第12話 唇を重ねて
「くしゅっ……」
あれから未希と別れ、家まで帰っていた美奈だが雨の勢いは増してまさに激しい豪雨となっている。流石に距離は近い方とは言え、ここまで激しくなってしまっては帰る事もままならず近くの雨宿りが出来そうな閉店している商店の前で雨雲が覆う空を見上げているとそのままくしゃみをしてしまう。
それもそうだろう。傘も持たずに帰っているわけだから全身がずぶ濡れな状態だ。自然と身震いしてしまう。いくら春と言えどまだ少し肌寒いくらいなのだ。このまま放っておけば体調だって崩してしまう。
(急いで帰れば……なんて思わずビニール傘でも買うべきだったなぁ……)
そのまま濡れた自分の体を抱きながら身を震わせる。生憎、傘を持ち合わせてなかったのだ。振り始めた時はこのまま急いで帰れば大丈夫だろう、と高を括っていたわけだが、この激しさを増した豪雨の前では自分の浅はかさを痛感する。
そんな美奈の視界の右側から光が差し込む。身体を擦りながら見ればトラックが一台、走行していた。普段ならば問題はない、普段ならば。
「はぁっ……最悪……」
トラックはそのまま水たまりの上を走り、バシャッと水が跳ね美奈に大きくかかってしまった。思わず閉じた目をゆっくりと空けながら今の自分の状態を顧みて気分が滅入ってしまう。悪い事とは続けざまに起きるとはよく言ったものだ。この後、このままここで雨宿りするか、それともいっそのこと強引に帰ってしまうか美奈が悩み始めていると……。
「──……大丈夫ですか?」
横から声をかけられる。見ればそこには折り畳み傘をさした沙耶が話しやすいように傘を僅かに上げ立っていた。
「沙耶ちゃん……? どうして……?」
「帰りに参考書を買いに寄っていただけです。それにここは私の家の間近なんですから何ら不思議はないと思いますが」
何故、沙耶がここにいるのだろうか? そんな事を思いながら意外そうに沙耶を見ている美奈になにを言っているんだとばかりに怪訝そうな表情を浮かべながら答える沙耶。
元々美奈と沙耶は家の方角も同じだ。それによくよく考えればここから一分もしないところに沙耶の家がある。ここを通って帰ってたとしても何ら不思議ではないのだ。
「……ウチに寄って行ってください」
理解して「そうだよね……」と気まずそうに苦笑している美奈の頭からつま先まで全身を見た沙耶はそのまま自分の家に誘ってきた。
「このままだと風邪をひきます。ここで震えるよりは断然良いと思いますよ」
美奈の手を握る沙耶。その手から感じるのは雨に打たれ、かじかんでいる冷たい感触だ。「驚いている美奈に沙耶は理由を告げる。
美奈は今の自分の全てだ。このまま美奈が体調を崩すなど見ていられないし、見過ごせない。それ以前に小刻みに震えている人を見て放っておけるはずがない。半ば強引に沙耶は美奈を連れて自宅に向かう。
「ありがとう、沙耶ちゃん……」
そのまま美奈を傘の中に入れて近くの家まで向かう沙耶。その間でも美奈が少しでも温まるようにと沙耶は空いている手を美奈の肩に回して抱き寄せる。こうすれば少しでも暖かいだろう。
しかしただでさえ小さい折り畳み傘に二人で入っているのだ。狭くて美奈にはしっかり傘で守られているのだが、沙耶の体が僅かに出てしまって濡れてしまっている。沙耶は美奈が雨に濡れなければ自分は濡れても良い、そう思っての行動だろう。自分以外に無関心ともいえる沙耶の気遣いを嬉しく思い、礼を言うと同時に申し訳なく思う美奈。二人はそのまま沙耶の自宅へと向かうのであった。
・・・
(沙耶ちゃんの家、久しぶりだなぁ……)
沙耶の家に到着した美奈は風呂を沸かしに行く前に沙耶がつけてくれたカーボンヒーターの前に座って渡されたタオルで髪を拭いながら美奈は周囲を見渡す。
沙耶の家はこの辺りでも有数の広大な敷地に建てられて大きな一軒家だ。その理由も彼女の父親が経営者と言うのが大きいだろう。彼女の父は今となっては家を空けがちで美奈もあまり会った事はない。しかしそのお陰か置かれている家具や飾りなどで置かれている壺などを見ても高価なものだと分かる。
(……未希ちゃんにも悪いことしたよね……)
ふと、温かな環境にいるせいか、思考に余裕ができ、そのまま先程まで一緒にいた未希について考える。自分は邪気もなく自分なりの考えを言ってくれた彼女を傷つけてしまった。先程、無理にでも帰ったのはあのまま未希と一緒にいる事が美奈には出来なかったからだ。彼女からの提案とは言え、あんな事をしてしまった自分に心底嫌気が差す。
