第8話 あなたの手

 指定していたアラームが鳴り響き、差し込む朝日が煩わしそうに顔を顰めながら目を開く。いつもと変わらぬ日常だ。変わったと言えば、やはり人間関係だろうか。言葉にすればとても単純だが、人間関係とはとても複雑だ。


(どうしよ……)


 月曜日になってしまった。今日は登校日、当然学園には行かねばなるまい。しかし学園に行けば確実に沙耶にも啓基にも会う筈だ。自分は何もしていないし寧ろされた側なわけだが結局二人に対してどう向き合うか答えも出ず、どう顔を合わせて良いか分からなかった。


「美奈ー! 起きてるんでしょう? 朝ごはん食べちゃいなさーい!」

「あっ、はーいっ!!」


 半ば憂鬱な気分なわけだが、リビングから忙しそうな母からの呼び声が聞こえ我に返った美奈は慌てて向かう。兎に角、今は学園に向かうための準備をしなくてはいけないと思ったからだ。そうすれば少なくとも今は自分に置かれた状況から目を背けられる。無意識ながらも美奈は意識を切り替えて慌ただしく階段を駆け下りた。


 ・・・


「いってきまーすっ!」


 朝食も食べ終え、準備を整えた美奈はそのまま家を出る。外に出れば近所の人に出会い、その都度愛想よく笑顔で挨拶をしていく。これも変わらない日常だ。少なくともこうやって挨拶をしている間はそちらに気が向ける為、何も考えずに済む。


「おはようございます」


 少なくとも張本人の一人に出会うまでは。


「お、おはよう、沙耶ちゃん」

「……別にそう身構えなくとも、なにもしませんよ」


 まるで何事もなかったかのような澄ました顔で挨拶をしてきた沙耶に対して美奈はどこか身構えながら挨拶を返す。そんな美奈を見て自分がした事が原因とはいえ、どうすべきかと何とか美奈の警戒を解こうとする。とはいえ身構える美奈はどこか小動物を思わせ加虐心をくすぐられるのだが。


 こうして出会ってしまった以上は仕方がない。いつも通り一緒に並んで学園へ向かっているわけだが会話がなく息が詰まるような重苦しい雰囲気が流れる。大体いつもは美奈から会話を切り出しているが今回に関しては何と言って良いか分からないからだ。


「……まだ時間に余裕はありますよね」

「う、うん」

「ちょっと来てください」


 腕時計を見て時間的にもまだ十分に余裕がある事を確認すると沙耶は半ば強引に美奈を連れて道を変える。


 沙耶に連れてこられたのは近所の公園だった。昔はここでよく啓基や沙耶達と遊んだものだ。ふと懐かしんでいると沙耶は空いているベンチを見つけ、そこに移動して美奈を座らせてから自分もその隣に座る。


「……ごめんなさい」

「えっ……?」


 暫く沈黙が二人を支配し、一体これからどうなるのだろうと美奈は気まずそうに視線を彷徨わせる。しかしここで隣の沙耶から思いがけない謝罪の言葉が飛び出す。予想外のその言葉に美奈は沙耶を見ると言葉通りどこか申し訳なさそうな表情を浮かべている沙耶の横顔が見える。


「……私は貴女の初めてのキスを奪った。ですがそれは貴女の意思に反して強引なもの。セクシャルハラスメントと言われても反論は出来ません。……それだけは謝ってはおきたかった。それで済むとも思ってませんが」


 当時、理性を制御できず突発的に美奈の唇を奪い自分がひた隠しにしていた想いを告げた。その後、彼女も彼女なりに思う所はあったのだろう。どう思われても仕方ないがあの強引な口づけに関して彼女なりに謝罪をしたかったのだ。


「……その、確かに……驚いたけど……。私は大丈夫だよ……。だから沙耶ちゃんも気にしないで……。この事で私が沙耶ちゃんから離れるなんて事はないから」


 どう答えていいか悩んだ美奈だが今は考えでる限りの言葉を紡ぎながらなんとか答える。確かに沙耶の口づけは驚いたものだが、その事は今は気にはしていない。今の問題は沙耶や啓基にどう向き合うかだ。


「でも沙耶ちゃん……。あの時は気の迷い……じゃなくて本気……なんだよね?」

「勿論です」


 こうやって謝って来たのだ、もしかしたらあの時の事も気の迷いなのか? 確認をとるため、問いかける美奈にそれに関してはきっぱりと答えられてしまった。あまりにも迷いのない返答に美奈は面食らってしまう。


