第38話 彼女を知ろう

 

 啓基は自身の家に帰ったとしても、その頭の中は美奈や沙耶のことが支配している。もはや袋小路に入ってしまったような気分であった。


「分かんないよ……」

「いや俺が分かんねぇよ。なんでお前まで俺の部屋に居座ってんだよ」


 自分がどうすれば良いのか分からなかった。

 その事を思わず口にしてしまう……のだが、その言葉を昌弘が片眉をピクつかせながら文句を口にする。


 実はここは昌弘の私室。

 啓基はおもむろにこの部屋に来たと思えば体育座りのように両腕で両膝を抱えて座りこみ、かれこれ10分以上はここにいる。


「マーサ、この漫画の新刊ないんだけどー?」

「お前も毎回くつろいでんじゃねぇーよ! お前ら本当に俺の事大好きだな!?」


 和葉も当たり前のようにこの部屋にいた。

 うつ伏せに寝そべって足をパタパタと動かしながら昌弘の漫画を読み終えた和葉は次の巻がない事を尋ねる。確かこの漫画の新刊はつい先日に発売されていた記憶がある。何で買ってないんだと言わんばかりに目で訴える和葉の理不尽に昌弘はたまらず叫ぶ。


「で、なんだってんだよ、構ってちゃん。辛気臭ぇ顔してここにいんだ。何か聞いてほしいんだろ」


 さて和葉は兎も角としても啓基がこの部屋にいると言うのは珍しい。

 しかもその表情は沈み切ったもので、悩んでますと言わんばかりの雰囲気を醸し出している。かれこれ十分はこの場にいる為、いい加減に辛気臭い弟の空気を取っ払おうとベッドで寝そべっていた昌弘が身を起こしながら話しをするように促すと、その言葉に複雑そうに苦い顔をして啓基は呻いている。


「……その……兄さんの好きな子が同性愛者だったらどうする……?」


 とはいえ流石にいつまでもこうしているわけにはいかない。

 兄に素直に相談すればこの心の靄も取れるかもしれない。そう思って、わざわざ今日はこの部屋に来たのだ。おずおずと慎重な面持ちでベッドの上に座っている昌弘を見上げながら問い掛ける。


 しかしその言葉は流石の昌弘と言えど予想外だったのか眉間を寄せ口を開けて呆気に取られている。

 いや、昌弘だけではなく今まで漫画を読んでいた和葉でさえ時間が止まったようにピタリと静止していた。


「……えっ……みぃ姉のこと?」


 状況が整理しきれず固まっている昌弘を他所に今まで話に入ってこなかった和葉が漫画を読むのを止めて体を起こしながら尋ねると一瞬迷った様子の啓基だが言ってしまったものは仕方がなく和葉の問いに肯定するようにコクリと頷く。


「マジか……」

「うっそ……」


 啓基の頷きを見て驚きを隠せない昌弘と和葉。

 美奈は同性愛者だったとは夢にも思わず唖然としている。少なくとも今まで美奈と接していて、そのような様子の片鱗も見せなかった為に予想外も良い処だ。


「あぁー……うん……。まぁ確かに好きな子がそうだったらショックだわなぁ……。そうか……お前、それでここ最近、様子がおかしかったのか……」


 啓基から教えられた事実に昌弘は腕を組んで唸っている。

 相談に応えようとした時は兄としてビシッと格好良く答えようと思っていたのに、流石に予想の斜め上を行って飛んでいくような相談に考えを巡らせる。


「えっ……同性とか意味分かんないんだけど……ちょっとなくない……?」

「こらこら、お前は世の中のLGBTの人間を敵に回す気か」


 顔を顰めて、同性愛について難色を示す和葉に昌弘が注意する。

 自分の価値観では理解できなくても、現実にはそういう人物もいる。

 それを否定する事など誰にも許されない筈だ。

 確かに衝撃は大きかったが、その辺はちゃんと注意しなければならない。


「俺、同性愛が受け入れられなくて……。確かに理解はしてるんだけどやっぱり納得が出来なくて……」


 美奈と沙耶の関係を異常だと思ってしまう。

 頭では理解していても、あの関係を納得しろと言うのは今の自分には難しい。

 だんだん話しているうちに、あの日公園で見た二人の姿や沙耶の言葉などを思い出しているのだろう。俯いていくその表情はより暗くなっていき、両膝を抱える腕に力が籠る。


「まぁでもそれはそれで良いんじゃねえかな。誰にも同性愛を否定する事は出来ないように、そう思うのはそれはそれで自分の価値観だ。無理に納得させる必要はねえだろ」


 その様子を見つめながら胡坐をかき両腕を後方に置いてリラックスできる姿勢を作ると昌弘は助言をする。自分の価値観を殺してまで納得したと言っても、そもそもそんなものは納得とは言えないだろう。表面上は納得したと自分に言い聞かしたとしても、いずれは限界が来る。ならば自分の価値観には素直になって良い筈だ。


