第31話 アナタの傍にいるから
「なに、してるの……?」
わなわなと唇を震わせ、呆然とした様子で美奈達に問いかける。まるでそれは今見た光景が信じられないと言わんばかりに。
ただパンフレットをサプライズとして美奈に渡すつもりであった。その道中で視界に入り込んだ美奈と沙耶の姿。
何もしていない、そんな否定の言葉がほしかった。
何よりも美奈の口から。
ただその場に流れるのは痛々しいくらいの沈黙。
それが彼女達の先程の行いを肯定するだけであった。
「貴方が見た事が全てでは?」
沈黙を破ったのは沙耶であった。
面倒事になったと言わんばかりにため息をついた沙耶はその冷徹にさえ感じる瞳を啓基に向けて答える。沙耶のその目と言葉は啓基にとってまるでナイフで刺されたかのように痛みを与え、身震いさせる。
「この状況で下手な言い訳は見苦しく愚かなだけです」
肯定の言葉を発した沙耶をこの状況に困惑した様子で見やる美奈。そんな美奈に沙耶は彼女の瞳をまっすぐ見て話す。それはまるで、だからこそ美奈も逃げるな、と言わんばかりに。
「……ケーキ、沙耶ちゃんの言う通りだよ」
「……じゃあ、美奈が選んだもう一人って……」
沙耶の意思を汲み取った美奈は否定して欲しいと縋るように自分を見る啓基を慎重な面持ちで見据える。美奈にまで肯定されてしまった啓基は表情を歪めながら、美奈の隣で自身を見ている沙耶に目をやる。
美奈は自分を振った際、もう一人の相手がいると言っていた。
その相手こそ沙耶なのか?
意味が、意味が分からないではないか。
何故なら二人は……。
「……うん、沙耶ちゃんだよ。私、決めたの。例え女の子同士でも……そんな
自分の価値観さえ美奈は否定するように自分の心を抉る言葉を投げかけてくる。
胸が圧迫されたように苦しくなる。
視界さえ定まらないような感覚にさえ陥ってしまう。
しかしそんな啓基を露知らず、先程の言葉が嬉しかったのか沙耶は美奈の腰に手を回すと、二人は微笑み合う。
「なんだよそれ……」
理解出来なかった。
意味が分からなかった。
故に納得など出来るはずがなかった。
啓基の言葉から漏れ出たのは、まるで不条理に対するような怒りの呟き。
呆然とした震えは怒りからくるものに変わり、手に持っていたパンフレットが入った袋は地に落ちる。険しい表情でこちらを見てくる啓基に少なからず美奈は苦い表情を浮かべる。こうなった以上、覚悟はしたとはいえ啓基にそんな表情を向けられて何も感じないわけではない。
「俺……美奈のこと応援なんてできない……。いやっ……美奈達と一緒にいることだって出来ないよ……ッ!」
もはや決定的なものになってしまったのだろう。
元々素直に祝福も出来ないのにあえて美奈が辛い思いをするであろう言葉を吐く。その瞳はある意味で嫌悪感さえ滲んでいた。
「気持ちが悪いよ……」
そう吐き捨てて、同じ空気を吸いたくないとばかりにその場を去っていく啓基。彼が最後に見たのは、今の言葉もそうだが啓基に理解を得られなかった事に悲しみを浮かべる美奈の悲壮な姿であった。
・・・
「美奈ちゃん」
啓基の後ろ姿を悲しげな様子で見つめていた美奈。ふと美奈の手に暖かな感触が広がる。紛れもなく沙耶が美奈の手を握っていたのだ。それはまるで美奈は一人ではないと言わんばかりに。そして彼女は次の言葉を口にする。
「私の家に来ませんか」
・・・
沙耶の家に招かれた美奈。
広いこの家の中で生活しているのは沙耶ただ一人。薄ら寒ささえ感じる静寂が支配する中、沙耶が買ってきた食材を冷蔵庫に入れる生活音だけが響き渡る。
(ケーキ……)
ソファーに腰掛ける美奈は俯いている。その脳裏には先程の啓基の顔と言葉がずっと離れなかった。
分かっていたはずだ。
啓基が同性愛を受け付けないということは。
映画を共に見た時、彼が自分自身の口でそう言っていたのだから。
だが、それでも長年一緒にいた兄弟のような存在に拒絶されるのは悲しいだけであった。
「葉山のことを考えているんですか?」
背後から、そっと抱きしめられ耳元で囁かれる。抱きしめられたことで沙耶を近くに感じながら、コクリと頷く。嘘をついても仕方がないことだ。それに沙耶だって問いかけるものの、見抜いてはいるはずだ。
「……隠し事なんていつかはバレるものです」
わざわざ言われずとも分かっている。
一部には打ち明けたとはいえ、基本的には隠している自分達の関係。周囲の全ての人々が自分達を受け入れるなど甘い考えは持てないからだ。それを承知の上で沙耶を受け入れた、沙耶のものになったのだ。だがそれでもいざあのような嫌悪感を感じる目で見られるのは心に切なく強く響いた。
「……そんなに頭が一杯になるのなら、今だけは忘れさせてあげましょうか?」
