三章
三章 1
女——いや、少女だ。
あのコンビニで出会った女の子の霊である。ぽっかり黒い穴になった両眼で、愛莉を見つめている。口をあけると、ダラダラと鮮血が流れた。
「たす……けて……」
愛莉は起きあがろうとしたが、金縛りにかかっていた。
動けない!
霊に対して、こんなふうになるのは初めてだ。
この女の子、この前、会ったときは、こんなに強い力を持っていると思わなかった。なんだか、霊の力が増しているようだ。
声も出ない。愛莉にできるのは念じることだけだ。
(わたしは、あなたを助けられない。だって、どうしたらいいのかわからないんだから)
助けて……。
(ムリよ。あきらめて)
あいつらが、わたしの……を……。
わたしを眠らせて……。
(あいつら?)
もしかしたら、この子は誰かに殺されたのかもしれないと、愛莉は考えた。
犯人を見つけてほしいのだろうか?
女の子は愛莉の上で猫のように丸くなった。その姿は何かを連想させた。
じっと愛莉を見つめてくる穴のような両目が、すぐ近くにある。
愛莉は息苦しさをおぼえた。
ハッと気がつくと、女の子の姿は消えていた。
体も動く。
(いったい、なんなの? わたしに何をさせたいの?)
そのとき、とんとんと階段をあがってくる足音があった。
「愛莉。帰ってるの? 昼ご飯は食べた?」
祖母だ。ドアの外から祖母が声をかけてきた。もしかしたら、女の子は祖母の気配を察して逃げたのかもしれない。
「ご飯は食べてないけど、今からだと夕ご飯が食べられなくなるからいいよ。ねえ、おばあちゃん」
「なんだい?」
ドアがひらいて、祖母の顔がのぞく。
愛莉は、これまで自分の霊視能力について深く考えたことがなかった。子どものころからずっとある力だから、これがふつうだと思っていた。
でも、よく考えれば、家族のなかには同じ力を持った人がいるのかもしれない。これが遺伝的な力だとしたら。
あるいは、祖母には、そういう力があるのでは?
「ねえ、おばあちゃん。おぼえてる? わたしが子どものころ、お守りくれたよね?」
「ああ。あげたね。おまえを守る大切なものだよ」
「おばあちゃん……霊が見えるの?」
祖母はふきだした。
「やだわ。愛ちゃん。おもしろいこと言うねぇ。そんなわけないじゃない。あのお守りはね、うちの氏神さまのお守りなんだよ。このへんの人はね。昔はみんな、アレを持ってたもんだよ」
霊が見えるわけではないのか。
愛莉が自分と同じ体質だから、心配してお守りを待たせたのかと思ったが。
「そうなんだ……」
「お守り、ちゃんと持ってる?」
「ごめん。今、うちに置いてきた」
「ダメだねぇ。じゃあ、おばあちゃんが新しいのを作ってあげるよ」
「作れるの?」
「材料が見つかればね。今なら、ちょうど季節もいいし、明日、神社に探しに行ってくるよ」
「うん。ありがとう」
明日なら、母に送ってもらうより早い。
ほんとは、離れに誰をかくまっているのか聞きたかったのだが、そのことは、簡単に教えてくれるとは思えなかった。
(おばあちゃんが他人から隠して、助けてあげたい人……それって、つまり……)
お父さん——?
それなら、わかる。
父はいなくなったのではなく、ずっと、この家のなかにいたのだ。愛莉が事件のことを調べに来たから、気になって尾行していたのかもしれない。それで、図書館のなかで見かけた……。
もしそうなら、事件のことは、ちょくせつ父から聞けばいい。
「おばあちゃん。今夜はカレーライスが食べたいな。おばあちゃんの作るカレー、なつかしい味がするよね」
「そう? じゃあ、今日はカレーにしようね。それなら買い物行ってこないとね」
カレーは意外と手間がかかる。とくに祖母が作る昔ながらのカレーライスは、野菜の下処理がいちいち、めんどくさい。
でも、これで時間ができたと愛莉は思った。
祖母が買い物に出かけると、愛莉は玄関からサンダルを持ってきて、離れに行ってみた。ここにいるのが父なら、愛莉の呼び声に応えるはずだ。
「お父さん? ねえ、そこにいるんでしょ? わたし、愛莉だよ。お父さん。話がしたいんだけど」
そっと声をかけてみたが、返事はない。
窓から、なかをのぞいてみたが、暗くてよく見えない。でも、奥の古いタンスのかげに人影らしきものがあるのは見えた。
「お父さん。わたしはお父さんの味方だよ。お父さんが、おじいちゃんを殺したりしないって、わかってる。だから、出てきてよ」
それでも返事はなかった。
父じゃないのだろうか?
