三章 2

 *


 サイレンの音がむかっていった方向へ自転車を走らせた。

 七時前なので、まだ明るい。

 遠くの山なみにかかる残照の赤が美しい。

 数分、自転車をこいで、自分がどこへ行こうとしているのか、愛莉は気づいた。その場所に近づくにつれて、野次馬の数が増えてくる。まちがいない。あの神社のある林だ。事件があったのは、祖父の殺された、あの場所なのだ。


 林の近くの道路にパトカーが何台も停まっていた。まだ、黄色いテープは張られていない。何が起こったのかわからないが、事件が発覚してから、寸刻しか経過していないようだ。


 制服を着た警官が数人で、野次馬が林に近づかないよう規制している。


 愛莉は自転車をおり、野次馬にまざって警官の動きを観察する。


 集まってきているのは、大半、近所の人たちのようだ。顔見知りが多いのか、あれこれと話している声が聞こえる。


「また、死体が見つかったんだって。今度は女の人らしいよ。死後一週間くらいだって」

「あんた、やけに詳しいね」

「だって、死体、見つけたの、となりの広川さんだから。さっきまで大声でわめいてたのよ」

「へえ。じゃあ、たしかだなぁ」


 そんな会話に耳をすましていると、ぽんと肩をたたかれた。雅人だ。そうだった。雅人はこの近所に住んでいるのだ。

 こんなときなのに、雅人の顔を見ると、心臓がドキドキする。


「雅人くんも来てたんだ」

「これだけのさわぎだからね」

「そうだよね。家も近いし、気になるよね」


 話しているところに、またパトカーがやってくる。数人の刑事らしい男が出てくる。そのなかの一人は見知った人物——圭介と雅人が呼んでいた。


 ちらっと視線のすみで、それを確認しながら、愛莉は雅人と話し続ける。


「ねえ、雅人くん。電話番号、交換してなかったよね。教えてもらってもいい? わたしの番号も教えるから」

「いいよ。おれ、まだガラケーなんだけど」

「えッ? ほんとに?」

「アナログ人間なんだ」

「絶対、スマホのほうが便利だよ」

「だよねぇ」


 雅人の電話番号を聞いて、スマートフォンの電話帳に登録していると、視界の端に、じっと動かない人物がいる。

 また、霊か?——と思って、見ると、違った。

 圭介という例の刑事だ。

 なぜか、愛莉を凝視している。

 愛莉がとまどっていると、歩みよって声をかけてきた。


「ちょっといいですか?」

「え? はい」

「ちょっと、こっちへ」


 愛莉を人ごみから離して、話し声が野次馬の耳に入らないところまで来る。


「昼間、会いましたね」

「そうですね。でも、わたし、女の人なんて殺してませんよ? 一週間前なら、まだ実家にいたし」


 圭介は苦笑した。


「もう、そんなウワサになってるんですね。しかし、そのことじゃないんだ。あなた、雅人の知りあいですか?」

「友達ですけど?」


 雅人のことは、圭介もおぼえていたらしい。

 以前、かなり親しかったようだから、それは当然かもしれない。それにしても、聞きたいことがあるなら、じかに雅人に聞けばいいのにと、愛莉は思った。


「僕は滝川圭介です。以前、雅人と親しくしていました」

「はい。聞きました」

「そうですか。じゃあ、もうわかりますよね? 聞きたいことっていうのは——」


 圭介が話しかけたときだ。


「おい、滝川。早く来い」


 他の刑事に呼ばれて、圭介は舌打ちした。ポケットから名刺を出して、愛莉に渡してくる。


「あとで連絡してもらってもいいですか?」


 相手は刑事だ。それに、雅人とも親しい。とくに警戒する必要もなかった。


「わかりました。明日でもいいですか?」


 圭介はうなずいて、小走りに去っていく。


 愛莉はもとの場所へ帰っていった。しかし、雅人の姿が見えない。人の出が多くて、はぐれると見つけるのが困難だ。ウロウロしていると、また声をかけられた。


「あれ? ねえ、もしかして——」


 ふりかえると、茶髪の女の子が立っている。愛莉と同い年くらいの、丸顔で丸い目の、ちょっと可愛い子だ。その顔に見おぼえがあった。子どものころに、たしか……。


「ええと……あんずちゃん?」

 言うと、相手も笑う。


「わあっ、やっぱり、愛ちゃんだ。なつかしいね! こっちに来るの、何年ぶり?」

「うーん、四年ぶりかな」


 笹野杏。祖父母の家の近所の女の子で、たまたま年が同じだったため、子どものころは、夏になって愛莉がこの町へ来るたびに遊んでいた。


「ほんと、なつかしいね。ひさしぶりに遊びに来てるの」

「そうなんだ。お盆になったらバイトが休みだから、ゆっくり会おうね」

「うん。そうだね」


 言いながらも視線をキョロキョロ動かし、雅人を探していると、


「愛ちゃん。さっき、カッコイイ人と話してたね」

 杏がたずねてきた。


「ああ……雅人くんのことね」

「ふうん。愛ちゃんの彼氏?」


 愛莉は返事に困った。

 もちろん、愛莉は雅人を好きだ。雅人も、愛莉に好意を持ってくれているだろうと思う。


 子どものころに一回、会っただけなのに、再会したときには、魂の半分に出会えたような心地がした。自然に惹かれていた。


 でも、どちらも“愛している”とも、“交際しよう”とも言ったわけじゃない。

 わたしたちの関係って、なんなんだろうと、愛莉は思う。


「……友達以上、恋人未満って感じかな」

「なんだ。そうなの? イケメンだから告っちゃおうかと思った」


 しかし、そう言う杏のそばには、男が立っている。こっちも、なんとなく見たことがあると思った。背が高く、キツネのような吊り目だが、ちょっとイケてる。短い髪を金に近い色に染めている。


「この人、杏ちゃんの彼氏じゃないの?」


 杏は耳打ちしてきた。

「いいでしょ? この前、ぐうぜん、バイト先で再会したの。堕とせないかなぁって、狙ってるんだぁ」


 子どものころは気づかなかったが、杏はけっこう気が多いタイプのようだ。しかも、メンクイらしい。


「これから飲みに行くんだぁ。じゃあね!」


 手をふって、杏はキツネ目の彼氏といっしょに、人ごみから離れていった。

 百メートルくらいだろうか。かなり離れた場所に停めてある自動車に、二人が入っていくのを見て、愛莉はドキリとした。

 映画で見るような長い黒い車。

 あの車、つい最近、見たことがある。


 奇妙に感じたのは、杏も、杏の彼氏も、そんな高級な自動車を買えそうにないことだ。ああいうのは一般家庭の収入で購入できる代物じゃないことくらいは、愛莉にだってわかる。


 もちろん、杏の車じゃないだろう。だとしたら、杏の彼氏のものだ。Tシャツにジーパンの男が、どうやって、あんな高級車を手に入れたのか……。


 考えこんでいると、人ごみのなかに、ざわめきが走った。


「また死体が見つかったみたいだよ。ほら、運びだされてくる」

「二つ……三つ?」

「うわ。まだまだ、出てくる」


 そんな声を聞いて、林のほうをながめる。鑑識とおぼしい人たちが、死体袋をいくつも運んで、警察車両に乗せている。


 異常な数の死体だ。


 愛莉は見た。

 林のなかから運びだされる死体を、じっと見送る霊たちを。


 この雑木林のなかで、いったい何が起こっているのだろう?

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