第7話 『卒業と門出』
氷室姉妹との邂逅から約半年の歳月が過ぎ、全国の中学校では卒業式の日を迎えた。慣れ親しんだ母校を去ることに耐え切れず涙を流す卒業生もいれば、肩を組んで記念撮影をする卒業生もいる。教室に残って会話を楽しむ卒業生もいれば、早々と学校を後にして家路に着く生徒もちらほらと確認できた。
そのなかで俺はグラウンドにいた。良くも悪くも中学時代の想い出の記憶はここにある。毎日のように汗水を流して野球の練習に励んだ記憶は目を瞑るだけで昨日のように鮮明に想い出せる。怪我をして間もない頃は悪夢となって苦しめられた記憶がこうして自ら振り返ることの出来るものへと変化してくれたことは嬉しい限りである。
「てっきりここにお前はこないと思っていたよ」
想い出に浸っている背後から聞き慣れた男子の声が届き、振り返る。
「露骨に嫌そうな顔をするなよ。さすがに傷つくぞ!」
声の主、沢村一喜は俺の表情を見るなり叫んだ。俺自身、そこまで感情を表現したつもりはないのだが、無意識のうちに出してしまっていたようだ。
「沢村、お前……」
「な、なんだよ……」
「露骨なんて難しい言葉、知っていたんだな」
「本当に失礼な奴だな!」
沢村は怒りを露わにする。野球一筋で勉強の方は全然ダメだとばかり思っていた俺にとっては驚くべき要素だった。ただ沢村に限らず、野球部に所属していた生徒に賢い者はいなかったと認識している。
「……まったく! 卒業の日でもこんな馬鹿話かよ」
「俺とお前らしくていいだろう」
「残念だが今回は全員集合だ」
ぞろぞろ沢村の背後から見覚えのある面々が姿を現した。退部して以来、疎遠になっていた懐かしい野球部員たちだ。
「久しぶりだな、都筑。それと今まで挨拶もできなくてすまなかったな」
久しぶり言葉を交わして早々に部員たちは頭を下げた。何でも怪我をして野球の道を断たれた俺に心配の声を寄せて同情することが逆に苦しませてしまうのではないかと判断した上での対応だったらしい。確かに当時は人生に絶望して心が荒んでいて、同情の声を寄らせられても苛立ちをぶつけるだけの酷い状況になっていただろう。
「ほんとお前たちは……」
心に込み上げてくるものがある。一つ油断すれば涙腺を崩壊させてしまうような感情だ。そんな姿を見せるわけにはいかない。同級生に嬉し涙を流す顔など見せたあかつきには羞恥心で悶え死にしてしまう。
「お? 泣くのか? 都筑、泣いちまうのか?」
他人の感情を敏感に悟った男子生徒の一人がからかってくる。俺は誤魔化すように男子生徒の頭を押し下げた。
「うるさい。この程度で泣くか」
「そうだな。卒業は別れの日と同時に門出の日でもある。笑ってそれぞれ見送ろうではないか」
野球部の中でもひと際、がたいのある男子生徒が言った。一年生からレギュラーで四番を任されていた玖王中学の主砲だ。
名前は土岡巌。名前と見た目がここまで一致している土岡以上の人物を見たことがない。その土岡は俺に向かって口を開く。
「再び都筑が野球を始めることになり、かつてのチームメイトはライバルとなった。共に切磋琢磨してきた身としてこれ程、嬉しいことはない」
だが、と土岡は続ける。
「高校で頂点を取るのは俺だ。それだけは譲らないぞ」
腰に手を当てて分厚い胸板を張りながら土岡は宣言した。当然、反論が各方位から飛び交う。その声を望んでいたかのように土岡は酷く嬉しそうに笑った。
「意気やよし! ならば新たな地で、新たなチームで、鎬を削り合おうぞ!」
戦国武将のような言い回しで想いを伝えた土岡は去って行く。その発言に一瞬、呆気を取られたチームメイトたちも、それぞれ正気を取り戻すと、一言二言、意気込みを発言して去って行く。
「なんだなんだ、随分とやる気だな!」
「それだけ皆の甲子園に馳せる想いが強いってことだろ。お前も、もちろん俺も含めてな」
自然と拳を握って力を入れてしまうのが何よりの証拠だ。
「……ふん。骨の折れる高校野球人生になりそうだ」
振り返った沢村は鋭く気合の入った双眸で俺を見ると、拳を胸に突き付けてきた。
「お前にもあいつらにも絶対負けねぇぞ!」
小突く形で拳を押した後、沢村もまた背を向けて去って行く。その後ろ姿を見送り、その背が完全に視界から消えた後、空を見上げた。
雲一つない空が広がる。寒さを覚える冬空はその形を潜め、陽気が見え隠れする春空が支配する。
「さて、と。俺も行くとするか」
一ヵ月後には始まる新たな生活に想いを馳せながら未来へと歩き始めた。
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