第48話 変化していく関係

「今日、啓基君とデートをするんです!」


 綾乃の第一印象と言えば、やはり内向的な人物と言う印象が真っ先に浮かぶ。

 もっともその印象も彼女を知れば知るほど、変わってくるわけだが。


 一度仲良くなれば、それを契機にぐいぐいと話しかけてくるのは彼女の性格なのだろう。今目の前で啓基とのデートについて心なしか締まりのない顔を浮かべている綾乃を見て、美奈はそう思う。


「今日の夜、啓基君のお兄さんが働いているお店に行くんですっ」

「昌弘さんの……?」

「はい、啓基君が今日はどうしてもって言っていたので」


 大方、ポートシティにでも行くんだろうと考えていた美奈であったがどうやらその予想は外れていたようだ。昌弘が働き、その腕を振るっている料理店は美奈も知っている。店自体が小さく決して有名と言うわけではないが、それでもSNSなどでは概ね高評価を受けており所謂隠れた名店だ。美奈も何回か店に足を運んだ事はあるが、値段も手頃で中々満足のいく食事が出来る為、お気に入りだ。


「啓基君のお兄さんに初めて会うんですけど、どんな人なんでしょう……?」

「文山さん、そんなに気にしなくていいと思うよ。結構気さくな人だから」


 首を傾げ初めて会う事となる彼氏の兄がどんな人物なのか想像している綾乃。

 自分が何か失礼をしないか心配しているのだろう。とはいえ昌弘を知っている美奈からすればそれは杞憂でしかない。安心させるように微笑む美奈を見て、多少は気持ちは楽にはなっているのだろう。綾乃も微笑みを浮かべながら頷く。


 これから先の未来も啓基と一緒に居たい。

 それならば啓基の兄やその家族との付き合いも必然的に増えていくだろう。下手に取り繕ってボロが出るよりも自分らしくしていた方が良いかもしれない。


「あの……小山さんってずっと私のこと苗字で呼んでますよね? 何ですか?」


 少しは安心したのか、すっと息を吸った綾乃はまた違う話を切り出す。

 それは美奈の綾乃への呼び方についてであった。美奈と言えば、大抵知り合い仲良くなっている人物は下の名前で呼ぶ。二人が知り合ってかれこれそれなりに時間も経ったが、今だに美奈は綾乃を苗字でしかもさん付けだ。美奈と綾乃の関係はきっかけ一つで大きく変わるような不安定な関係だが、それでもこうした相談をするほどの仲でもある。


「良かったら、私のこと……名前で呼んでくださいっ。私も良かったら……そのっ……名前で呼びたいんです」


 しかし何でですか? と言われても美奈は返答に困る。

 別にこれと言った理由などないからだ。逆にいきなり下の名前で呼び始めれば、それはそれで馴れ馴れしいと人によっては思うだろう。


 何と答えるべきか視線を彷徨わせ言葉を選んでいる美奈におずおずと勇気を振り絞るように提案される。

 まさか綾乃からそんな提案をされるとは思ってもみなかった美奈は綾乃を見やると、不安そうに伏し目がちにこちらを見ている綾乃と目が合う。


 確かに綾乃との関係は不安定なものだ。

 だが互いに出来れば良い関係で……それこそ友人関係でありたいとは望んでいる。


「分かったよ、綾乃ちゃん」

「……はいっ! 美奈さん!」


 綾乃の提案は寧ろ喜ばしいものだ。

 両目を瞑り意を決したように再び開きながら綾乃の願い通り、彼女の名を口にする。もしかしたら拒否されるかもしれないと不安に思っていたのだろう。たちまち花が咲いたような明るい表情を浮かべた綾乃は嬉しそうに頷きながら柔らかな笑みを浮かべて美奈の名を口にした。


