第11話 『教室での一幕』

 新入生代表としての役割を見事果たした雛は堂々とした姿で舞台を降りた。後は校歌斉唱を残すだけで、在校生を含めた生徒たちによってメロディーが紡がれた。校歌斉唱が終わると各組の担任を先頭にA組から体育館を退場してそれぞれの教室へと戻る。それから簡単な自己紹介を済ませて登校初日の授業は終了した。


 放課後となった生徒たちの動きは様々である。終業のチャイムと共に帰宅の路に着く生徒もあれば、一日でも早く友達を作ろうと積極的にクラスメイトに声を掛ける生徒の姿もある。そのなか俺を中心に雛とアーサーが集まっていた。初の顔合わせとなる雛とアーサーは互いに自己紹介を済ませ、話題は野球部に移る。


「部活動の入部決めは明日からだから今日はお休みだけど、そもそも野球部の創部届けは氷室先生が提出なされるのですか?」


 雛の質問に答えられる者はこの場にはいない。本来、部活動の創設にいくつもの条件を満たす必要があり、それらは生徒の手によって進められるのが一般的だ。しかし現状では朱里が創部すると宣言した形で話が進んでおり、野球部として活動できるだけの人員が集められているのか俺たちは知らない。


「それなら直接、訊けばよくないか?」


「そうだな。部員が集まっていようがなかろうが、知っておけば今度の活動の方針が決められる」


 アーサーの提案に賛同した。もし部員が集まっていなければ早急に募集しなければ活動もままならない。仮に部員数が足りたとしても練習はもちろん、それぞれのポジションや経験など情報を共有する必要も出てくる。そして何より夕凪高校野球部の目標である男女合同チームによる公式試合の出場。最大の目標にして壁でもあるこの信念を共有して共に歩める仲間になるかを確認する必要がある。


「それでは早速、職員室へ向かいましょう」


「その必要はありません、新田さん」


 職員室へと向かう方針を否定したのは目的である朱里当人だった。妹の朱里も付き添う。


「やっほー、遠夜君!」


 俺を見つけるなり朱音が近寄ってきた。出逢った当初からは想像も出来ない程に砕けた口調は入学までの間に幾度と自主練習を共にしてきた賜物だ。


 出逢ったばかりの頃は男女ということもありスキンシップの程度が掴めなかった。一つ間違えればセクハラ認定されてしまう。だが下手に距離を取れば信頼関係を築けない。これはバッテリーとして致命的である。伊達に捕手を女房と比喩されているわけではない。


「貴方は確か氷室朱音さんでしたか?」


「そうだけど……どこかで逢った?」


「いえいえ、私が一方的に存じているだけのことです」


 俺の時と同様の態度で雛は接する。


「新田雛です。野球部のマネージャー、になる予定です」


「マネージャー?」


 与り知らぬ所でマネージャーが確保されていることに朱音と朱里が確認を取るように俺に視線を送ってきた。


「断る理由もありませんし。それとこいつも入部希望者」


「津久見アーサー。ポジションは右翼手ライトです」


 この場にいる誰よりも身長のあるアーサーの影が覆い被さる。


「大きいわね。それに――」


 朱里はアーサーの体の隅々を触っていく。腕や太股といった箇所を握るように揉む。アーサーはくすぐられているような感覚に苦悶の表情を浮かべる。


「うん! しっかりと鍛えられているわね!」


 朱里が確かめていたのは筋肉の質だ。筋肉でもただ太く硬いだけでは力は出ても柔軟性を損なって怪我に繋がる。特に成長期である高校生になるとその成長を妨げる結果に繋がりかねない。


「遠夜君もそうだけど、意識が高い選手はしっかりと考えて鍛えているわね」


「うーん、私ももう少し鍛えた方がいいのかな?」


 朱音は自分の腕を触りながら悩む。野球に限らずスポーツ全般において筋肉は必要不可欠の要素だが、筋トレほど地味できつい練習はない。


「それも必要だけど、その前に朱音は体力と足腰の強化かな」


 俺は悩む朱音にアドバイスを送る。それはこれまでの練習から彼女に足りていない要素だと考えたからだ。


「まずは一試合を投げきれる体力。それはエースと呼ばれる要素の一つだぞ」


 エースはいわばチームの主役にして要だと考えている。点を取られなければ試合で負けることはなく、それを実現するには投手の力が必要だ。もちろん他のポジションの力も合わさっての零封だが、精神力と体力を最も消耗させるのは間違いなく投手だろう。俺たちはその必死に頑張る姿を見るからこそ一緒に必死になれる。その投手が早々に体力切れでマウンドを降板するようならエースを支えようという気持ちも薄まるというものだ。


「うっ! ま、またあの大変な練習が続くのか……」


 項垂れるように上半身を脱力させる朱里の反応に周りから笑い声が上がる。


「言っておくが、俺とアーサーも同様の練習をするぞ?」


「余裕余裕。体力には自信がある」


 自信に満ち溢れた表情を浮かべるアーサーに対して、朱里と朱音は合掌した。約半年間で練習を経験し、見てきたから彼女たちだからこその反応である。


「そうか。それは――」


 俺は込み上げる感情につい上唇を吊り上げる。


「練習が楽しみだ」


 酷く嬉しそうに笑っていた。それがその様子を見守っていた雛の証言だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る