第36話 這い寄る恐怖
「あの……っ……その……啓基君のことはど、どうっ……思ってるんですか……?」
綾乃に呼び出された美奈は校舎の裏庭で彼女と向き合っていた。
吹く風によって肌寒さを感じる中、綾乃から尋ねられたのは啓基への想い。和葉もそうだが、ここ最近啓基関連の質問が多い気がする。
「……どうも何も……私は友達って思ってるよ」
啓基への想いは沙耶との関係が発覚した後も変わらず友人の一人だと思っている。だがそう答える美奈の口ぶりは歯切れが悪く、視線も伏せて自信のなさを表していた。それもそうだ、啓基に拒絶されてしまっている以上、そう思ってるのは自分だけの可能性が高いから。今、啓基が自分に対して、どんな想いを抱いているのかは自身には推し量れなかった。
「じゃあその……啓基君が好きだとかは……?」
「ないよ! 私だって付き合ってる大好きな人がいるし……。その……ケーキとはそういう関係は考えられない」
あくまで啓基への感情は所謂【Like】なのかを伺う綾乃。だが美奈にとっては心に決めた沙耶がいる為、なにを言っているんだと言わんばかりにすぐさま両手と首をぶんぶんと振りながら啓基への恋愛感情を否定する。
「本当なんですよね……?」
綾乃は今一、まだ信じられないようで念押しするように聞かれる。
だが、こんな事をわざわざ嘘をついても仕方がない事だ。美奈はまっすぐ綾乃の目を見据えながら頷く。
「あのさ、文山さんはケーキの彼女なんだよね? なんでこんな事を……?」
綾乃は啓基の彼女。
そんな彼女がわざわざ何故、自分の啓基への想いを尋ねてくるのかが美奈にはよく理解出来なかった。
「……私はタイミングが良かっただけです」
しかし美奈の問いかけに途端に綾乃の表情は曇って俯いてしまう。
あの日、啓基に告白をした綾乃。
啓基は確かに告白を受けてはくれたのだが、啓基と一緒にいればいるほど嫌と言うほど分かってくるものがあるのだ。きっとあの日、自分ではなくて、もしも違う誰かが啓基に告白したとしても啓基はその告白を受けた筈に違いない。
「私は啓基君に自分の前では笑っていてほしいって言われました。それはきっと……小山さんの代わりが欲しかったんだと思います」
あの時、告白した際、啓基から言われた言葉。
自分はその通りに出来るだけ笑っているつもりだ。そうすれば少なくとも啓基は喜んでくれるから。だが、啓基の望みに応えて笑えば笑うほど彼の目に映るのは自分ではないのが嫌でも分かってしまうのだ。
「分かるんです……。あの目は目の前の私じゃなくて違う人を見てるんだって。啓基君が小山さんの事が好きだって言うのは、それこそ噂になるくらいでしたし」
美奈の代わり。
そんな事はないと否定しようと口を開こうとする美奈に首を振って制止する。美奈がよく笑い、それが周囲も和ませているのは彼女と接点のない綾乃も知っている。啓基が告白を受けた事を昌弘や沙耶も自暴自棄になったと捉えていた。
美奈に振られた。
美奈が同性と交際した。
それによって出来た心の穴を埋めてくれる存在が欲しかった。
だがそんな事は啓基と美奈の間に起きた事を知らなくても綾乃自身がよく分かっているのだ。
「でも……それでも良いんです……。私はそのお陰で葉山君と付き合えた。理想とは言えないけど……それでも……私が笑えば、啓基君は私を必要としてくれる」
元々、駄目元の告白であった。
だが自分の想いが実った時、どれだけ嬉しかったことか。
啓基が笑顔を作る自分を通じて、違う誰かを……彼の中の美奈を求めている事など理解している。だが自分を見られていないと分かっていても、それでも啓基の隣にいれるのならと……そう思ってしまうのだ。
「なんでそこまで……」
「好きだからですよ。啓基君と私は小山さん程、接点は多くありません……。でも、その少ない接点が私にとって、凄く大切で好きになるには十分だったんです」
啓基が好きだから……確かにそうなのかもしれないが綾乃がそこまで啓基に惚れ込む理由が美奈には分からなかった。
自分を見られていない。
自分を通じて誰かを見ている。
言い方を悪くしてしまえば、利用されているだけだ。
それなのに綾乃はそんな関係ですら良いと言う。
美奈には到底、理解出来る内容ではなかった。
だが綾乃は決して自分の想いが間違っているとは思っていないのだろう。それは今まで臆病を表したかのようにビクビクしながら話していたのに、ことこの件に関しては迷いもなくハッキリ答えている。
「だから教えて欲しいんです。
どんな風に笑えば良いんですか?
どんな風に振る舞えばいいんですか?
どうをすれば小山さんになれるんですか?
どうすれば啓基君は私を好きになってくれるんですか?
どうをすれば……啓基君は私を愛してくれるんですか?」
狂っている。
さもなければ歪んでいる。
矢次に淡々と放たれる質問の数々を聞きながら、美奈は綾乃に恐怖心を抱く。
先程までの内向的に感じられた彼女とは程遠い印象さえ受け、彼女の背に広がる夕焼けも今の綾乃を表したかのように毒々しささえ感じてしまう。
しかしだ。
その事を言えるわけがない。
自分も同性愛を選んだ人間なのだ。
人によって今抱いた想いを自分に感じるのかもしれない。
「分からないよ……。私は私にしかなれないし……。そんな事を言われたって……」
「まぁ……そうですよね」
綾乃に戦慄し、体を震わせながらこれ以上、話をしたくないと言わんばかりに首を振る。
純粋に薄気味悪さを感じた。
人に対して、このような感情を抱いたことなどない。
だが今の綾乃は皆にとって気味の悪い恐怖の対象でしかなかった。
知ってか知らずかそんな美奈を見ながら、ある程度自分でも分かっていたのか美奈の返答に対しても特に興味もないように背後の落ちていく夕陽を見ながら呟く。
「でも安心しました。小山さんが啓基君を好きだったら、私困っちゃいますし。良かったらこれからも相談を受けてほしいんです」
美奈に近づき、その手を掴んで持ち上げる綾乃。
外気に触れていたため、ひんやりと冷たい綾乃の手は美奈の体を震わせる。
ズイッと上目遣いに鼻頭が接触しそうな距離で綾乃から相談を持ち掛けられる。
前髪で見え隠れするその瞳を見ると、ズルズルと泥沼に引きずり込まれそうな感覚を味わう。
だが一刻も早く綾乃との話を終わらせたい美奈には首を縦に振るしかなかった。
「良かったぁ……っっ。じゃあ何かあったらまたよろしくお願いしますねっ」
美奈の了承を得た事で綾乃の口元は歪んだような笑みが浮かぶ。
そのまま美奈から離れ、後ろに手を組みながら妖しい微笑みを浮かべると美奈を置いてそのまま中庭から去っていく。
残された美奈はフラフラと頼りない足取りで近くの木に背を預けてズルズルと座り込んだ。
心臓が恐怖で高鳴り、汗が噴き出していくのを感じる。底知れぬ恐怖から解放されたように美奈は過呼吸のように呼吸を荒げていた。
沙耶も似たような表情をした時があった。
だが沙耶には感じなかったおぞましさをあの綾乃に感じたのだ。
まるで何かが身体にじわじわと絡みついていくような感覚さえ感じる。
綾乃に関わりを持ってしまったことが正しいのかすらもう分からない。
恐怖を感じる自分を少しでも癒すかのように美奈は自分の体を抱いて蹲るのであった……。
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