第13話 湯けむりの中の本心

「……お風呂が沸いたね……」

「……うん、すぐに入って」


 ゆっくり離れる美奈と沙耶。互いの頬はキスをした事もあってほんのりと紅潮していた。照れた顔を見られたくないのか、沙耶の胸に身を沈めるようにしな垂れる美奈はポツリと呟くと、沙耶は頷きながら風呂へ促す。美奈の身体は雨に濡れてしまっている。いくらヒーターなどで暖めてもそれでは心許ない。


「ねぇ、沙耶ちゃん……」


 風呂場へと促す沙耶に遠慮がちに口を開く美奈。一分一秒惜しい、今すぐにでも美奈を風呂に入れて暖めたい沙耶は怪訝そうな顔を美奈に向け、言葉の続きを待つ。


「一緒に入ろ……?」


 沙耶の胸の中に顔を埋めていた美奈は顔を上げ、潤んだ瞳を沙耶に向けながら遠慮がちに風呂に誘うと予想もしなかったまさかの申し出に沙耶は困惑する。


 沙耶も美奈を短い距離とは言え家まで連れてくる際、美奈を優先に傘をさしていた為濡れてしまっている。そんな沙耶を差し置いて自分だけ入るのは忍びなかった。


 ・・・


(……やっぱり沙耶ちゃんの家ってお金持ちなんだなぁ……)


 沙耶の好意で寺内宅の風呂を借りることとなった美奈。身体を洗い終え、湯が張られたバスタブに肩まで身を沈めながら、髪を纏めた頭は立ち昇る湯気を追うように天井を仰ぐ。


 例えるならば、ホテルの浴室や住宅展示場にでもあるような浴場だろう。ダークブラウンのアクセントパネルは高級感を醸し出し、落ち着き、ゆったり出来る。また浴室自体も広々としており、今自身が浸かっているバスタブも一人分と言うよりは二人分入れるほどの大きさだ。


(……私、沙耶ちゃんと自分からキスしちゃったんだよね……)


 背後には美奈を抱きしめる形で沙耶が入浴していた。あれから時間も経ち、こうやって一緒に風呂にまで入っていると途端に冷静になって、今更ながらとんでもない事をしたと赤面して胸がドキドキと高鳴ってしまう。


(でも……こうやって抱きしめてもらえると凄く落ち着くな……)


 下腹部に回された腕と体に感じる沙耶に美奈は気持ち良さそうに目を細め沙耶に身を委ねる。先程は沙耶にみっともない醜態を見せてしまった。あれだけでも記憶の彼方に葬り去りたいほど、所謂黒歴史になっている。だが結果としては、沙耶との関係が進んでしまった。それが良いか悪いかは別として、それはそれで美奈は嬉しかった。


「沙耶ちゃんと一緒にお風呂入るなんて久しぶりだね」


 二人とも何も喋らず、ただ時間だけが過ぎていく。だがその沈黙を美奈は心苦しいとは思わない。気まずくもない、寧ろ心地良いくらいだ。


 こうやって一緒に風呂に入るなど、それこそ小学生低学年の頃以来だろう。そう考えれば、何だか幼少期に戻ったみたいだ。沙耶に顔を向ける美奈は懐かしさからついつい口元が綻んでしまう。


「……昔はかなりの頻度で一緒に入ってましたね」


 沙耶もまた美奈と同じように懐かしんでいるのか微笑を浮かべながら答える。しかし沙耶の口調は先程とは違い、敬語に戻っていた。


「……沙耶ちゃん……また敬語に戻っちゃった」

「……ごめんなさい。今はこの喋り方の方が地に着いてしまって」


 先程、沙耶の幼少期を思い出させるような口調で話していたのがとても嬉しかったのだが再び敬語に戻ってしまった。幼い子供が拗ねたように沙耶からぷいっと顔を背ける。そんな美奈も可愛らしいとは思うが、どうにも先程の喋り方は敬語に慣れた今だと照れ臭さを感じてしまう。今では敬語に馴れ、これが地になってしまった。