「そう、だよね……」


 沙耶にも言われた事ではあるが、兄にも言われて噛み締めるように頷く。

 いかんせん沙耶の口調や言葉は棘が感じられる為、すんなりとは呑み込めない部分もあったが、こうして兄に言われれば不思議と安心できる。


「……っんで? 綾乃ちゃんに関してどうなんだ」


 少しは啓基の雰囲気が和らいだ。

 今ならば綾乃との関係についても冷静に考えられる筈だ。

 正直、以前のリビングでの問答の限りで言えば、あまり良い関係とは思えないのだ。


「……確かに兄さんの言うように彼女に美奈の代わりを求めたんだと思う……。俺……彼女の事、詳しく知らないんだ……。なんで俺に告白してきてくれたのかも……何も……。きっと誰でもよかったんだと思う……」

「けぃ兄……それはちょっと……」


 綾乃自身も美奈に言っていた事だが、あくまで交際に発展したのはタイミングの問題。笑うように求めたが、それ以外の彼女についての事になど全く触れていなかった。啓基は綾乃について全く知らないと言っても過言ではないのだ。


 しかしその言葉を聞いて、和葉は啓基に苦い表情を向ける。

 美奈には美奈で思う事はあったが、代わりを求めて綾乃と交際した啓基にも思うところがあるのだろう。

 嫌悪とまでいかないが苦い和葉の反応にこればかりは自分の行いのせいなので仕方ないと弱々しい自嘲した笑みを見せる。


「……その綾乃ちゃんとはデートしたりしてるのか?」

「えっ……? あぁ……そう言えば……そういう事も……」


 薄々感づいていたので和葉ほどの反応は見せないが昌弘は厳しい表情で啓基に尋ねると言われてみれば綾乃とデートと言うものをしたことがないと思い出し、本当に都合のいい存在を求めていたのだなと自己嫌悪している。


「……ならそうだな。明日の放課後にでもデートに誘え。場所はどこだって良い。そこで綾乃ちゃんの事を知れ。良いスタートとは言えねえけど綾乃ちゃんの魅力に気付ければ良し、そうでなかったら……」

「……そう、だな……。勝手だけど別れようと思う……。うん、明日ポートシティに誘ってみるよ」


 交際するならば清い交際をしてもらいたい。

 小山美奈の代わりではなく、文山綾乃としての魅力に気付けての交際なら素直に応援はする。

 大体からして弟に利用されているような綾乃を無理に付き合わせるのは昌弘としても心苦しい。仮に綾乃が受け入れたとしていても出来るのなら誰かの代わりではなく文山綾乃として幸せであってほしい。そんな昌弘の言葉を噛み締めるように頷きながら、綾乃をデートに誘う事を決める。


「ありがとう、兄さん……。またなにかあれば良いかな……?」

「言いたけりゃ聞いてやるよ。おら、さっさと寝ろ」


 ゆっくりと立ち上がりながら、なんだかんだで相談に乗ってくれた兄に感謝する。しかし感謝されることに馴れないのか照れ臭そうにそっぽを向いて片手をひらひらさせながら部屋から出る事を促す。


 時間としてはもう23時になりそうだ。そろそろ就寝時間としても良い時間だろう。兄の態度に微笑を浮かべながらでも、啓基は「おやすみ」と言って部屋を出て行く。


「さてと俺も明日は様子身にでも行くかねぇ」

「ポートシティに? みぃ姉に会いに行ったきりだなー。なに着てこっかなー」


 弟の啓基のことは気になるのだろう。

 明日は休みだ、自分の都合も丁度良いために影ながら様子を見ようと口にする昌弘。すると和葉も明日はどのような服装にするか可愛らしく首を傾げて悩んでいる。


「は? お前も行くの?」

「えっ? 私も行くんじゃないの?」


 和葉が行くなどと思っていなかった昌弘は意外そうに話しかける。

 逆に明日のポートシティは昌弘についていく事を当たり前だと考えていた和葉は間の抜けた顔を向けると、思わず昌弘も似たような表情を返してしまうのであった……。

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