六章

六章 1



「お母さん。愛莉と二人で話させてくれませんか」と、祖父は言った。自分の妻のことを、お母さんと。


 祖母がうなずいて出ていくと、祖父はため息をついた。


「おばあちゃんは、しかたないんだ。もとが、よその土地の人間だからな。おばあちゃんには、じいちゃんが俊一に見えているんだ」


 さっきからの祖母のようすを見れば、たしかにそうなのだろう。


「なんで? わたしには、おじいちゃんの若いころに見えるよ? おばあちゃんには、なんでお父さんに見えるの?」

「おばあちゃんは嫁に来た人だから、空蝉神社の生まれつきの氏子じゃない」


 愛莉は息を飲んだ。

 ここで空蝉神社の名前を聞くとは思っていなかった。


「やっぱり……あの神社が……空蝉姫のことが関係してるのね?」

「誰かから聞いたのかね? お父さんから?」

「自分で調べたの。お父さんがおじいちゃんを殺すはずないと思って。それを証明するために。でも、調べれば調べるほど、よくわからなくなって……」


 祖父は物置のかたすみに置かれた古いソファーに腰かけた。愛莉もむかいのテーブルに乗ってすわる。


「愛莉は空蝉姫の伝説を知っとるかね?」

「平家のお姫さまが戦にやぶれて落ちのびてきたんでしょ? でも、追手に見つかって従者のお侍さんに死なせてもらった」


「うん。そうだ。神社の縁起にもある話だね。でも、その話には後日談があるんだよ」

「後日談?」


「そこからさきを知っとるのは、ここが村だったころから、この土地に住んでいた者だけだ。代々、親から子へ、口伝で伝えとったからね。よその土地のもんには、絶対にもらしちゃならん秘密だった」


 死んだはずなのに、三十さいも若返って生きていた祖父から語られる伝説。


 愛莉はその状況の異様さに緊張しながら、祖父の次の言葉を待った。


「空蝉姫さまは縁起では、従者に殺され、神社に祀られた。だが、じつは、そのあとすぐ、生き返ったんだ」

「生き返った?」


 仮死状態だったということだろうか?

 医学の発達していなかった当時なら、そんなこともあるかもしれないと、愛莉は考えた。


 だが、祖父の話は、そうではなかった。


「空蝉姫さまが亡くなってまもなく、村の娘が急な病で死んだ。家の者たちが娘の死にめを看取っていたんだが、そのとき、青く光る蝉が、死んだ娘の体に入るところを見た。すると、息をひきとったばかりの死体が急に起きあがり、『わたしは空蝉姫です』と言ったそうだ。青い蝉は、空蝉姫の魂魄こんぱくだったんだな」


 つまり、死体に空蝉姫の魂が宿って、生き返ったということか。


「そんなこと……」


 言いかけて、愛莉は口をつぐんだ。

 そんなことも何も、目の前には、ありえない状態の祖父がいる。


「もしかして、おじいちゃんも……?」


 祖父はゆっくり、うなずいた。


「移し身だ」

「移し身……」

「お姫さまの名前が空蝉だったせいなのか、もともと不思議な力を持つ姫だったせいなのかはわからん。あるいは、現世に帰りたいと願う姫の強い想いがあったのかもしれんのう」


 愛莉は思いだしていた。

 神社の塚の前で、記憶がなくなっていたあいだのこと。


 あのときの記憶は完全に失われたわけではない。記憶の底には、ひっそりと残っていた。


 ふと、それが水底の泡のように浮かんでくる。


 会いたいと願った空蝉姫の恋心。

 この人と幸せに生きたいという、ただそれだけの願い。


「じゃあ、生き返って、お姫さまは従者の男の人と幸せになったの?」


 祖父は首をふった。


「そのときにはもう、従者は姫のあとを追って、みずから命を絶っとったそうだ」


 そうか。せっかく蘇ったのに、愛しい人は、すでにいなかったのか。それは、あまりにも悲しい。


「だが、姫のことは村人が大切にした。平穏な生涯を送ったあと、姫さまは感謝の印に、村人と約束をした。今後、この村に生まれた者が誰かの手により殺められたときには、わたしが力を貸そう。殺めた者の体のなかに、その魂魄は蘇るだろうと……空蝉姫は、そう言ったのだそうだ。姫さまは、この世の不条理によって死なねばならなかった自身と、同じ死にかたをした者を救いたかったのだろう」


 愛莉は祖父の顔を見つめた。

 今ここにいる祖父の存在じたいが、その伝説が真実であることを雄弁に語っている。


「あの神社、昔は生贄を求めたって話だけど……」

「それは、まちがって伝わった伝説だろうなあ。このあたりが村でなくなったあとは、この伝説をくわしく知る者が、年々へっていく一方だからな」


 家が途絶えてしまったり、口伝がきちんと伝わらなかったりして、正しいことを知る人がへっていく。時代の流れから言って、しかたないことだろう。

 あのネットの書きこみは、そうした中途半端な知識の持ちぬしによるものだとわかった。


「でも、神社で生贄に代わる儀式があったって」

「移し身の技に儀式は必要ない。ただし、条件はある」


「どんな条件?」

「一つは、蘇る者が、ここが村だったころの土地に生まれたこと。その者が人の手で殺されたということ。それと、大事なのは、死体が空蝉を持っているということだ。場所は神社の近くの神木の周辺。あのまわりに死体を埋める必要がある」


 思わず、愛莉は「あッ」と声をあげた。


「だから、あのまわりで、たくさん死体が見つかったのね!」

「そうだろうなあ。じいちゃんもな。あの林に埋められたんだよ。だが、思っていたより早く見つかってしまった。昔なら、誰も警察なんか呼ばなかっただろうが、今は伝説を知らない、よそから来た人も増えてしまったからなぁ。通報されてしまったんだろう」

「おじいちゃんを殺したのは……誰なの?」


 その答えは、もうわかっている気がする。父は助からない病だった。自分の寿命があと少ししかないと知っていたのなら……。


 祖父は物悲しげな目で、うなずいた。


「俊一だよ。移し身が成功すると、被害者は、それを殺した者の年齢で蘇るんだ。つまり、じいちゃんは、じいちゃんを殺した俊一の年まで若返ることができた。それだけ、寿命が延びた。俊一はな。自分の代わりに、じいちゃんに愛莉を見守っていてほしかったんだよ」


 涙があふれだすのを、愛莉は止められなかった。


 ずっと、おまえを見守っているよと言った父。

 あれは、そういう意味だったのか。

 父の愛の深さを、愛莉は実感した。


「お父さん。おじいちゃん……ありがとう」


 涙が止まるまで泣き続けた。

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