 ・・・


「実は彼女とデートする事になったんだ」

「……それを何故、私に?」


 そんな美奈と綾乃の想い人である沙耶と啓基の二人もまた廊下の壁を背に話をしていた。

 啓基から綾乃とのデートの話をされるのだが毛ほどの興味もない沙耶からしてみれば、心底どうでも良い事でしかない。精々言うならば、勝手にやっててくれとしか思えないのだ。


「いや、そのさ……。沙耶からもアドバイスをもらいたいなー……なんて……」

「……私がアドバイス出来ると思っているんですか?」


 あまりに素っ気ない対応に啓基は苦笑する。

 沙耶に謝罪をした際、彼女の様子を見て沙耶への認識も少し変わった。もしかすれば今までの友人の友人みたいな微妙な関係も変わるのかもしれない。そう思って沙耶の元まで足を運んで、デートの相談をしたわけなのだ。しかし沙耶にとっては、微塵の興味もない惚れ気を聞かされているような気分だ。


 そもそも沙耶は不器用な人間だ。

 人付き合いも上手くないし、そもそも他人に無関心の人間なのだ。そんな人間にデートの助言を求めたところでまともな助言など期待できるものなのだろうか。


「……どこに行くんですか?」

「えっ……? あぁ……兄さんが働いてる洋食店に……」


 取り付く島もないか……と残念そうに苦笑する啓基。

 あわよくば沙耶とも良い友人関係が築けたらと思っていたのだ。そんな啓基に沙耶からデートの場所について尋ねられる。まさか沙耶が乗ってくるとは思っていなかった啓基は慌てて答える。


「何故、わざわざ……」

「……今まで兄さんには世話になったから……ちゃんと一番に彼女を紹介したいんだ」


 わざわざデートに兄が働く店に彼女を連れて行くのには何か理由があるのだろうか?

 年頃の人間であれば、気恥ずかしくて寧ろ家族が働いている場所など避けそうなものだが。


 沙耶の疑問に答える啓基はふと懐かしむような笑みを浮かべる。

 今までずっと昌弘には心配や迷惑をかけ、相談に乗ってもらったりしていた。

 そんな世話になった兄だからこそ、真摯に綾乃と向き合い交際関係となった今だからこそ昌弘に綾乃を紹介したかった。


「……適切な助言などありませんが、ちゃんと自分を見てくれればそれだけで幸せだと思いますが」


 啓基の姿から家族や兄に恵まれているのだろうと言うのは見て取れる。

 生憎、家でも一人過ごし食事も何も一人でする事が多い沙耶からしてみれば遠い存在だ。


 どこか複雑そうに眉を顰めて目を逸らす中、静かに自分なりの助言をする沙耶。

 啓基の彼女がどのような人物なのか知らないが、自分を自分として見てくれるのはどれだけ幸福なのか、美奈が漸く自分を振り向いてくれた事で理解しているつもりだ。


「そっか……。ありがとう……沙耶。良かったらまた相談しても良いかな?」

「好きにしてください」


 デートの助言を聞けたと言うよりも美奈以外に無関心の沙耶からの助言が聞けて嬉しそうだ。

 もしかすればこのままいけば微妙な距離であった沙耶との関係にも変化が起きるかもしれない。言葉を最後に自身の教室へと戻っていく沙耶の後ろ姿を見ながら、啓基は淡い願いを抱き、この後の綾乃とのデートについて考える。


(デート……。美奈ちゃんと……デート……)


 席に戻った沙耶は特にクラスメイトに話すわけでもなく自分だけの空間にいる。

 その頭の中には美奈とのデートについてだ。

 少し前に美奈から今度の土曜に出掛けないかと言う誘いを受けた。

 美奈ならば断る理由がない為、一緒に出掛けるつもりだが、これはデートと言って良いのではないだろうか。


 美奈と結ばれて初めてのデートに沙耶もまた心が弾んでいるのだろう。

 心なしか沙耶の口元に微笑みが浮かび、それを見たクラスメイト達は不意打ちを食らったように驚き、その多くはふと浮かべたその笑みに魅了されていた。

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