第4話 マグヌス編 晴天の空~はじまりの時~

 マグヌスは空を眺めていた。

 晴天。この空を表す言葉は、それ以外にないと思った。

 マグヌスが十二歳の誕生日を迎えた日のことだった。


「こんな良い天気の日に森へ入らないなんて珍しいこともあるもんだ」


 マグヌスが振り向くとヴェイグが立っている。


「おはよう、ヴェイグ。空を見ていてね、雲一つないんだ」

「俺は雲が少しくらいあった方が過ごしやすくて好きだけどな」

「そうだね。確かにその通りだ」


 ヴェイグの言う通りだ。この村は日差しが強い。少し雲があって、時々日差しが隠れるくらいが一番過ごしやすい。それでも不思議と空から目が離せなかった。


「ここまでの青空を見るのは生まれてから初めてかもしれないな」


 ヴェイグも空を見上げ、そう呟いた。


「ヴェイグはさ、この空の先には何があると思う?」

「なんだよ。唐突に」

「いやさ、何となく。この空を見ていると村の外のことを考えてしまってね」


 マグヌスはあの日以来、三つの月がある湖に行っていない。

 正確には、行こうとしたが行けなかったが正しい。何度祠に行ってみても、あの夜に見つけた道を見つけることはできなかった。


「俺にはこの村の外に世界が広がっているなんて信じられない」

「どうして?」

「だってそうだろ?旅人なんて神父様しか聞いたことがない。村の外から誰か来たのだって数十年前が最後だって話さ。それだってボケた老人の戯言かもしれないんだぜ」

「でも神父様がいるじゃないか」

「そうだけどさ、あの人は何か違う気がする。もしかすると旅人だっていうのも俺たちのためなんじゃないかって俺は思ってる」

「どういうことさ?」

「俺たちを庇う為だよ」


 ヴェイグは村人に嫌われているからこそ、自分を育ててくれた神父に感謝していた。外の世界を知らないヴェイグにとって、神父を外から来た者としてしまうと、自分もどこかで村人と同じになると思っていた。神父を怖がり、敬遠し、無理難題を押し付ける村人と同じに。


