二章 3
「じゃあ、行こうか。どこに行けばいいの?」
「あっち」
雅人が指さすほうへ自転車をこいでいく。
神社のある雑木林をまわりこむ形で、裏手になった空き地のほうへと、雅人は愛莉を導いていった。
「たしか、このへんだっだと思うんだよね」
空き地の入口あたりに、一軒の家があった。でも、そこは、ずいぶん前に空き家になっているようだ。窓がやぶれ、縁側に穴があき、家のなかも荒れている。庭は雑草だらけだ。
その家の前を通って、草っ原を歩いていくと、しばらくして、小さな池があった。蓮の花が咲き、とてもキレイな景色だった。モネの絵画のなかに入りこんでしまったように美しい。
「わあっ、すごい。こんなキレイなところがあったんだね。素敵」
「夜になると蛍が飛んで、もっとキレイだよ。そのうち、いっしょに見に来よう」
「そうね。蛍、見たい」
池のまわりを、雅人は歩きまわった。
何を探しているのかはわからない。
ただ、何度もため息をついていた。
「見つかった?」
問いかけると首をふる。
「もしかしたら、池のなかになげこまれちゃったのかもしれないな」
「何を?」
それには、やっぱり答えてくれない。言いたくないのかもしれない。
池のほとりにならんですわった。
とくに何かを話すわけではなかったが、風が通りすぎていくのが心地いい。
すると、とつぜん、雅人が泣きだした。
「どうしたの?」
たずねると、歯をくいしばる。
「どっか痛いの? 雅人くん?」
雅人は首をふった。
そして——
「……もう少しだけ早く、再会したかったよ。おれが……ているうちに」
愛莉は悟った。
雅人の健康は、愛莉が想像するより、ずっと悪いのだと。もしかしたら、余命宣告を受けているのかもしれない。
愛莉はだまって、雅人を抱きしめた。
この人を失いたくない。
この人の命が、もうじき消えてしまうかもしれないと思うと、自分のことのようにつらかった。
雅人の腕も、愛莉の背中にまわる。
二人はごく自然に唇をあわせていた。
悲しくて、切ないキス。
雅人の病気がどんなものでも、最期までともに歩もうと、そのとき、愛莉は決心した。
そのまま、時間のたつのを忘れていた。ふと、空腹を感じたのは三時すぎだ。ずいぶん長いあいだ、我を忘れていた。
「今日はもう帰ろうか。雅人くんの探してるもの、明日も、またいっしょに探そうよ」
雅人を自転車のうしろに乗せて、林の近くの通りまでもどってきた。
「この近くなんでしょ? 家まで送るよ?」
「いや、ここでいいよ。歩いてもすぐだから」
「そう?」
雅人と別れて、愛莉は家路についた。
*
家に帰ると、また、あの話し声が聞こえてきた。祖母と誰かが話している。
いったい、誰なんだろうか?
やっぱり、おかしい。
愛莉は足音をたてないようにして、ろうかを歩いていった。奥の座敷のほうへ。
そこまで来て、気がついた。
話し声は母屋のなかから聞こえるのではない。離れだ。カギのかかったままになっていた、あの物置がわりの建物。
離れに行くには靴がいる。
玄関までとりにいこうか、それとも裸足のまま行ってみようか——考えているうちに、祖母が離れから出てきた。
愛莉はあわてて、二階への階段をあがる。祖母は愛莉には気づかず、キッチンのほうへ歩いていった。
離れのなかに、誰かがいる。
それを知っていて、祖母は秘密にしている。つまり、祖母がかくまっているということなのだろう。
愛莉は混乱してしまった。
朝からいろいろあって、疲れた。
ベッドに身をなげだすと、いつのまにか眠りにいざなわれていた。
夢を見ている。
夢のなかで、愛莉はあの林のなかをさまよっていた。
暗い。夜のようだ。
でも、昼はあんなに怖かったのに、夢のなかでは恐ろしくない。
誰かが、ここで自分を待っていると本能的に理解していたからだ。
声に呼ばれるように、まっすぐ歩いていく。
すると、一本の木のもとに父が立っていた。その姿は青白く輝いているが、優しい表情をしていた。以前のままの父だ。
「お父さん!」
「愛莉。すまないね。急なことで、おまえには悲しい思いをさせたね」
「お父さん。どうして、いなくなったの?」
「おまえやお母さんにはだまっていたが、お父さんは末期の癌だったんだよ。自分の命がいくらもないことはわかっていたんだ」
「え?」
父は何を言っているのだろう?
末期の癌?
そういえば、いなくなる直前、いつもムッツリしていることが多かった。難しい顔つきをしていたが、あれは苦痛に耐えていたからだろうか?
「お父さん……?」
「だから、せめて、自分の命をムダにしないですむならと思ったんだ」
「どういうことなの? ムダにしないって……?」
「お父さんは、いつも、おまえを見守っているから」
父の姿は急速に遠くなった。
いや、愛莉の精神が夢の世界から遠ざかっているのだ。
目をあけた愛莉は悲鳴をあげた。
自分の体の上に、人が立っている。
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