第30話 発覚した背徳

「ばいばーい!」


 ポートシティ新二郷で遊び終えた自分とは違う帰り道の玲奈と未希に晴れやかな笑顔で手を振り別れる。


 時刻はもう18時前だ。

 それなりにはしゃぎ回って遊んだ事あり、身体に徒労感が押し寄せる。それでも美奈の口元には充実から満足そうな笑みを零れる。理由など深く考えずとも明白だろう。


 愛する人と愛し合う事ができ、更にはそれを祝福してくれる心優しい友人達。今の環境を幸せと思わずして、何と例えれば良いか分からない。リア充と言う造語もあるが、今の自分は紛れもなく当てはまるはずだ。


 帰り道を歩いていて、しばらくの事であった。ふと美奈はスマートフォンを取り出して画面のロックを解除する。アプリをタップして起動させたのは、電話帳の画面だ。そこから沙耶ちゃんと登録されている番号をタップする。


≪なんでしょうか≫


 数回のコールで沙耶は応答した。

 電話越しで沙耶の透き通った声を聞き、知らず知らずに美奈の表情が緩む。


「えへへ……。何だか沙耶ちゃんの声が聞きたくなっちゃって」

≪……今、外にいるんですか?≫

「そうだけど……。沙耶ちゃんも?」


 語尾に音符かハートマークがつきそうな甘い声ではにかむ美奈に周囲の環境音が電話越しに聞こえたのだろう。しかしそれは美奈も同じだったようだ。沙耶の方からでも車が通っていくような走行音が聞こえる。


≪そこから分かりやすい場所はどこですか?≫

「えっ……? うーん……ここからだと……ウチの近くの公園かな」

≪では、そこで待っていてください≫


 ただ尋ねられる内容を頭を巡らせながら答える。ポートシティ新二郷を離れ、ここからだとどこが一番、目印のような分かりやすい場所か唸って思考する。一応、ここから近しいのであれば近所の小さな公園がある。美奈はその場所を口にすると、沙耶から一方的に話を終わらせられると、ただただなんだろうと首を傾げ、指定された公園に足を運び始める。


 ・・・


「マーサ、私にもお菓子ちょーだいよー!」


 一方、所変わり葉山家。

 夕食もとり終え、緩やかな時間が流れる中、リビングにてスナック菓子をつまんでいる昌弘の隣に座って甘えたような声で和葉がスナック菓子をせびっていた。


「取ってみろよ、ほれほれ。フーハハッ!」

「意地悪しないでよぉっ!」


 しかしここでさながら悪戯っ子のように笑みを浮かべた昌弘は頭上にスナック菓子を掲げてしまう。「ふんっふんっ」と鼻を鳴らしながらスナック菓子を取ろうとする和葉だが、やはり成人男性との身長差には敵わずたまらず抗議する。


「マーサッサササ! マーッサッサッサッサッッ!!!!」

「笑うなぁっ! むっきいぃぃぃぃぃぃーーーーっっっっ!!!!!」


 昌弘の哄笑はやがてもはやよく分からないものに変化していく。だが、和葉を煽るには十分すぎる効果を発揮したのだろう。癇癪を起こした和葉は意地でも昌弘からスナック菓子を取ろうとする奮闘するわけだが、悲しいかな身長差にものを言う昌弘に届かず、伸ばした手は空を虚しく切る。


「ふんっ!」

「ふぐぉっ!?」


 このままでは埒が明かないと判断したのだろう。さながらボクサーのように脇を閉めた和葉はスナック菓子を掲げるあまり、がら空きとなった腹部に拳を叩き込む。例えひ弱な女子中学生でも完全に予想もせず無防備であった腹部を殴られてはタダでは済まないのか、痛みに顔を歪めて掲げた腕はへなへなと落ちていき、スナック菓子を奪われてしまう。


「あれ、けぃ兄。それ今やってる映画のパンフだよね?」

「えっ……? あぁ……一応、うん」


 悶絶している昌弘をよそにストレス解消にもなったのだろう。満足そうにスナック菓子を頬張っていると、ソファーに座っていた啓基の前のテーブルの上に置かれている僅かに見える袋に入ったパンフを見つけ声をかける。


「珍しいね、けぃ兄がパンフ買うなんて」

「いや……美奈がほしがっててさ。プレゼントしようと思って、この間買ってきてたんだよ……」


 啓基は映画は見ることはあっても、わざわざパンフレットを買うようなタイプではない。そんなに面白い映画だったのかと興味を惹かれていたが、どうやら自分のためではないらしい。パンフレットを見つめる表情は物憂げであり、思わずため息をついてしまう。


