五章

五章 1



 あわてて自転車に乗って走っていると、林に近い通りで雅人を見つけた。

 雅人が愛莉を認めてかけてくる。

 運動制限されてるのに大丈夫なのだろうか?


「雅人」


 思わず、愛莉は雅人に抱きついた。

 雅人はおどろきながらも、両手で愛莉を抱きかえしてくる。


「よかった。もう二度と会えないのかと思った」

 涙がにじんでくる。


「なんで?」

「だって、電話もつながらないし」

「ごめん。電源、切ってた」

「心配したよ。昨日も急にいなくなるし。それに……」


 さっきのあれは、なんだったのだろうか?

 雅人の家のはずなのに、呼ばれて出てきた男は別人だった……。


 そのことを打ち明けると、雅人は笑った。


「それ、たぶん、同姓同名だよ。近所に同じ名字のうちがあるんだ」

「えっ? そうなの?」

「うん。下の名前は漢字、違うんだけどね」

「なぁんだ!」


 安心して、また涙が出てきた。

 雅人は愛莉の涙を親指の腹で、すっとぬぐってくれる。


「ごめんね。心配かけた」

「わたしが早とちりだから、いけないんだよ」


 人通りがなければキスするのにと思ったが、さすがに、ちょっと、てれくさい。


 愛莉が落ちついたころ、雅人が言った。

「さあ、今日はどこに行く?」


 愛莉は林のほうを見た。おどろいたことに、そこにいる霊たちが、愛莉に気づいていない。昨日までは、何かを訴えるように、じっと愛莉を凝視していたのに。


(おばあちゃんのくれたお守りのおかげだ)


 だから、ほんとなら、今日こそ林のなかへ入ってみたい。でも、そこは警察によって立ち入り禁止になっている。マスコミもいるし、とても、こっそり入っていける状態ではない。


「あっ、そうだ! 神社は? 神社になら、入ってもいいのかな?」


 祖母は神社から材料を持って帰ってきた。ということは、神社には入ることができるはずだ。


「そうだね。鳥居の周辺にはテープが張ってないね」と、雅人がうなずく。

「じゃあ、空蝉神社に行ってみたい」


 愛莉は自転車のうしろに雅人を乗せて、神社の鳥居の見えるところまで移動した。鳥居のなかは雑木林の一部だが、数メートル歩いたところに石段がある。神社は、そこからのぼっていったさきにある。


 鳥居のところに、警察官が立っていた。


「君、ここからさきは立ち入り禁止だよ」

「神社に行きたいんですけど」

「ああ。神社ね。そっちは行くんじゃないよ? いいね?」


 念入りに注意されて、愛莉たちは鳥居をくぐる。

 行こうと思えば、死体が発見された現場に、こちらがわからでも行ける。が、さっきの警察官が見ているので、しかたなく、最初の予定どおり、神社の石段をのぼった。


 静謐せいひつな空気。

 参拝客はほかに誰もいない。


(この神社って、神隠しがあるんだっけ)


 ネットで検索した内容が、ふと思いだされる。


「ねえ、雅人くん。知ってる? この神社って、昔、神隠しあったんだって」

「ああ。空蝉姫の伝説だね」

「えっ? 空蝉姫?」


 雅人はうなずき、静かな声で語る。


「この神社に祀られているのはね。平家のお姫さまなんだそうだ。ほら、ここって壇ノ浦から、そう遠くないしね。合戦にやぶれて、この土地に落ちのびてきたお姫さまと、そのお付きの武者がいた。空蝉という名の、とても美しい姫だったそうだよ」


 雅人に手をひかれて、石段をのぼりきる。境内にも人の姿はない。きっとマスコミは入口の警官に立ち入りを止められるのだろう。

 境内に入ると蝉しぐれが、降るようにひびく。サワサワと木々の葉が風にゆれる。


 雅人は続ける。


「まだ、このへんが小さな村里だったころの話だ。お姫さまを哀れに思って、村人たちは何くれとなく親切にしていたんだけど、お姫さまが美しすぎたから、目立っちゃったんだね。

 やがて、人の口にウワサがのぼり、追手がやっきた。村人はかくまっていたんだが、源氏の武者たちが大勢やってきて、姫を出さないと村人を皆殺しにするぞって、おどしたんだ。

 源氏の武者のなかに名のある者がいて、姫を自分の側室にしたいという考えがあった。おとなしく現れでるなら命はとらないと宣言したんだ。でも、それは姫にとって屈辱でしかなかった。父も母も幼い妹も、自分の目の前で死んだ。一族を滅ぼした仇に身をゆだねて命永らえるなんて、とても耐えられることではなかった。何よりも、姫はお付きの武者と愛しあっていた。それで、姫は仇の妾になるくらいなら、おまえの手で殺してほしいと、お付きの武者に願いでた」


「それで、お姫さまは、どうなったの?」

「死んだよ。お付きの者の手で。村人たちは、いっそう姫を哀れんで、ここに姫を祀った」

「かわいそう……」


 きっと、そのお姫さまは、毎日、願っていただろう。このまま追手に見つからず、愛する人と貧しくても末永く暮らしていきたいと。

 ただ、それだけのことが叶わなかった。どんなに悲しく、悔しかったことだろうか。現代に生まれてさえいれば、ごくふつうの幸せでしかないのに。


 涙が自然に流れていた。

 愛莉は雅人とならんで、お社に手をあわせた。


 なぜかはわからないが、そのとき、蝉しぐれがやわらいだ。耳に痛いような鳴き声が、優しいひびきに変わった気がした。


 神社には、とくに変なところはなかった。子どものころに来たときは、夏祭りで飾られていたから、少し記憶と違うような気もしたが、どこにでもある、落ちついたふんいき。

 もちろん、死体の埋めてありそうな場所もない。まあ、だからこそ、警察の捜査が、ここまで伸びてこないのだろう。


「とくに何かがあるわけじゃないね」


 社のまわりをぐるりと歩いてみるものの、目をひくものはない。ただ、社の真うしろに、小さな塚のようなものがあった。


「ここが、空蝉姫の墓だって話だよ」と、雅人。

「そうなの」


 愛莉のひざ下くらいしかない小さな塚だ。

 ここに悲恋のお姫さまが眠ってるのかと考えて、見つめていると、むしょうにめまいがしてきた。塚のまんなかに黒ずんだシミのようなものがあり、そこが、しだいに黒さを増してくるような……。


 ジイジイと蝉の鳴き声か強くなる。

 いや、何か別のざわめきのような?


 黒いシミが渦をまいて、まわりだした。その中心が透けてきて、景色が見える。


 愛莉は雑木林のなかを一人でさまよっていた。

 昼でも薄暗い、ご神木のあたり。

 目の前に父が立っていた。

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