「……っ!」
どんどん深い泥沼に嵌るように自己嫌悪に陥る。タオルを被りながら表情は見る見るうちに暗くなり、寒さも相まって身体が震える。そんな美奈の身体を不意に背後から優しい温かな感触と共に両腕を回され抱きしめられた。
「沙耶……ちゃん……?」
「……震えているので」
美奈を抱きしめる両腕は純白の白花学園の制服を着用している。それだけではなく身体を密着させている為に沙耶が使っているであろうシャンプーの甘い匂いが鼻を擽る。美奈を抱きしめているのは紛れもなく沙耶であった。
「……沙耶ちゃんの身体は……温かいね」
「……貴女の震えが収まるのなら、いくらでも抱きしめます」
長い時間が経ったような気がした。彼女は美奈をカーボンヒーターなどで温めている間に風呂を沸かしていた。掃除を終え後は機械に任せて戻って来た時には暗い顔で震える美奈を見つけた為に、こうして抱きしめているのだろう。
回された沙耶の腕を抱き返す。その美奈の反応に僅かに目を細めた沙耶は美奈を抱きしめる力を僅かに強める。
密着する身体と身体。抱きしめてきた沙耶の体温は今の沈んだ美奈の心と凍えそうな身体を温かく包んでくれるようでこれ以上になく救われるものであった。
「あの、ね……沙耶ちゃん……。私……相談に乗ってくれた友達のこと……傷つけちゃった……っ!」
抱きしめられた腕を外し、沙耶に向き直りながら先程、未希との間に起きた事を話す。未希との付き合いは中学からだが喧嘩はあってもあのような八つ当たりに似た事はなかった。友達に最低な行いをしてしまった、その事が自己嫌悪となり美奈の目尻に涙を溜め、悲痛な面持ちにさせる。
「……その相談の内容は私の事ですか?」
美奈の話を聞き終えた沙耶は美奈の友人へ相談した内容について問いかけると、美奈は当人に答えるべきか一瞬、悩んだがコクリと頷く。
「……だとしたら、それは私のせいです。私が貴女の心を乱したせい……。貴女は悪くはない」
「……違うよ……。私は……」
美奈が頷くのを見て、再び優しく沙耶は美奈のか細い身体を抱きしめる。原因は自分なのだ、美奈が思い悩んで自己嫌悪に陥る必要はない。沙耶のその言葉は多少は救われても美奈の気持ちは変わらない。例えきっかけが沙耶だったとしても、未希との間に起こった事はまた別問題なのだ。
「美奈ちゃん」
不意に耳元で沙耶の口から出てきた今までとは雰囲気の違う幼い時に呼ばれていた呼称に美奈の動きは止まる。
「……ごめんね、やっぱり私は美奈ちゃんに迷惑かけてる……。でも覚えていて……。私は美奈ちゃんが好きで……愛していて……欲しくて……でも……何より美奈ちゃんの味方だって」
敬語はなくなり、かつて幼い時と同じ口調で沙耶は美奈の耳元で語り掛ける。それは紛れもない沙耶の本心からの言葉であった。
「だから美奈ちゃんも私に頼って……。私を利用して……。私は美奈ちゃんの居場所にもなりたい……。美奈ちゃんが辛いのなら……その心の穴を埋めたいから……」
美奈から僅かに離れて、美奈の眼をまっすぐ見て話す。その瞳もかつて唇を奪われた時は恐怖心しか感じなかったが、今は違う。いつも冷淡にさえ感じる沙耶の表情も口元には微笑が浮かび、優しさを感じる表情をしているせいだろう。そんな顔を見てしまえば、胸の中がどんどん熱くなっていくのを感じてしまう。
「沙耶ちゃん……。沙耶……ちゃんっ……」
沙耶の言葉はまるでそよ風のように心地よくスッと美奈の心に入り、満たしていく。そのまま沙耶の胸の中に飛び込んで、嗚咽交じりに沙耶の名を口にしながら腕を回してその力を強める。今の沈んだ気持ちのせいだろうが何だろうが、沙耶を離したくなかった。ただ沙耶は美奈の頭を優しく撫で、彼女が落ち着くまでずっと繊細なモノを扱うように触れていた。
僅かに時間が経ち、美奈はゆっくりと離れていき沙耶の顔を見つめる。沙耶もまた美奈を見つめ、互いに見つめ合ったまま時間だけが過ぎていく。
二人の顔がゆっくりと近づいていく。
雰囲気のせいなのかもしれない。たが美奈は自分の意思で沙耶と口づけを交わす。そのまま美奈は口づけしたまま沙耶の身体に縋りつくように掴み、沙耶も応えるように抱きしめ返す。口づけを交わす二人の室内では豪雨が地面を打ち付ける音と風呂が沸きあがった事を知らせるメロディが鳴り響くのであった……。
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