「ダメだよ……」
不意に腕の力を強め、吐息交じりに沙耶に囁かれる。それは甘くも優しい、それでいて悲しい誘い。少なくとも、沙耶に頼めば今だけは忘れることは出来る筈だが、それを受け入れるわけにはいかない。
「逃げないってもう決めたから……。だから向き合うの。だってこれは私にとって絶対に忘れちゃいけない事だから」
啓基の反応も言葉も全て目を剃らすわけにはいかない。これから先の未来、啓基のような反応を示す存在が現れるかもしれない。その度に沙耶に頼んで、その時だけは忘れるなんてしたくないのだ。
だからこそ自分は啓基とのこの問題に向き合う必要がある。
もう沙耶の時のように、いつまでも答えも出せず逃げるような日々など送りたくない。それにこの問題を乗り越えない限り、自分は沙耶とこれからも心の底から愛し合う事なんて出来ない筈なのだから。
「……どうしたの?」
「惚れ直しただけです」
ふと自分を抱きしめる沙耶の右手から美奈の頭頂部に撫でるように置かれる。
まさか沙耶に頭を撫でられるとは思っていなかった美奈は不思議そうにいきなりどうしたのか尋ねるが、沙耶は今の言葉を噛み締めるように目を閉じ、その口元には微笑みは浮かぶ。
「良かったら、このまま泊まっていってください」
「えっ……!?」
不意にまさかの提案をされる。
時刻はもう夜の8時を迎えたところだ。いくらなんでも美奈を一人家に帰すのは心配だ。だが今までの話の流れから、予想外の誘いを受け美奈は赤面して抱きしめられる腕をすり抜けて、沙耶に向き直る。
「……なにもしませんよ? なにを想像したんですか?」
「い、いや……そのっ……。そ、そうだよね、アハハ……」
お泊り、と言う提案は一気にトマトのように赤面して美奈を狼狽えさせ挙動不審にさせてしまう。いかんせん以前、家で一歩前までの行為をしてしまっているせいもあるだろう。
だが沙耶にそう言った考えは微塵もなかったのだろう。
呆れたように眉毛を顰めながら、美奈に問いかけると少しでも自分と沙耶が絡み合うような行為を想像した自分が恥ずかしくなってもじもじと恥じらった様子を見せる。
「美奈ちゃんが望むなら吝(やぶさ)かではありませんが」
「ち、違うよぉっ!!」
そんな様子さえ愛おしく可愛らしいのかあえて美奈をからかうように口角をあげる沙耶。
少しでもそんな事を考えた自分の考えを振り払うように頭をぶんぶんと振りながら、美奈は慌てて否定するのであった。
・・・
「沙耶ちゃんと一緒の布団で寝るのなんてどれくらいかな」
「小学校低学年が最後だと記憶しています」
時刻は23時になろうとしていた。
結局、沙耶の家に泊まる事になった美奈は沙耶が貸してくれた寝間着に着替え沙耶と向かい合う形で彼女のベッドで一緒に寝ていた。
「あの時は沙耶ちゃんとこういう関係になるとは思わなかったなぁ」
「それは私の台詞です」
その時のことを思い出しているのだろう。
しみじみとした様子で呟く美奈に可笑しそうにクスリと笑いながら答える。沙耶はそれこそ幼稚園時代の幼少期からずっと美奈を想い続けていた。一度は諦めた事さえあるというのに、まさか自分が望んだ関係になれるとはまさに夢のようだ。
「だからこそ忘れないでください」
沙耶は風呂に入ったと言う事もあり、まだ若干湿っている美奈の下した髪を撫でると、そのまま後頭部を抱えて自分の胸に抱きよせる。沙耶の鼓動と服越しに彼女の乳房を感じながら、沙耶の慈しむような声が耳に届く。
「例えどんな結末が待っていようが私が傍にいます。貴女を愛し、貴女を支え続けるということを」
どれだけの覚悟を抱けば、この先ただ胸を張って沙耶と過ごせるのか。
これは啓基だけの問題ではないはずだ。
沙耶との未来に同性愛に関する問題は必ず直面するのだから。
きっとそれこそ心へし折られるような出来事だって待っているかもしれない。
だからこそ、今こそ自分は啓基との間に起きた事を向き合わなくてはいけない。
きっと自分達の関係を受け入れろと言うのは身勝手な我儘な筈だ。
自分達の関係を理解して納得しろと言うのもあまりにも利己的だ。
だがそれでも納得はしてくれなくても、自分達のような存在を理解はして欲しい。そう思ってしまう事は許されるだろうか?
そんな苦い想いもこうして沙耶に包まれていると癒される。
一緒のベッドにいるからと言って、何かあったというわけではない。
ただ沙耶を通して感じる人の温もりに美奈は満たされ、それでも沙耶と一緒にいられるのならば……と胸に抱き、今は眠るのであった……。
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