六章 2


 しばらくして、祖父が言った。


「ほんとは俊一として生きていくつもりだったんだ。じいちゃんの死体が見つからなければ、行方不明になるのは、じいちゃんのはずだった。こんなことになって、愛莉に心配をかけてしまって、すまなかったね」


「それは、しかたないよ。誰も悪くないよ。でも、おばあちゃんが、おじいちゃんをお父さんだと思ってるのは、なんでなの?」


「移し身が起こると、村の人間には、その人がもともと誰だったのかわかるんだ。その人のもとの姿で見えるからだ。だから、蝉じいさんが滝川に殺されたことも、すぐにわかった。

 でも、よその土地の人には、なぜか、移し身が起こる前の人物の姿に……つまり、被害者を殺した人に見えるらしい。見えるというか、記憶のなかの姿が入れかわるようなんだ。だから、ばあちゃんには、わしの今の姿が俊一のように思えるんだ。たぶん、空蝉姫の霊力のおかげなんだろう」

「そうなんだ」


 目というよりは記憶の錯覚のようだ。


「でも、わたしには、おじいちゃんの姿に見えるけど。わたしは、ここの土地で生まれたわけじゃないし……」

「昔から、たまに、そういう人がいたらしい。子どもなどな。空蝉姫の霊力が効きにくいようだ」


 愛莉が生まれつきに持つ霊能力のせいなのかもしれない。

 それにしても、さっき、祖父の話を聞きながら、とても気になったことがある。


「ねえ、おじいちゃん。蝉じいさんって、誰なの?」

「ああ。じいちゃんと同じように身を移した人が、以前は何人もいたもんだよ。蝉じいさんは、昔、このへんじゃ、ちょっと知られた人でな。しばらく姿が見えんと思っとったら、別の人間になっていた」


「さっき、滝川って言ったよね? それ、滝川圭介って人?」

「なんだ。知ってたのか。そうだよ。あの人も移し身をした人だ」


 それで、祖父の事件が未解決になるなんて言ったのだ。祖父が父に移し身したことを察していたのだろう。だとしたら、滝川圭介は信用ができる。


「ねえ、おじいちゃん。それで、おじいちゃんとお父さんのことはわかったよ。でも、このごろ、あの林で大勢の死体が見つかったり、行方不明の人がいるよね? あれはなんなの?」

「じいちゃんにも、わからん」


 だけど、何かが起こっているのは、たしかだ。


 雅人のことが気になる。

 二年前に何があったのだろう?




 *


 その夜は、祖父母と愛莉の三人で団らんをとった。

 家のなかで愛莉から隠れている必要がなくなったからだ。

 父として接しなければならないのは、なかなか、なれなかったが、祖父の存在は嬉しかった。


「おじ……お父さん。前に図書館まで、わたしのこと、つけてきたでしょ?」

「すまん。すまん。愛莉のことが心配で」

「心配してくれるのは嬉しいけど、自分が捕まらないでね」

「そのことも、なんとかせんとなぁ」


 じっさいに祖父を殺したのは父なので、警察にうまく説明することができない。

 父の疑いを晴らさなければ、祖父は父として生活していくことができないし、なんとかならないものだろうか……。


 滝川さんに相談したほうがいいかもしれないと考えながら、愛莉はテレビを見ていた。ニュースでは、あいかわらず、この町で発見された死体のことや、原因不明の突然死のことが話題になっている。


「また突然死です。本日未明。都内の十九さいの学生が新種の病気と思われる症状で死亡しました。これで犠牲者は十人めです」


 この前、テレビで見たときは被害者は六人だったはずだ。いつのまにか、四人も亡くなっていたのか。


 祖母の作ってくれた肉じゃがを食べながら、見るともなく見ていた。


 アナウンサーは最後のしめくくりとして、こんなことを言った。


「この十九さいの学生は先日、今の両親と養子縁組みしたばかりで、念願の国立大学へ通っていました。このような悲しい犠牲がいつまで続くのでしょうか。早急な原因究明が望まれます」


 養子になって大学進学——ということは、おそらくお金持ちにひきとられたのだろう。学力の高さを買われたのかもしれない。人生が好転しかけたところで病気で死んでしまうなんて、なんて不幸だろうか。


「ごちそうさま。わたし、お風呂入るね」

「はいはい」


 自分の使った食器を台所まで運び、水につけておく。

 そのあと、着替えをとりに、愛莉は二階へむかった。


 階段を数段あがったとき、違和感を感じた。階段は上部がゆるいカーブになっていて、ぜんたいを見渡しにくい。カーブのさきから、何か液体のようなものが流れてくる。


(えっ? 雨もり?)


 二階には水まわりがない。トイレも浴室もキッチンも、全部一階に集中している。雨もりでもなければ、大量の水が流れてくるような場所はないのだ。でも、ここ数日、ずっと雨は降っていなかった。


 黒っぽい液体は、ゆっくりとした速度で、段々畑の散水のように階段を伝わり落ちてくる。

 黒? いや、赤い。黒ずんだ赤い……血。


 愛莉はさらに上の段を見あげた。

 そこに女の足もとが見えた。異様に白い肌には、血の気が感じられない。

 足もとから上へ、上へ、視線をあげていく。はやりの服には見おぼえがある。つい最近、どこかで見た。

 直立不動の女の足。スカートをはいた腰。ゆるいシルエットのブラウス。深くひらいた胸もと。細い首。


 その首すじにあるホクロを見て、愛莉はドキッとした。


 このホクロ、もしかして……。


 あわてて首の上をたしかめる。

 愛莉は悲鳴をあげた。だが、それは怖かったからじゃない。


(杏ちゃん!)


 今朝も会ったばかりの杏の霊が、口から大量の血を吐いて、そこに立っていた。

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