第37話 差
美奈が綾乃に話を持ち掛けられているのと同時刻、啓基によって沙耶は屋上に連れられて来ていた。フェンスの前で並び立っている二人。フェンス越しに見える赤々しく空を染める夕暮れを見つめている啓基に対して、沙耶はフェンスに背を預けて腕を組んでいた。
「……手短にお願いしたいのですが」
屋上に来て、既に30秒が経過したところだろう。
まだまだ人には肌寒い気温だ。美奈ならば兎も角、こんな寒空の中で興味が微塵もない人間の話を長々と聞きたくはないのか、沙耶は外気温に負けないくらい冷たく言い放つ。
「……元々そのつもりだよ」
昔から薄々感じていたことがある。
自分と沙耶は反りが合わない、と……。
今となってはそれが間違っていたとは思わない。彼女が美奈以外に向ける目も言葉もとても冷たく底冷えするほどなのだから。
「……沙耶は美奈になにをしたんだ?」
静寂が支配する放課後の屋上で漸く話を切り出し始める啓基。
それはどうやって美奈を振り向かせたのか、と言う事だった。
いくら考えたところで美奈が同性を、沙耶を選ぶ理由が分からなかった。
美奈への想いはあの日、公園で知った彼女達の関係によって粉々に打ち砕かれてしまった。
後に残ったのは欠片のような美奈への想い。だがいくら欠片と言えど、啓基の中にはまだ美奈への想いが残っているのだ。いつまでも引き摺っているのは男らしくはないと思う。
ならば、どうすればこの美奈への想いを何とか出来るのか?
どこで差がついたのか。
何が美奈の心を動かしたのか。
少なくともそれらを知る事が出来れば、多少は納得が出来るのかも知れない。
故にこうして沙耶を連れ出したのだ。
「……きっかけはあなたですよ。あなたが美奈ちゃんに告白したのが始まり……。あの場には私もいたんです。私は美奈ちゃんの身も心も欲しかった。ですが、あなたのように同性愛を受け入れられない人物がいるなど私だって理解しています。だから今まで自分を抑えていたのに美奈ちゃんがあなたを受け入れようとした時、その枷は外れ、私は美奈ちゃんを手に入れようと動き出しました」
決して啓基には視線を向けない沙耶は静かに話し出す。
元を辿れば啓基が美奈に告白したのが始まり。そこから美奈が啓基を受け入れようとするのを理解したとき、沙耶を抑えていた枷は外れたのだ。啓基にとっては美奈が自分を受け入れようとしていたなど初めて知る事なのか、沙耶の横顔を見ながら驚いている。しかし沙耶にとっては啓基の反応など、心底どうでも良い事なのかお構いなしに話を続ける。
「お陰で美奈ちゃんは憂いの表情を浮かべることが多くなりました。私のせいで悩んで苦しんで周囲を傷つけて……。美奈ちゃんだって一人の人間です。彼女にだって弱さがある。美奈ちゃんは繊細で守り支えなくてはいけない人なんです」
夕焼けの中で美奈の唇を奪ったことが美奈と沙耶の関係が変わった始まり。
あれがなければ、沙耶と美奈の関係は変わらなかった。沙耶はずっと美奈への想いを胸に秘め、美奈は啓基を受け入れていたかもしれない。
しかし現実に関係は変わってしまった。
太陽を暗雲が遮ったようであった。
それもそうだ。
沙耶は同性、しかも今まで友人程度にしか考えていなかったのに好意を告げられただけではなく唇を奪われたのだから。
「私が美奈ちゃんの居場所になります。
美奈ちゃんは何よりも変えられない私の全てです。
美奈ちゃんを幸せにする為ならどんな行動だってします。
美奈ちゃんの笑顔を曇らせる事は絶対にしません、させません。
そんな相手を絶対に許しません」
沙耶の美奈への愛は本物なのだろう。
それこそかつての自分と同じか、それ以上か。沙耶の言葉が大袈裟だと思えないのは彼女がそれだけの迫力があるから、それが偽りのない本心なのだと分かる。何故なら、今の沙耶を見れば射殺さんばかりに啓基を鋭く見据える悪寒がするような冷徹で恐ろしい眼光を向けられているから。
