第5話 マグヌス編 暗闇の空~選択肢のない選択~
森は普段と何処か様子が違った。木々のから感じる雰囲気が弱い。森自体がどこか弱々しい。まるで草木の精気を何かに吸われているようだ。
マグヌスは全力で森を駆ける。森の様子を見て、不安が広がる。早く、ヴェイグに合流しなくてはいけない。空色のマントはマグヌスの心情を表すかのように激しく棚引く。
鳥たちは、森から逃げる様に飛び立っていく。空に黒い闇が広がっていく。それが広がるごとに風が強く吹いている。あの黒い闇は良くないものだということはマグヌスも直感的に理解していた。
「はぁ……はぁ……」
息が上がる。肺がつぶれそうだ。それでも走った。腕や足が何度か枝に切られる。血が滲んでいく。それでも、そんなことを気にせず走る。そしてヴェイグを探した。
いつもヴェイグが迎えに来ていた。ヴェイグ探すことなんて、もしかすると初めてのことだったのかもしれない。しばらく走ると森の中でも少し開けた場所へ来た。
「はぁ……はぁ……。ここにもいない」
手で顔の汗を拭うと、手の甲が切れていることに気が付く。辺りを見てもヴェイグはいない。普段ならこの場所でヴェイグは木を伐っている。しかし、そこに彼の姿はない。次に探す場所を考える。
その時だった。小さな音だった。だが、確かに聞こえた。音のする方を向く。するともう一度、その音が聞こえる。聞き間違いではない。今でも鮮明にその音を思い出せる。その音は、火花が散りガラスがぶつかり合うような音。あの日、聞いた不思議な音だった。
マグヌスは、音のする方へ駆け出した。嫌な予感がする。音は何度も聞こえる。そして、走ると確実に近づけている。音はより鮮明に聞こえる。
「これは……」
木に、ヴェイグの斧が刺さっていた。マグヌスはそれを手に取ると、近づいている音源へと急いだ。そこから少し走ると、何かいる気配を感じた。
「ギゲェェェェェェェェェェァ」
絶叫にも似た咆哮。振り返るとそこにいた。血塗れのヴェイグと、異形の獣。そして、黒いローブの人物。咆哮は異形の獣のものだった。
「ヴェイグ!!」
マグヌスはヴェイグへ駆け寄る。ヴェイグは意識がない。だが、息はあった。マグヌスは獣に対して斧を構える。ヴェイグは血塗れだが、服に傷がない。つまり、切り傷ではないのだ。
「ヴェイグに何をした」
マグヌスは獣と黒いローブの人物に問う。獣はマグヌスに対して飛び掛かろうとしたが、後ろに立つローブの人物が手を少しだけ上げると。静止した。ローブの人物が獣を操っているのは明らかだ。
『ほぅ。少年、君は面白い』
不思議な感覚だった。ローブの人物は言葉を発していない。ローブの人物の声が直接頭に流れ込んできた。マグヌスは一歩退く。
『そちらの彼はダメだな。フィアの咆哮でそのざまだ』
異形の獣の名はフィア。そして咆哮を受けたヴェイグはこんなに状態になったというのか。
マグヌスは恐怖や怒りもあったが、自分でも不思議なくらい冷静に状況を把握しようとしていた。
「お前は誰だ。何が目的だ!」
ローブの人物は今まで見てきた誰とも違う。目の前にいるのに、そこにはいない様にも感じる。そして、森の精気がローブの人物に集まっているように思えた。目には見えないエネルギーの流れが、ローブの人物を中心に動いているようだったからだ。空の黒い闇もここを中心に広がっている。風はさらに強く吹き荒れる。
『何者か。難しい疑問だ。なぜ生きるのか。それと同じくらい難しい。うん。そして目的か。目的……目的を探すことが目的だろうか』
ローブの人物は指一つ動かしていない。だが、この言葉はローブの人物のものだと、マグヌスは感じた。根拠はない。だが、そう思うだ。
どうする。どうすればヴェイグを連れて逃げられる。マグヌスは思考する。
斧を投げて、その隙を突く。不可能だ。ヴェイグを抱えてその速度で逃げることはできない。戦う。不可能だ。獣の咆哮を正面から受けたら、自分も無事で済むとは思えない。そもそも、ローブの人物は自分たちを殺すのか。……それだけは確かだとわかった。マグヌスは人生で初めて人為的な殺気というものを肌で感じ理解していた。一つきっかけがあれば、自分もヴェイグも殺されるのだと。