「……ねぇ沙耶ちゃん……。なんで敬語を使い始めたの? 昔、理由を聞いた事あったけど他にもある気がするんだ……」


 いっそのこと、この場で沙耶の敬語について聞いてしまおう。そう思い、美奈は沙耶に再度顔を向けながら尋ねると沙耶は答えるべきか悩んでいるのか僅かに顔を顰めて考えた後、意を決したように静かに目を瞑る。


「……一度だけ私は貴女のことを諦めようと思った時がありました。貴女に敬語を使い始めたのもそのせいです」


 するとゆっくり目を開き、かつての自分の心中と共に過去の話をしだす。これは沙耶が敬語を使い始めた理由も聞けるのではないかと美奈は身体も僅かに沙耶に向けながら続きの言葉を待つ。


「……貴女が好きです。でも私達は同性同士。私が貴女に想いを告げて、貴女が私を気持ち悪いと感じたらどうしようと……そう考えていました。だから少しでも距離を置けば、おのずと私達の関わりは薄くなる……。こんな事を考えなくても済むと思って敬語を使い始めたのが始まりです」


 おもむろに敬語を使い始めた経緯を話し始める沙耶に美奈は黙ってその話に耳を傾ける。美奈を愛する感情は今に始まった事ではないと言うのは美奈も沙耶から聞いて知っている。誰よりも何よりも例えそれが同性であろうと沙耶は美奈を愛しているのだ。


 だが美奈はどうだろうか? 昨今の時代は以前よりはセクシャルマイノリティが受け入れられているとしても、やはり人によっては生理的に受け付けない人物だっているだろう。


「……私は臆病なんです。だから距離が開いて貴女が私に関心がなくなればと……そう考えての行動でした……。でも貴女はどんな時も私に変わらず接してくれた……」


 もしも美奈に想いを告げたとして彼女が自分を嫌悪したらどうしようと、それを耐えられるのかと、美奈にだけは嫌われたくない一心で沙耶は美奈に想いを告げる事が出来なかった。


 美奈を想って苦しむ事も美奈に嫌われることも嫌だったから沙耶は敬語を使い始めた。安直に思えたが突然、敬語など使い始めれば距離が開いて接点もなくなると考えたからだ。そうすればきっと美奈について考える事もないだろう、と思っていた。


 だが沙耶の予想に反して、美奈はいつだって変わらず沙耶に接してくれた。自分が開けた距離も気にせず、友達のように、妹のように常に何も変わらず話しかけてくれたのだ。


「……苦しかった……。でも……嬉しかった……! 想いが伝えられなくても傍に入れれば良いって……そう思ってた……。でも……葉山が貴女に告白をしたと……貴女がそれを受け入れようとしようとした事を知ったら……もう……自分を抑えきれなかった……っ!」


 沙耶の想いも露知らず美奈は沙耶に対する態度を変えなかった。それは苦しくて切なくとも何より嬉しかった。敬語にも慣れたせいか、今更変える事はしなかったが、それでも美奈の傍に友達としていようと決めていたのだ。


 だが啓基の告白とそれを受けようと幸せそうに語る美奈に自分の心がどんどんと黒い感情に支配されていくのを感じた。


 だからあのような行動に出てしまった。

 美奈が好きだから、この世の何よりも愛しているから。

 美奈が誰かのモノになるなど自分には耐えられなかった。

 自分はそれだけ美奈に恋していたのだ。


「そっ……か……。ごめんね……。私、鈍いから沙耶ちゃんの気持ちが分からなかった……。でもね……。ありがとう……。話をしてくれてホントに嬉しい……」


 玲奈の言う通りだった。自分は人の好意に疎い。だから沙耶の想いに気付くことなく彼女に接し続けた。今にも泣きだしそうに辛い感情を堪えてでも話してくれた沙耶に美奈は抱きしめるその手を掴んで感謝する。


(……いつまでもこのままって訳にはいかないよね……)


 もういつまでも逃げることなど出来ないのかもしれない。未希の言う通りなのだとしたら自分の本心に目を向けなくてはいけないだろう。自分はちゃんと答えを出して、沙耶や啓基に告げる責任があるのだ。そうしなければ自分の行動は沙耶のように他人を苦しめてしまうのだから……。

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