 このパンフレットは未希の言葉通り、確かに映画館に再入荷し、購入した。次の日渡せばいい、そんな風に考えていたわけだが、その翌日に待っていたのは告白の返事。振られた後に呑気に渡しに行く事も出来ずに、また次の機会にと思っていたわけだが今度は美奈に愛する人が出来てしまった。これでは到底、プレゼントとして贈る気にはなれなかった。


「今からでも渡して来れば?」

「……でも」

「良いじゃん、みぃ姉に会える理由が出来たんだから」


 そんな事情も露知らず、美奈に今からプレゼントする事を提案する和葉。とはいえ、その気にはなれず、渋っている啓基に和葉はスナック菓子を持ち替えてカスがついていない方の手で物理的な意味で背中を押す。


「……まぁ……このまま持ってても仕方ないか。うん、行ってくるよ」


 しばらくパンフレットを見つめ、やがて意を決したように立ち上がる啓基。正直、美奈と映画を見に行った際も美奈が気になって、映画の内容も覚えていない。そんな自分が持っていても仕方がないだろう。

 ならば、渡しに行くべきかもしれない。少なくとも美奈が喜ぶ顔は見れるのだから。リビングを出た啓基は手早く身支度を整えると、家を出る。


 ・・・


「沙耶ちゃん!」


 指定された公園に辿り着いた美奈。ここはかつて唇を奪われ戸惑っていた美奈が沙耶から謝罪を受けた場所。急いでやって来たのだろう、汗で髪は額に張り付き、上気でほんのり白い肌は赤くなっている。息を切らしながら、近所の小さな公園に足を踏み入れれば一足先に沙耶はいた。


 もう時刻は19時に差し掛かる。

 この時間ともなれば公園の利用者はおらず、ブランコに腰掛ける沙耶を見つけるのは容易かった。どうやら先程、電話をしていた時はスーパーにいたのだろう。その手には夕食の材料が入ったスーパーの袋が握られており材料を考えても一人分だ。それだけでも沙耶の中では家を空けがちな父親がいないことが当たり前だということが分かる。


「……どうしたの? こんなとこ──」


 なぜ、わざわざ公園を指定場所にしたのか疑問に思った美奈は沙耶に近きながら、そのことを投げかけようとする。しかし、その言葉を言い終える前にスーパーの袋を地に置き、立ち上がった沙耶に抱きしめられ、続きを口にする事は出来なくなってしまった。


「沙耶ちゃん?」

「……」

「沙耶ちゃーん?」


 しばらく時間がたっても、沙耶が美奈を解放する気配を微塵も見せない。それどころかどんどんと力を強めてきている。そろそろ良いだろうと思って沙耶の名を呼ぶが、沙耶から反応はなくパタパタと彼女の肩を叩きながら反応をうかがう。


「……ごめんなさい。電話であんな風に言われたから会いたくなってしまって……」


 どうやら美奈に声が聞きたかったとい言われたのが、思いの外嬉しかったようだ。ゆっくりと美奈を抱きしめる腕を解きながら、美奈の顔に向き合いながら少し照れたように頬を染める。


 だが逆にそんなことを言われてしまっては、美奈だって何も思わないわけではない。照れのせいで赤みががる顔を俯かせるとそのまま沙耶に応えるように沙耶の背中に手を回す。そしてしのまま静かに目を閉じて、何かを待つように顔をあげ唇を向ける。


 それが何の意味を持つのかは言わずもがな。

 沙耶は何も言わずに僅かに目を細めると、そのまま軽く美奈と唇を重ねる。


 幸せだった。

 こんな時がいつまでも続けばいいと思っていた。






 だが、そうはいかなった。







「……」

「沙耶ちゃん……?」


 ふと沙耶が何かに気づいたように唇を離すと、まずいと言わんばかりに眉を顰め美奈の背後のただ一点を見つめている。なにかあったのだろうか? と沙耶の視線を追うように振り返った美奈はそこにいる人物に驚き、眉を跳ね上げ愕然とする。


「み……な……?」


 沙耶と美奈の視線の先、道路に面する公園の入り口では啓基の姿があった。

 しかし啓基自身も美奈と沙耶を信じられないと言わんばかりに目を見開き、体を震わせている。震える唇で美奈の名を口にする啓基に美奈もまた頭の整理が追い付かず、何も言えずにいた。

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