でも、祖母が誰かかばうとしたら、父しかいないはずなのだが。
——お父さんの命はもうすぐ消えかけていたんだ。
ふいに、さっき夢で見た父の言葉を思いだした。まるで、最期の別れを告げるために夢枕に立ったかのような父の……。
(お父さん……死んだの?)
でも、それなら、ここに隠れているのは誰なんだろう?
愛莉は怖くなって、二階の子ども部屋に帰った。
いったい何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
雅人と話したいと思った。
今すぐ会いたいと。
電話番号もメールアドレスも交換していなかったことに、このときになって、愛莉は気づいた。
*
夕方、六時半ごろ。
祖母の作ってくれたカレーライスを食べながら、愛莉はテレビのニュース番組を見ていた。
「今日未明、東京都の大学生が、自宅で失血死しました。このところ問題になっている原因不明の失血死のようです。これで被害者は六人めとなりました」
女性アナウンサーがカメラ目線で告げている。
そういえば、このニュースを聞くようになって、そろそろ半年くらいだろうか。
今のところ被害者は東京に集中している。
目、鼻、口、耳など、全身のあらゆる穴から血液がふきだし、出血多量で死んでしまうという。
あきらかに新種の病気のようだが、今のところ被害者の遺体から病原体は見つかっていない。
全身から出血するという症状は、エボラ出血熱と似ているが、ウィルスが発見されないのだから、別の病気だ。
今のところ、謎の出血症としか、ニュースでも言われない。まだ病名さえない新種の病。
「イヤだねぇ。怖い病気が流行って。早く、なんとかなってくれないかねぇ」
そういう祖母に、愛莉もてきとうに相づちを打つ。
愛莉にとっては、今は、それどころじゃない。どうにかして、祖母から離れに隠れている人の秘密を聞きだしたい。父なのか、父でないとしたら誰なのか、ハッキリさせたい。
「ねえ、おばあちゃん」
「うん。なんだい?」
離れにいる人、誰?——と、聞こうとしたときだ。
にわかに家の外がさわがしくなった。サイレンの音が鳴りひびく。消防車だろうか? それとも救急車か、パトカー?
「あれ? 火事かねぇ?」
祖母が立ちあがり、窓をあけた。
一階の茶の間でご飯を食べているので、塀にさえぎられ、通りのようすはよく見えない。
しかし、救急車ではないようだ。
二、三台と続けてサイレンを鳴らしながら自動車の走っていく音がする。
「ああ、パトカーだねぇ。また、何かあったみたいだね」
祖母は顔をしかめて窓をしめた。
「またって、このへん、そんなにしょっちゅう、事件が起こってるの? 危なくない?」
祖母も心配げな顔になる。
「おばあちゃん、よく知らないけど、行方不明が多いんだって。愛莉くらいの年の若い人が、何人も姿を消してるんだよ」
「そうなんだ」
きっと、このあたりが物騒だと刑事が言っていたのは、このことだ。
ということは、また誰かが失踪したのだろうか?
(おじいちゃんは殺された。殺人に失踪。ほんと、物騒だ)
なぜ、この地域で、そんなに事件がひんぱつするのだろう?
なんだか、おかしい。
このあたりは、ごく平凡な田舎町だ。とくに金持ちが多いわけでもないし、といって、生活に困っている人が多いわけでもない。
気になったので、愛莉は外のようすを見てくることにした。カレーの最後の一口を、急いで飲みこむ。
「おばあちゃん。あたし、外、見てくる。自転車かしてね」
「ダメだよ。愛莉。危ないから」
「平気。平気」
愛莉は街路へとびだした。
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