そのきっかけは何でもいい。次に鳥が飛び立った瞬間でも。風が強くなり、木々が揺れた瞬間でも。マグヌスは、きっかけが来る前に逃げる方法を思考する。
『不思議だ。少年とは何処かであった気がする』
「生憎、僕は貴方と会ったことはない」
ローブの人物の顔は見えない。表情も口が動いているかすらわからない。
辺りの状況を再確認する。意識のない血塗れのヴェイグ。全力で斧を投げれば、届く距離には異形の獣。その後ろには黒いローブの人物。周りの木々は、普段より弱々しく、ぶつかれば砕けてしまいそうだ。
斧をぶつければ、木を砕くことはできる。それで直線的に道を作って、ヴェイグ抱えて逃げるしかない。マグヌスはそう思った。しかし、それには足らない要素が多すぎる。獣もローブの人物も斧を振った瞬間に、自分たちを殺すだろう。
一か八かでも、攻撃して、動きを封じるしかない。
『ここには何もない。そして小さいな。まるで、わざと隠していたようだ』
「なんの話をしている」
『少年は面白い。この世界で珍しい異質を持っている。何処かでそれを手にしたのか、はたまた覚醒したのか』
「異質?」
持っている斧のことではないことはマグヌスでもわかったが、それが何を示すのか、見当もつかなかった。タイミングを選ぶ。きっかけを感じ取った瞬間に打って出る。
『それすら知らないなら、覚醒か。その若さで覚醒するのか。恐ろしいな。何事も根が深くなる前に消すべきだと私は思うのだよ』
きっかけはまだ来ない。ローブの人物は動く気配はない。
火花が散りガラスがぶつかり合うような音。歪んだ空間の塊が獣を吹き飛ばす。ローブの人物は獣の飛んだ反対方向を見た。きっかけだ。このタイミングだ。マグヌスにもないが起きたか全く理解できなかったが、タイミングは今しかないことだけはわかる。
マグヌスは全力で、手の平に円陣を生み出し、ローブの人物に向ける。今まで、草花を揺らすことで精一杯だったこの技しかない。マグヌスにできるのは風を起こすことだけ。だが、やるしかなかった。
「吹き飛べ!!」
マグヌスは叫んだ。すると、円陣の色はより鮮やかなものとなる。普段とは全く異なる風が円陣から発生する。烈風が巻き起こる。それはローブの人物を軽々と吹き飛ばした。
『ほぅ。魔術か』
その言葉からローブの人物に対してダメージがないのは明らかだった。しかし、距離をとることはできた。それで十分だ。
マグヌスは斧を来た道の方へ投げる。予想通り、木々は砕け、直線の道ができた。
ヴェイグを抱えた。獣を吹き飛ばした塊の発生源から、見覚えがある人物が現れる。
「神父様!」
「マグヌス。ヴェイグ抱えて逃げられますね」
「さっきのは」
「今は黙って逃げなさい!」
神父は見たことのない表情をしている。怒りでも悲しみでもない。それは戦士の顔。
『貴様か。こんなところにいたのだな』
「ディズ。ディズ・クライレス。この時が来たのか」
『何を言っている?貴様がいるなら、何としても少年は殺す』
マグヌスは神父とローブの人物の会話を聞き足が止まってしまっていた。正確に言えば、それだけではない。ヴェイグ探して駆け回ったこと、そして先程の魔術の発動。マグヌスの身体は限界だった。足は動かしたくても動かない。しかし、マグヌス自身がまだそれを自覚できていない。
「あれ、身体が動かない」
『殺れ、フィア』
神父に吹き飛ばされ、半身を失ったフィアは、痛みなどないと言うように、構わずマグヌス目掛けて飛び掛かる。
「させませんよ」
神父は視線をローブの人物ディズから外すことなく、手だけをフィアに向ける。すると歪んだ空間がフィア目掛けて突き進む。フィアの残った半身は、見えない何かに握りつぶさるように消滅した。
『鈍ったな』
フィアの反対側に、もう一体、無傷のフィアがいた。そちらも、マグヌスに向かって飛び掛かっていたのだ。二体目のフィアに気が付き神父が振り向く。
