五章 2


「愛莉。ひさしぶりだね」

「お父さん!」

「元気そうだ。よかった」


 愛莉はかけより、思わず、父にすがりついていた。こんなふうに抱きついていくなんて、何年ぶりだろうか? 小学生のとき以来だろうか。


「お父さん。どこに行ってたの? なんで急にいなくなったの?」

「お父さんは自分の意思で、こうしたんだよ。長くないことを知っていたからね」

「……やっぱり、そうなの? お父さんは、死んだの?」


 父はだまって、うなずく。だが、そのおもてには、ほほえみが浮かんでいる。


「おまえやお母さんには何も言わずに、すまなかったね。でも、言っても信じてもらえないだろうと思ったんだ」

「何を?」

「ずっと昔からの言い伝えがあってね」

「どんな言い伝え?」


 愛莉は父の言葉を待った。

 しかし、なんだろうか。

 木々が妙にざわついてくる。

 風が強い。


「……いけない。おまえのことに、やつらが気づいた」


 父は愛莉の肩をつかんで、ひきはなした。


「帰りなさい。愛莉。ずっと、おまえを見守ってるからな」

「お父さん!」


 父の気配が遠くなる。

 入れ違いに、周囲に何かが集まりだした。見まわすと、あの霊たちだ。林のなかに群れている亡者が、より集まってきていた。声にならないような、かすれた声で、しきりに何かを訴えている。


「助けてくれ」

「解放して……」

「わたしの……返して……」


 返せェ、返せェという声がかさなりあい、やがて津波のように襲いくる。


 そして、そのむこうのどこか深遠に赤い色が見えた。

 ゆっくりと近づいてくる。

 赤い着物を着た、長い黒髪の……。


「姫! 姫! あなたさまを手にかけること、なにとぞ、ご容赦を!」


 男の叫び声とともに、胸が焼けるように熱くなった。

 目の前に血しぶきが舞った。


 暗転。


 暗闇のなかで身動きがとれない。

 暗く、じめじめとした冷たいところ。

 音も光もない世界。


 これが死者の国か?

 いや、違う。経文が聞こえる。

 あの声は、四郎だ。わたしの愛した人。わたしを殺した人。

 そうか。ここは墓場のなかか。

 四郎がわたしの菩提を弔っているのだ。読経が終わると、すすり泣く声がした。


「姫。来世にて必ずや巡りあいましょうぞ」


 来世? でも、わたしは、ここにいる。四郎。わたしをここから出して。今すぐ、あなたに会いたい。今すぐ……。

 もう一度、ふれあいたい。

 そのためには……が欲しい。新しい……が。


「愛莉!」


 とつぜん、誰かの声で我に返った。

 雅人だ。

 雅人が心配そうな顔で、愛莉をのぞきこんでいる。


「愛莉。行こう。ここから離れよう」

「えっ? そ、そうね……」


 ついさっきまでの記憶がない。数分間だけ、心かここになかったかのようだ。


 愛莉は雅人に手をひかれるまま、石段をおりていった。神社が遠ざかると、急激に立ちくらみがした。疲労感が、どっと押しよせてくる。石段をおりたところで、呼吸をととのえた。


 少しのあいだ、ぼんやりしていると、林のなかから近づいてくる者がある。まさか、この林に巣食う霊だろうか?


 警戒するものの、生きた人間だった。圭介だ。よく会う。この付近を捜査しているのだから、当然といえば当然か。


「また、会いましたね。雅人は?」


 聞かれて、愛莉はうしろをふりかえった。が、雅人がいない。ついさっきまで、いっしょにいたのに……。


(もしかして、雅人くん、滝川さんをさけてるの?)


 そう考えれば、いつもすぐいなくなることの説明がつく。そして、雅人が圭介をさけているのだとすれば、その理由は、おそらく、圭介が刑事だから——


(二年前に行方不明になったとき、何かあったの? 警察には言えないようなことが?)


 あるいは、そのことが、あの大量の死体に関連しているのだろうか?

 そんなはずはない。

 雅人は人を殺すような人物ではない。そのことについて疑いは持たないが、でも、深い事情がありそうな気はした。


「雅人くんは、さっき帰りました」と、ウソをついた。

「そうですか。ところで、ここで何をしていたんですか?」


 不審そうな顔をされたので、愛莉は打ちあけた。


「じつは、わたし、ここで遺体が見つかった、平野勇蔵の孫です。祖父の事件のことについて調べているんです」

「そうでしたか」


 つかのま、圭介は思案した。

「その事件、私は担当じゃありませんが、話は聞いています。では、行方不明の平野俊一さんは、あなたのお父さんですね?」


 愛莉はうなずいた。

 すると、圭介は妙なことをつぶやいた。


「……あの事件は、未解決になるかもしれませんね」

「えっ? なぜですか?」

「あっ、いえ……刑事の勘です」


 いや、違う。

 圭介は知っているのだと、愛莉は直感した。愛莉の父、俊一が、すでに、この世の人でないことを。

 なぜ、それを知っているのか?

 まさか、祖父を殺し、その罪を父がかぶるように工作したのは、滝川圭介なのだろうか?


 愛莉は誰も信じられない気分におちいった。

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