「……貴女を愛しています。今でもあの時告げた想いは変わっていません。私は……貴女が欲しい」


 そしてそのまま沙耶は美奈に向き合いながら自分の想いを再び告げる。キスに関しては謝罪はする。あれに関しては純粋に申し訳なく思っているからだ。


 だが美奈への想いは何も変わらない。美奈を手に入れたいという欲望も変わらない。その硬い意志を感じさせる瞳を美奈へ向けて、あまりにも真っ直ぐに話してきた。


「で、でも……私は沙耶ちゃんのこと友達だと思ってたし……」

「ならその認識を変えるまでです」


 あくまで自分は沙耶を友人だと思っていた事を話す。だが沙耶はそれでも自分への好意は変わらず、あまつさえその認識を変えようと言うのだ。沙耶がどこまでも本気である事を実感する。


「私にとって貴女は太陽のような存在なんです。あんな事をした私を拒絶する事も否定する事もしない……。貴女は本当に優しい人……。だから私はその優しさに付け入ってしまう……。私は本当に醜い人間です……。貴女を汚したと分かっていても……でも……それでも……私は貴女が欲しい……。その身も心も全部……私以外に向けて欲しくない」


 きっかけは幼稚園で美奈が沙耶に手を伸ばした時だった。段々話していくうちに視線を俯かせ肩を震わせていく。それほどまでに沙耶は美奈を想っているのだ。


 だがそんな沙耶の圧し掛かってくるような好意に美奈は答えに詰まらせる。なんと答えていいか分からないからだ。しかしここで漸く今迄暗かった美奈の表情がどこか凛としたものに変わる。そして沈黙を破るように美奈は口を開き話し始めた。


「……沙耶ちゃんが私の事をそう想ってくれるのは嬉しいけど私は……まだ沙耶ちゃんの事をそういう風には見れない……。でも沙耶ちゃんは私の考えを変えようとまでしようとしてる……。私には多分……沙耶ちゃんを止められないし拒絶も出来ない」


 そんな沙耶を見てまだ答えも出ぬまま沙耶に今言える事を話す。沙耶の言うように沙耶をとことん拒絶し、自分は周囲に沙耶に性的嫌がらせを受けたと言えば良いのかもしれない。そうすれば少なくとも美奈を自分のモノにするなどとは出来なくなる筈だ。


 しかしそんな事は美奈には出来なかった。そんな自分が沙耶を止められるとも思えない。だがされがままになるつもりはない。


「何が正しいのか分からない……。でもあんな風に無理やりするのはやだよ。だってあんなの私の意志も何もないじゃない。もし沙耶ちゃんが私のこと、本当に私が好きなら……本当に私に悪いと思うならもうあんな風にしないって約束して。そしたら私も沙耶ちゃんに向き合うから」


 正しい答えは見つからない。自分がこれだと言う選択肢など浮かばない。ならば少なくとも今、自分が考えうる最善の行動をしよう。


 もうあのような強引なキスをするような真似はさせない。自分を振り向かせたいのであれば、あのような事はせずまっすぐアプローチをして欲しい。もしもこれを破るのであれば、今度は沙耶の言うように彼女を拒絶し否定しよう。


「……分かりました」


 美奈の目を見て、言葉には出してないがその意思を感じたのだろう。沙耶は美奈を見て了承すると、何やら美奈の手をチラチラ見始め悩みながら渋った表情を見せ始める。


「……あの、手を……握っても良いですか……?」


 やがて意を決したように頬を紅潮させながら恥ずかしそうに美奈の手を見つめながら尋ねる。無理やり唇を奪った相手とも思えないその頼みにクスリと笑った美奈は「うん、いいよ」と優しく笑いながら手を差し伸べる。流石にキスをさせてくれと言われたら困るが、この程度ならば微笑ましいものだ。それにこうやって了承を得ようとしてくれるのも好感がある。


「なんだか昔を思い出すね」

「……私はこの手に救われてきました」


 こうやって手を繋ぎ合うと幼い時を思い出す。昔を思い出して懐かしんでいる美奈の手を握っている沙耶はその手を頬に当て、その温かな感触だけに意識を向けるように眼を細める。


「もうそろそろ学園に行かないとね」

「はい……。あの……出来れば……このまま」


 公園の時計で時間を確認すればまだ余裕があるとはいえそろそろ行かねばギリギリになってしまう。そう思い美奈は立ち上がって沙耶に声をかけると沙耶も頷き、手を握ったまま立ち上がる。しかしその手を離す気配はなく逆にこのまま学園に行きたいと頼んできたのだ。不安そうに僅かに俯きながらそう言ってくる沙耶に美奈は微笑を浮かべると頷き、二人はそのまま学園へ向かうのだった。

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