉぉぉぉ!!!?」




 そしてついに我慢の限界が訪れ、昌弘の怒号が響き、室内でくつろいでいる啓基と和葉はチラリと昌弘を見やる。


 そう、ここは昌弘の引っ越し先のアパート。

 先程、笑顔で別れたその数時間後、啓基と和葉は早速、アパートに押しかけて今に至っていた。


「うるっさいな……。静かにしてよ」

「いやおかしいだろ!? ここ俺の引っ越し先! 俺だけの世界! 俺だけの部屋! マーサラタウンVersion2だから!」


 壁に寄りかかって寝そべっている和葉はチラリと昌弘を見やって文句を言いながらスマートフォンを操作していると、納得がいっていない昌弘は抗議するが、近所迷惑なのか逆にうるさいと言わんばかりに隣から壁を叩かれて震える。


「良いじゃん、仲間を増やして次の町へだよ」

「いや訳分かんねえよ……」


 いまだに困惑している昌弘に和葉はそのまま仰向けに寝転がりなが足をパタパタと動かしながら納得させようとするが、説得力の欠片もない言葉に昌弘はがっくりと肩を落とす。


「兄さんの引っ越し先をちゃんと知りたかったんだ。ごめんね、持ってきた荷物の手伝いはするから」


 項垂れている昌弘に苦笑しながら啓基が声をかけながら室内を見渡す。

 室内にはまだ開封していない段ボールもあり、これから行うのだろう。

 そう言う事ならばと昌弘は一応、納得しようとするのだが……。


「そぉ言うわけでこれからも来てあげるから、私とけぃ兄の合鍵、用意しておいてよねっ!」


 昌弘の前に躍り出て、屈託のない笑顔を見せながらビシッと指差す和葉の姿を見て、頭痛を感じるように手のひらで顔を覆う。だがこうやって二人が来てくれるのは満更ではないのか、昌弘も苦情交じりに笑みを浮かべるのだった……。

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