第9話 温もりをくれたこの手のように

 

 舗装された道路の上を学園に向かって手を繋いで歩いている美奈と沙耶。学園に向かっているのだから当然登校中の同じ学園の生徒の姿がちらほらと見受けられる。公園での話し合いからずっと沙耶は美奈の一歩後ろを歩きながらずっとその手を掴んでいる。心なしか美奈と手を繋いでいる沙耶の表情はとても穏やかで何だかこうしていると幼い時の姉妹のように接しているあの時を思い出して自然と美奈の口元が綻ぶ。


 衝撃的であった沙耶の告白。だが沙耶がひた隠しにしていた美奈への想いを打ち明けたと言う事もあり美奈の呼称も幼い時と同じものに戻り親しいながらでも沙耶が隔てていた壁がなくなって距離が再び縮まったように思える。結果論でしかないが、これはこれで良かったのかもしれない。


「きゃっ!?」


 漠然とそんな事を考えていた美奈は縮まった互いの距離に多少なり浮かれていたのだろう。注意力も散漫となって足元の小石に躓き短い悲鳴をあげながらバランスを崩してしまう。視界がジェットコースターのように下方へ向かっていくなか、反射神経によって目を固く瞑って衝撃と痛みに備える。だがどれだけ経ったとしても美奈が覚悟した衝撃が訪れることはなかった。寧ろそれどころかどこか柔らかな感触に包まれる。


「……大丈夫ですか?」


 目を恐る恐る開いて僅かに顔を上げて見れば、視界には間近に沙耶の精悍な顔が広がる。背後にいた沙耶が傾いた美奈の身体を咄嗟に抱き留めていたのだ。お陰で怪我を負う事もなかったが、沙耶の切れ長の瞳が間近でまっすぐ自分だけを見つめている。胸の鼓動が熱く高鳴っているのを感じながら沙耶の問いかけに何度も首を縦に振って答える。


「あ……ありがとう……」

「小さな子供とも言うわけでもないんですから、しっかりしてください」


 バクバクと感じた鼓動をきっと躓いて緊張したせいだと頭の中で片付けるが、それでもまた収まる気配はない。僅かに紅潮した頬を冷ますように撫でながら沙耶からゆっくりと離れて礼の言葉を口にする。もっともその沙耶は制服のシワに目を向け軽く払うと横目で冷たくも感じるほどに淡泊に注意する。そんな沙耶の態度も相まってか、すぐに鼓動も収まり「あっ……うん……」と叱られた子供のようにしゅんとして落ち込んでしまう。


「ですが……怪我がなくて良かったです」


 だがそんな美奈を知ってか知らずか間髪入れずに次の言葉が放たれる。それは先程の淡泊な態度による注意ではなく、どこか安心させるような安堵した声色によるものであった。伏せていた視線を上げて見れば、こちらに顔を向ける沙耶は見る者を魅了させるようなとても温かで優しい微笑みを浮かべていた。


「手……繋ぎましょう?」


 吹き行く風に髪を靡かせ微笑みを浮かべたままゆっくりとまるでダンスに誘うかのように手を差し伸べる。さながら宝塚スターのような華やかで麗艶さを醸し出すその姿はとても美しく視線を逸らす事が出来ない。まるで飴と鞭でも受けてしまったかのようだ。先程まで少し落ち込んではいたが鼓動が早まり再熱するかのように頬に熱を感じながら、その手を取りか細い指を絡ませ合う。


 数分前と変わらず、手を繋いで歩いていると言うのに美奈の表情は全く違う。今の自分の気持ちを切り替えようと何か話題を模索するが浮かぶことない。手汗が出るのを感じて、この手を繋いでいる沙耶も気づいているのか、何を考えているのかと赤みがかった表情で伏せた視線を忙しなく彷徨わせながら乾いた口内はこの言い得ぬ緊張を飲み込みたいとばかりに息を飲んだ。


「また躓いてしまっても困りますからね」

「そ、そこまでおっちょこちょいじゃないよぉっ!」


 沙耶は気にした様子もなく寧ろフッと軽く鼻を鳴らして、どこかからかうような笑みを見せながら話かけると美奈は慌てて否定する。この短い間にコロコロと変わる美奈の反応が可笑しいのか、クスリと笑う沙耶をうぅっ……と唸りながら「沙耶ちゃんの意地悪ぅ……」と瞳を潤ませて恨めしげに呟く。朝から中々ドギマギさせる出来事が続くなか、漸く白花学園の校舎が見えて来た。いつもと変わらぬ何気ない登校の筈が、何だか身体と疲労感さえ感じてしまう。


「けど本当に良かったです」


 すると校門を過ぎたところで再び沙耶が口を開く。

 先程よりはいくらか落ち着いた美奈は沙耶に顔を向けてみれば、既に沙耶は美奈に顔を向けていた。


「私は先程も言いましたが、この手に救われてきました」


 二人は学年が違う為、校舎内の別れ道に到着すると沙耶は今までずっと繋いでいた美奈の手を両手で愛しむように撫でながら見つめる。美奈からしてみれば救われたと言われても。その言葉は大袈裟な気もするが沙耶はとてもそうは思っていないようだ。目の前でそんな沙耶の姿を見て、照れ臭さを感じてしまうのは仕方ない筈だ。


「美奈ちゃんが欲しいと言うのは変わりませんが、この手が私にそうであったように何かあったのならば私も美奈ちゃんを救える存在でありたい……私はそう思っています」


 沙耶の中の小山美奈と言う存在は美奈が思っている以上に代え難い存在なのだろう。静かな誓いを表すように話しながら美奈の手を包んでいた片方の手を美奈の頭頂部に置き、そのまま美奈のほんのり赤みがかった頬まで滑らせるように撫でる。


「これは私を救ってくれた貴女を汚してしまった事への贖罪であり宣誓です。だから何度でも言います」


 誰よりも汚したくなかった愛おしい美奈を自分が汚してしまった。美奈は今は気にしていないようだが、それでも自分自身が何よりも許し難かった。ただ本能的に行動するなどそれこそ動物のすることだ。自分を許せはしないが、それでもこんな自分でも美奈に尽くしたい。


「愛しています。この世の何よりも」


 美奈へ顔を近づけ、その耳元で愛を囁く。時間の関係もある為、「それでは」と沙耶は今までの美奈との時間を惜しむように名残惜しそうに別れを告げて去っていくのであった。

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