六章 3

 *



 杏が死んだ?

 いったい、どうして?

 今朝、会ったときは元気そうだった。病気ではないはずだ。だとしたら、事故か、事件。


「おばあちゃん。ちょっと、わたし、笹野さんの家まで行ってくるよ」

「え? どうしたの? 急に」

「うん。ちょっと、杏ちゃんに会いたくて」

「そう? 気をつけてね」


 祖母に見送られ、愛莉は外へかけだした。


 杏が事故に会ったのなら、すでに家族には連絡がいっているはずだ。

 ただし、事件だとしたら、まだ誰も、その死に気づいていないかもしれない。

 きっと、杏は自分が死んだことを、愛莉に知らせに来たのだ。


 そう考え、子どものころに遊びに行ったことのある、杏の家まで走っていった。


 笹野家は外から見た感じ、異変はない。ごくふつうに明かりもついているし、親戚などが集まっている気配もない。

 杏が事故でたったいま息をひきとったのだとしたら、家族は病院に行っているだろう。つまり、少なくとも事故死ではなさそうだ。


 愛莉は思いきって、笹野家の呼び鈴をならした。すぐにインターフォンがつながった。


「はーい。どなたですか?」


 杏の妹だろうか?

 若い女の声がたずねてきた。


「わたし、平野愛莉です。今朝、杏ちゃんと会ったので、なつかしくて、話がしたいんですけど」

「ちょっと待ってね」


 インターフォンが切れた。しばらくして、玄関ドアがひらき、女が一人、現れた。

 門のところまでやってくると、街灯の光で顔が判別できる。愛莉の知らない女。杏には二つ下の妹がいた。あまり記憶に残っていないが、その妹だろうと思った。


「こんばんは」


 愛莉が声をかけると、相手も笑顔で応えてくる。


「こんばんは。お話って、何?」

「えっ?」


 愛莉はとまどった。

 もしかして、やはり、杏は事故で病院に運びこまれたのだろうか。家族は病院へかけつけ、妹が一人で留守番をしているのか? でも、それなら、この笑顔は妙だ。


「ごめんなさい。たいしたことじゃないんだけど、杏さんと話したくて」

「今、夕食中だから、また明日でもいいかな?」

「えっ? 杏さん、おうちにいるの?」


 女の表情が不審そうになった。

「わたしが杏ですけど? あなた、どなたですか?」


 愛莉は女の顔をまじまじと凝視した。

 違う。どう見ても、杏じゃない。

 なのに、自分を杏だという、この女は?


「——杏? どうしたの? お友達じゃなかったの?」


 家のなかから、愛莉も見おぼえのある杏の母が顔をだし、声をかけてくる。愛莉が子どものころに見た顔より、だいぶ老けているが、杏の母だということはわかった。人間はけっこう、何年たっても面影を見きわめられるものだ。


 だから、まちがえるはずがない。

 これは、杏じゃない。


「さあ。人違いみたい」

 そう言って、杏ではない杏は家のなかへ入っていった。




 *


 祖母の家に帰ったあと、愛莉は二階へあがり考えこんだ。


 愛莉を知らない杏。

 杏ではない顔をした杏。

 その杏を、実の母親が杏だと認めているようだ。


(なぜ……?)


 答えは一つだ。


 移し身——


 杏は何者かによって肉体をうばわれた。そのことを、杏は訴えに来たのだ。


 愛莉と会ったときには、もとのままの杏だった。つまり、あのあとすぐに、杏の身に変化が起こった。

 あのとき、杏はこのあとデートだと言っていなかったか? だとしたら、怪しいのは、あのリムジンの彼だ。


(すうくんって言ってなかった? すうくん……)


 愛莉は思いだした。

 どこかで聞きおぼえがあると思った、そのニックネーム。


 あのお祭りだ。神社のお祭りで、みんなと遊んだ夏の夜。ほとんどが小学生だったなかで、一人だけ中学生の男の子がいた。みんなのめんどうを見ていた、あの男の子が、すうくんと呼ばれていた。

 地元の子だった。

 つまり、空蝉姫の伝説を知っている。


 若いのに風態にふさわしくない高級車を乗りまわしていた男。事業で大成功したんだと、杏が話していた。

 彼に会った直後に、移し身が起こった杏。


 考えるうちに、愛莉は動悸が激しくなり、息苦しくなった。


 これは考えすぎだろうか?

 でも、きっと、そういうことなのだ。

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