沙耶は自分自身の行いで美奈を曇らせた。
自分自身が醜い罪人に思えた。
それは今だって変わらない。
そんな愚かな自分が美奈へ出来る報いは美奈を守り支え癒し居場所になることによって幸せにすること。
そしてそれこそが自分の幸せ。
決して手放すわけにはいかないかけがえのない幸福。
それを邪魔する者は例えいかなる存在だろうと決して許さない。
「……でも同性同士なんて……」
「受け入れられない者がいるなど承知の上です。納得してもらわなくても結構。ですがこの世界には確実に同性云々関係なしに愛を深め合う存在がいるんです。それは理解してください」
沙耶の美奈への想いは十分理解した。
だがそれでも自分には同性愛は理解できないし納得が出来ない。
しかしそもそも啓基に同性愛を納得してもらおうと考えていない沙耶はそのまま吹く風にその美しい長髪を好きなように靡かせながらこれ以上の話は不要だと屋上を後にする。
・・・
綾乃と別れ、中庭の大木に身を預けて座り込んでいる美奈。
まだ体の悪寒が止まらない。
身体を動かす気にもなれない。
それ程までに綾乃が恐ろしかった。
泥沼に沈み込み、闇の中に落ちたような気分だ。
「美奈ちゃん」
ふと美奈の耳に愛おしい少女の声が聞こえる。
彼女の声を聞けば、どうしてこれ程までに心に温かさが灯るのだろうか。
まるで闇の中に月明りの優しい光が差したようだ。
顔をあげれば、沙耶が苦しみを包み込んでくれるような微笑を浮かべながら座り込む美奈に合わせてしゃがんでいた。
「沙耶ちゃん……っ」
「……大丈夫です。私はここにいます」
たまらず沙耶に抱き着く美奈。
沙耶を感じることで悪寒はピタリと静まった。
縋るように沙耶の体を掴む美奈を沙耶はまるで子供をあやすように慈しみながら美奈の背中を撫でる。こんな表情は美奈にしか向けないものだ。美奈に何かあったのかは気になるところではあるが、そんな事よりも美奈を癒す方が先決だ。怯えたような美奈に無理に聞くなどと言う選択肢などそもそも存在しないから。
「……」
その様子を物陰から啓基が伺っていた。
あの後、沙耶は絶対に美奈と合流するだろうと思っていた。
しかし啓基の表情は美奈を見て、心なしか驚いていた。
何故ならあんな怯え震えている美奈など見た事なかったから。
だがそれも沙耶が訪れた事によって落ち着いた様子を見せ始める。
それ程までに沙耶の存在は美奈にとって大きいのだろう。
(……俺だって美奈の居場所にはなれた筈なのに)
あれは沙耶だから出来ると言うわけではない筈。
その気になれば、あの場所は自分がいる事だって出来た筈だ。
一体何故、自分と沙耶は差がついてしまったのだ。
(……俺がずっと待ってたから……?)
告白してから、ずっと啓基は美奈の答えを待ち続けた。
その間にももっと美奈を知ることは出来た筈。
美奈に変化があれば彼女の為に出来る事はあった筈だ。
しかしもう遅い。
もう遅いのだ。
いくら考えたところで現実は変わらない。
今から過去の事を考え、あの時こうすれば良かったなんて考えたところで時間の無駄だ。
もう現に美奈は沙耶を受け入れて愛し合っているのだから。
(俺だって美奈の笑顔が好きだったはずなのに……)
落ち着きを取り戻し、沙耶に漸く晴れやかな笑顔を見せ始める美奈。
自分が好きだった笑顔だ。あの笑顔が見たくて、隣で笑っていてほしくて告白したのに。しかし今では自分自身が美奈から笑顔を奪っている。
もう訳が分からない。
自分がどうしたいのかも、どうすれば良いのかも。
ふらふらとした足取りで啓基はその場を去っていく。
彼の頭には沙耶の言葉と先程見た美奈の笑顔がずっと離れなかった。
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