「僕は神父様が旅人だって話を信じているよ」


 マグヌスはあの日見た光景を忘れることができなかった。そして、あんなことができる人だからこそ、外の世界から来たということが妙に納得できていた。


「お前も村人と同じ考えなのかよ」


 ヴェイグは少しだけ、イラ立ちながらマグヌスの方を見る。


「違うさ。あの人は村の雰囲気に靡かない。あの人の正しさを持っている。村の外の考えを知っているんだと僕は思う」


 マグヌスにとっても、神父はとても大切な人だった。親のいない自分を育ててくれた恩人であり、親のように愛していた。


「そう言われる、確かに納得するな」


 ヴェイグは持っていた斧を肩に担ぎ頷く。


「ところで、君は何か僕に用があって来たのかい?」

「あぁ、そうだ。忘れるところだった。シュティレが呼んでいる」


 普段、マグヌスは森へ入っている。そして、本を読んでいると木を伐りにヴェイグが現れ、二人で昼食を食べに孤児院に戻っている。


「わかったよ。僕は孤児院に戻るね。ヴェイグ、一人で森へ行って大丈夫かい?」

「大丈夫だ。いつも、お前はいたところで役に立ってないだろ」

「酷い言い方だ」

「木を伐るのは俺。木を持って帰るのも俺じゃないか!」

「話し相手にはなっているだろ」

「そうれはそうだけど、逆にそれ以外に何をしている?」

「もちろん、読書さ」

「……そうだな」


 満面の笑みで答えるマグヌスにヴェイグは少し呆れていた。


「さっさと孤児院に戻れよ。俺は一人でも大丈夫だ」

「はーい」


 マグヌスはヴェイグと別れ、孤児院に戻っていく。

 ヴェイグは森へ向かっていった。


 ヴェイグの姿が見えなくなると、マグヌスは両手を合わせ口元で合掌をする。


「ふー」


 短く息を吐くと、目を閉じ心を落ち着かせる。


「はっ!」


 声と共に目を開き、両手を前に突き出す。

 すると、両手の平にそれぞれ青い円陣が浮かぶ。


「風の声を聴き、空気に触れるイメージ」


 マグヌスは小さく呟くと、円陣から風が生まれ、近くの草花を揺らした。風が弱まると手を握る。すると円陣も消えた。


「はぁ~。やっぱりダメだ」


 落ち込みながら、孤児院に向かって歩き出す。

 マグヌスは神父から技を教わっていない。神父はマグヌスの願いを聞いた上でこう答えた。


「技ですか。難しい話ですね。あれは、人に教わってできるというものではないのです」

「そこをなんとか!」

「貴方が真に必要としたとき、貴方だけの技を見つけることができます。しっかりと食べ、運動をし、貴方の好きな読書を続けていくことが一番の近道ですよ」


 神父はそうマグヌスに伝え、それ以上あの日のことを話すことを禁じた。マグヌスの知りたかった、神父の技については何もわからなかった。偶然見つけた本に不思議な術についての記述を見つけたのは、それから数日のちのことだった。自然のエネルギーと生命エネルギーを用いた術。その術を魔術と呼ぶのだという。その本には魔術に関する様々なことが書かれていた。しかし、ここで問題が発生した。前半の数ページを除き、書かれている言語が見たこともないものだったのだ。マグヌスは読めるとこを読み、あとは描かれていた絵を見て独学で魔術の特訓をしていたのだった。


「シュティレ、ただいま」


 マグヌスが孤児院に戻ると、シュティレが紙袋を持って駆け寄ってくる。


「何かあったの?」


 マグヌスが尋ねると、シュティレは首を横に振った。そして、紙袋から何か布をを取り出しマグヌスにそっと被せた。


「これは、マント?」


 それは空色のフードの着いたマントだった。シュティレは元気よく頷く。


「これを僕に?」


 もう一度頷くと、空を指さし、続いてマグヌスを指さす。


「空が好きな僕にプレゼントってこと?」


 シュティレは少し不安そうにマグヌスを見つめる。


「ありがとう、シュティレ。とっても嬉しいよっ」


 マグヌスが言い終わる前に、シュティレはマグヌスを抱きしめた。


「本当にありがとう。大切にするよ。どうかな似合ってる?」


 シュティレをそっと離し、フードを被ってみせる。すると、シュティレは満面の笑みを浮かべ頷いた。マグヌスから見ても、シュティレはとても美しい少女だった。透き通る青い瞳と、白い肌。言葉を出せなくとも、表情だけで全てを伝えてくれる。


「このマント、綺麗な空色だね。シュティレの瞳の色とも一緒だ」


 すると、シュティレは少し恥ずかしがったが、喜んでいた。

 その時だった。森にいる鳥たちが一斉に飛び立ち、騒々しいい音が耳に入る。


「何だろう?」


 マグヌスはシュティレと共に、外に出て、森の方を見た。


「何もないか?」


 マグヌスの見た方は普段と変わらなかった。すると、シュティレがマグヌスの肩を叩く。


「どうしたの?」

「……え」


 空が黒く染まっていた。シュティレもマグヌスと同じく、状況を理解していない。

 二人は思わず、黒く染まった空を見つめてしまった。そしてマグヌスは気づく。


「あの方角はヴェイグが木を伐りに行っている方だ」


 ヴェイグは森へ入っていったはず、その場所がちょうど空が黒く染まっている方向だった。


「シュティレは神父様に伝えて、僕はヴェイグを探してくる」


 マグヌスはシュティレにそう言って、森へ向かおうとする。シュティレはマグヌスの手を掴む。その顔は不安でいっぱいだった。


「大丈夫だよ。ヴェイグがいる場所は大体わかってる。すぐに見つけて戻ってくるよ」


 そう言ってシュティレの手を握り返した。シュティレは何か言いたそうだったが、小さく頷いて、手を離した。マグヌスは森へ向かって駆け出した。森の空は、マントと同じ鮮やかな青色からどんどんと黒に染まっていく。マグヌスはマントの留め紐を強く結び直し、全速力でヴェイグ探しに森へ入った。



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