「しまった」
「ぐはぁ」
二体目のフィアにマグヌスは吹き飛ばされる。思わず抱えていたヴェイグを離してしまう。マグヌスは全身に激しい痛みを感じる。まるで熱湯を内側から流し込まれるような痛み。そして、地面に打ち付けられた痛み。意識が飛びそうになる。
二体目のフィアに向けて、神父は同様に歪んだ空間をぶつけ消滅させた。そして神父はディズに対しても歪んだ空間を放つ。この程度の攻撃でディズが倒せるはずもないことを神父は理解している。これはただの威嚇だ。追撃が来なければいい。
神父の読み通り、ディズは歪んだ空間を避けるために距離を取った。
その隙に神父は二人の方へ駆ける。
「大丈夫ですか」
「はい。でも、立てません」
「これは……」
神父は二人に手を当てる。そして二人の状態に気づく。ヴェイグは意識がないだけではない。身体の内側から切り裂かれている。このままでは確実に命はない。むしろ、今現在生きているのも奇跡としか言いようがない。マグヌスにしても危険な状態だった。まず、無理やりに発動した魔術による魂の摩耗。それに加えて、フィアの攻撃が直撃したことによる打撲と高エネルギーの波状ダメージ。意識は辛うじてあるが、できるだけ早く治療をした方がいい。意識があるマグヌスなら、逃がすことができると神父は思った。
「マグヌス。聞いてください。今から貴方を別の世界に飛ばします」
「神父様、何を言っているのですか」
「私は、別の世界から来たのです。貴方なら、きっとこの世界に戻ってくることができます」
「ちょっと、待って下さい」
「すみません。待ってあげる時間も、選べせてあげる時間もないのです」
「神父様」
「ここは私がどうにかします」
「二人は」
「ヴェイグとシュティレのことも私に任せてください」
ディズが二人の方へ駆けてくる。神父は横目でそれを確認すると、両手を合わせる。手に空間の歪みが発生する。指を合わせ、掌に歪みを集める。
「選ばせてあげられないのは今回が最後です。これだけは覚えておいて下さい。これから先の人生、どんな分かれ道でも進む道は自分で選びなさい」
「神父様」
マグヌスには、神父なら全てを上手くやってくれるのだと確信があった。今まで、神父が自分たちを助けられなかったことはなかった。だから今回も大丈夫だと、神父様ならきっとディズという謎の人物を退けてくれる。そう心から思えたのだった。
神父は掌をマグヌスに向けた。歪みは広がり、優しくマグヌスを包み込んだ。
マグヌスの意識が遠のく。それはまるで、森で眠りに落ちるときのようにゆっくりと、優しく落ちていくのだった。
『まさか、そんなことをしてまで、その少年を生かすというのですか!』
ディズは手を上げ、三体目のフィアをマグヌス目掛けて飛ばす。フィアがマグヌスにたどり着く前に、マグヌスは歪みに飲み込まれ姿を消した。
「どうやって、この世界を見つけた?」
『偶然と感さ』
「そうか。ならいい。ここはそう簡単に見つかる世界じゃない。簡単に見つからなかったのなら、それは成功だったということだ」
神父の放つ雰囲気が変わる。神父の周りの空間全てが歪み出す。
『それでこそ、というとこか』
「お前がここに来たことで、計画が台無しだ。あと少しで、全てが上手くいくところを……。あぁ後は子供たちに賭けるしかありませんね」
『
「お前にはここで消えてもらう」
空間の歪みがディズを襲う。ディズは複数のフィアを操り、神父を攻撃する。激しい攻防が続く。互いに一歩も譲らず、決定打を打つことができない。
この世界に名前はない。なぜなら、ここは誰も知らない世界。一つの村と海と砂漠と森しかない世界。ある者が偶然生み出した世界。そんな場所で二人の
この戦いがなければ、マグヌスの人生は大きく違っただろう。しかし、その道はマグヌスに選択できるものではなかった。選べなかったこの選択で、マグヌスの全てが動きだすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます