七章 2
たしかに、そうなのだろう。
愛莉は自分がまだ若いから実感がわかないが、自分が八十さいになったところを想像してみた。
テレビなどでも何度か見たことがある。年をとると、耳が遠くなり、視野がせばまり、炎の青い色も見えなくなる。体のふしぶしが痛くなり、筋力も落ち、持病をかかえるようになる。
あと何年、生きられるんだろうと考えながら毎日をすごすようになる。
死を恐れるのではないだろうか?
人生に成功した人ほど、死は受け入れがたいものとなる。
「大金を払ってでも若返りたいという人は、たくさんいるでしょうね」
「いるでしょう。そして、おそらく、それを実行している者がいる」
すうくんだ。それしかいない。
杏の彼氏の“すうくん”だ。
若くして起業し、大成功をおさめた。彼が商売であつかっているのは、人間の寿命なのだ。
「杏ちゃんも、だまされたのかもしれない。もともと、移し身を起こすための土台として利用するつもりだったのか、それとも、秘密を知られてしまって、結果的に利用されたのかはわからないけど」
「心あたりがあるんですね?」
「杏ちゃんは、すうくんと呼んでいました。私も小学生のときに、一回だけ、夏祭りで遊んだことがあるんです。地元の子で、あのころ中学生でした。たしか、すうくんっていうのは、名字が関係してたんです。鈴木とか、杉田とか、そんな名字で」
圭介には、すぐに誰のことかわかったようだ。
「
「気づいていたんですか?」
「まあ、あんな車を乗りまわしていますからね。どこからその金が出ているのか疑問には思っていました。しかし、証拠がない」
証拠……ここに来て、物理的な事実に阻まれるとは考えていなかった。
「そもそも、移し身を利用して大金をかせいでいるなんて、法廷で通用しませんよね?」
「移し身を証明するのはムリでしょう。それより、あの大量の死体と関連づけるよりない。殺人事件に加担したとして、逮捕にこぎつけるしかないでしょうね」
「どうしたらいいんですか?」
「移し身を起こすために、誰かに誰かを殺させているわけですよね。その現場を押さえるしかないでしょう」
「でも、死体が見つかって、これだけ大きなさわぎになっているんですよ? すぐにまた事件を起こすと思いますか?」
「よほどの愚か者でないかぎり、しばらく商売は中止するでしょうね」
「そうですよね」
そうなれば、事件は迷宮入りだ。
「どうするつもりですか?」と、愛莉がたずねると、圭介はこう答えた。
「とにかく、脱税でもなんでもいいので、ほかの容疑で家宅捜索をすることにします。殺人の遺留品が見つかれば、そこから事件にむすびつけることができますから」
うまくいけばいいが、そんなに都合よく、殺人の証拠なんて残しておいてくれるだろうか?
第一、菅原自身は移し身のための殺人に一度も加担していない可能性だってある。
「杏ちゃんが移し身で体をとられた。ということは、杏ちゃんは誰かを殺したってことですよね。菅原さんのことを彼氏だと信じて疑ってなかったから、『おれのために殺してくれ』とでも言われたんでしょうか?」
「案外、人を殺しているという自覚がなかったかもしれませんよ。たとえばですが、殺されるがわの人間が袋か何かに入っているんです。人形が入っていると言われれば、浴槽につきおとすことくらいはできるでしょう? 報酬をくれると言えば、たいていの人間はやるでしょう」
「あっ、そうか」
「または、殺すがわの人物が睡眠薬などによって意識を失っている。その手に刃物を固定しておいて、別の誰かが手をそえて、相手の胸を刺す。そういう方法もある」
人を人と思わせずに殺させることも、やろうと思えばできるということだ。
殺されるほうの人間が、移し身について理解していれば、それは容易なことだろう。
「今、杏ちゃんになっているのが誰なのかわからないけど、あの人から、何か聞きだせないかな。わたし、このあと、会いに行ってみます」
「あなたの身に危険がおよぶといけない。ムチャはしないでください。あなたは雅人の大切な友達ですからね」
友達なのか、彼女なのか、自分でもよくわからない。
愛莉はあいまいに笑っておいた。
圭介はひとりごとのように続けて言う。
「雅人はただの近所の子どもというよりは、命の恩人というか、孫のような弟のような、そんな存在なんです。だから、行方不明になったと聞いたとき、とても心配したんですよ。この地区の若い人だけが次々にいなくなる。移し身のせいじゃないかとは思っていたので。雅人もその犠牲者になったのではと案じていました」
愛莉はドキリとした。
雅人は、なぜ、圭介をさけるのだろう?
二年前のことが行方不明ではなく、家出だったとしたら、その理由を追求されるのがイヤなのだろうか?
そうではなくて、もしも、移し身の事件に何か関係があるとしたら……?
今日は絶対にそのときのことをくわしく聞いてみようと、愛莉は考えた。
なんだか、とても不安だ。
「じゃあ、わたし、杏ちゃんの家に行ってみます。何かわかったら、また連絡しますので」
「くれぐれも怪しまれるようなことはしないでください。このうえ、あなたにまで何かあったら、ご家族が悲しまれますからね」
「そうですね。祖父と父のことは、祖母や母には話せませんし」
愛莉はけっきょく、注文もせずに店を出てしまった。
なぜか、とても気持ちがはやる。
心の底では、たぶんもう、わかっていた。だが、今は、それに気づかないふりをしていた。
認めたくないから。
認めさえしなければ、それが真実になることはない。
かたくなに、そう思いこんで……。
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